光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

クシャミと鼻水から、始まった。

2008-02-11 19:10:43 | 散策
  書き込みの重圧は大きい。あまり気にしないことだ、もう一人の自分が言い聞かせる。
  それで、どっこいしょと、席を立って、まるで学校、といきたいところだが、まだ座ったままだが、来た、クシャミが。今年3度目かな。かなり本格的である。グシャとつぶれるような感触。これが、お腹がゆるいときに来たならちょっと要注意だ。それにしても、何で、花粉症なんかになったのだろう。
  クシャミでおさまらず、鼻水ももちろん出るし、鼻も詰まるし、いいことはない。外は、割かしいいお天気で、朝日が顔を出した。しばし晴れるだろう。目の前に置いてある、ミニで、わざわざこれをおさめる。椅子にぼんやり座っている。特に、動こうという気もしない。まずは、クシャミが止まるのを待った。
  しかし、鼻水は出る。そこらにおいてある、ティッシュを総動員する。いつのものだか、わからないティッシュが置いてあって、この話しはしかし、あまりよろしくないので、中止して、鼻は詰まったままだ。 
  やることは、一つ、鼻うがい。水は冷たいが、まずは鼻を通さないといけない。手のひらに冷水を受け取り、それを鼻に持っていって、鼻も近づけて、水を吸う。これ以上、これも特に書くことはない。なんとなく、寂しいが、こうして花粉