書き込みの重圧は大きい。あまり気にしないことだ、もう一人の自分が言い聞かせる。
それで、どっこいしょと、席を立って、まるで学校、といきたいところだが、まだ座ったままだが、来た、クシャミが。今年3度目かな。かなり本格的である。グシャとつぶれるような感触。これが、お腹がゆるいときに来たならちょっと要注意だ。それにしても、何で、花粉症なんかになったのだろう。
クシャミでおさまらず、鼻水ももちろん出るし、鼻も詰まるし、いいことはない。外は、割かしいいお天気で、朝日が顔を出した。しばし晴れるだろう。目の前に置いてある、ミニで、わざわざこれをおさめる。椅子にぼんやり座っている。特に、動こうという気もしない。まずは、クシャミが止まるのを待った。
しかし、鼻水は出る。そこらにおいてある、ティッシュを総動員する。いつのものだか、わからないティッシュが置いてあって、この話しはしかし、あまりよろしくないので、中止して、鼻は詰まったままだ。
やることは、一つ、鼻うがい。水は冷たいが、まずは鼻を通さないといけない。手のひらに冷水を受け取り、それを鼻に持っていって、鼻も近づけて、水を吸う。これ以上、これも特に書くことはない。なんとなく、寂しいが、こうして花粉症に対峙してきて、特に薬などは使わない。
花粉症でなくてもいいが、なんとなく呼吸の回数が増えたりする。また、大きく息を吸わないと苦しいときがあって、その原因の一つに、「過呼吸」と呼ばれるものがある。「過喚起症候群」、(これは「過喚起」ではなく”過換気”の誤りでした、気が付かなくて、すいません)とか色々な名前がついているが、要するに何かのはずみで呼吸が荒くなって、それで結構苦しくなるものである。早く歩いた、ということでもなる。電車に乗ったというのでもなる。急に運動してもなる。原因は色々だが、さほど心配することはなく、中学生の運動部の生徒が、この過呼吸とは関係ない、読書感想文で、私は過呼吸持ちでしかし運動部で頑張っています、という文を読んだことがある。
この過呼吸というのは、酸素を吸いすぎることから起こる不快で、もう少しいうと、今度は血中の炭酸ガス、無論ガスではなく、イオンの状態になっているだろう、便宜上、炭酸ガスと書く、の濃度が下がって、それゆえ、血液のpHが、アルカリ側に傾いて起こることによる。この現象を知らない方もいて、そうなるとこれが、ちょっと大仰になる。
花粉症、それから、鼻詰まり、そして呼吸が苦しくなることから、私は、過呼吸になるという話しで、これもある時間がたつと直る。そうゆう、限られたことを書いていることに注意してください。他の原因で、胸が苦しくなるという例の方が多いだろうし、ただ、過呼吸、過喚気によるものもあるという話しである。
きのうはどうだったかもう忘れたが、今日の朝は、金星とか、それから木星も見えている、晴れの朝で、それから日の出となるが、この「日の出」、ここでは東に北アルプスが鎮座していて、その上から日が出てくる状態をいうことになるが、冬至の頃に比べると、その位置が、見た目は少し東に移動していることが実感される。これは、どうゆうことだろうか。なかなか、説明に思案する。省略するものが多くなる。
地球が動いているからだ、そうとも言えるし、太陽が動いているからだ、とも言える。それでも、遠くかなりな昔から、確か紀元前、動いているのは地球である!、といった人がいるというから、世の中はわからない。そうゆう考えは、夢夢出て来ないもので、普段は太陽が東から出てきて西に沈むなど平気で書いている。この表現は、特に問題はないが、月を例にとってみると、月が地球を一周するのは、新月から、新月までなど、これも少し前に、そうゆう誤り、根本的な間違いをここに書いていて、後から気が付いて大いに反省し、なにも自分はわかっていない、それでも、平気な顔をしている、など、今頃思い出してしまった。
これも、やっぱり花粉症で少し気が滅入るからであろう。何事も、本質を知っている必要があるが、それが、だんだんと壊れてゆくという事実も、並行して存在する自分を見つめる必要がある。何言ってるんだか、すいませんでした。
まだ、道に迷うことはなさそうで、それでサザンカの紅色の透過光が映えるのではないかと思うところである。これは、去年もあった。あきませんけど。
屋根、屋根、屋根、その雪が消えたのは、これはきのうの日曜日。なかなか立派な屋根。
ツバキかサザンカか、決着がつくか。
あまり、花が開きすぎないこと、それから、オシベの根元の辺りが完全に分離していないこと、このことから、この花はツバキのようだ。
この花を今日も見たが、きのうよりも元気がなかった。お天気は悪くない。なぜかひっかかる。
それで、どっこいしょと、席を立って、まるで学校、といきたいところだが、まだ座ったままだが、来た、クシャミが。今年3度目かな。かなり本格的である。グシャとつぶれるような感触。これが、お腹がゆるいときに来たならちょっと要注意だ。それにしても、何で、花粉症なんかになったのだろう。
クシャミでおさまらず、鼻水ももちろん出るし、鼻も詰まるし、いいことはない。外は、割かしいいお天気で、朝日が顔を出した。しばし晴れるだろう。目の前に置いてある、ミニで、わざわざこれをおさめる。椅子にぼんやり座っている。特に、動こうという気もしない。まずは、クシャミが止まるのを待った。
しかし、鼻水は出る。そこらにおいてある、ティッシュを総動員する。いつのものだか、わからないティッシュが置いてあって、この話しはしかし、あまりよろしくないので、中止して、鼻は詰まったままだ。
やることは、一つ、鼻うがい。水は冷たいが、まずは鼻を通さないといけない。手のひらに冷水を受け取り、それを鼻に持っていって、鼻も近づけて、水を吸う。これ以上、これも特に書くことはない。なんとなく、寂しいが、こうして花粉症に対峙してきて、特に薬などは使わない。
花粉症でなくてもいいが、なんとなく呼吸の回数が増えたりする。また、大きく息を吸わないと苦しいときがあって、その原因の一つに、「過呼吸」と呼ばれるものがある。「過喚起症候群」、(これは「過喚起」ではなく”過換気”の誤りでした、気が付かなくて、すいません)とか色々な名前がついているが、要するに何かのはずみで呼吸が荒くなって、それで結構苦しくなるものである。早く歩いた、ということでもなる。電車に乗ったというのでもなる。急に運動してもなる。原因は色々だが、さほど心配することはなく、中学生の運動部の生徒が、この過呼吸とは関係ない、読書感想文で、私は過呼吸持ちでしかし運動部で頑張っています、という文を読んだことがある。
この過呼吸というのは、酸素を吸いすぎることから起こる不快で、もう少しいうと、今度は血中の炭酸ガス、無論ガスではなく、イオンの状態になっているだろう、便宜上、炭酸ガスと書く、の濃度が下がって、それゆえ、血液のpHが、アルカリ側に傾いて起こることによる。この現象を知らない方もいて、そうなるとこれが、ちょっと大仰になる。
花粉症、それから、鼻詰まり、そして呼吸が苦しくなることから、私は、過呼吸になるという話しで、これもある時間がたつと直る。そうゆう、限られたことを書いていることに注意してください。他の原因で、胸が苦しくなるという例の方が多いだろうし、ただ、過呼吸、過喚気によるものもあるという話しである。
きのうはどうだったかもう忘れたが、今日の朝は、金星とか、それから木星も見えている、晴れの朝で、それから日の出となるが、この「日の出」、ここでは東に北アルプスが鎮座していて、その上から日が出てくる状態をいうことになるが、冬至の頃に比べると、その位置が、見た目は少し東に移動していることが実感される。これは、どうゆうことだろうか。なかなか、説明に思案する。省略するものが多くなる。
地球が動いているからだ、そうとも言えるし、太陽が動いているからだ、とも言える。それでも、遠くかなりな昔から、確か紀元前、動いているのは地球である!、といった人がいるというから、世の中はわからない。そうゆう考えは、夢夢出て来ないもので、普段は太陽が東から出てきて西に沈むなど平気で書いている。この表現は、特に問題はないが、月を例にとってみると、月が地球を一周するのは、新月から、新月までなど、これも少し前に、そうゆう誤り、根本的な間違いをここに書いていて、後から気が付いて大いに反省し、なにも自分はわかっていない、それでも、平気な顔をしている、など、今頃思い出してしまった。
これも、やっぱり花粉症で少し気が滅入るからであろう。何事も、本質を知っている必要があるが、それが、だんだんと壊れてゆくという事実も、並行して存在する自分を見つめる必要がある。何言ってるんだか、すいませんでした。
まだ、道に迷うことはなさそうで、それでサザンカの紅色の透過光が映えるのではないかと思うところである。これは、去年もあった。あきませんけど。
屋根、屋根、屋根、その雪が消えたのは、これはきのうの日曜日。なかなか立派な屋根。
ツバキかサザンカか、決着がつくか。
あまり、花が開きすぎないこと、それから、オシベの根元の辺りが完全に分離していないこと、このことから、この花はツバキのようだ。
この花を今日も見たが、きのうよりも元気がなかった。お天気は悪くない。なぜかひっかかる。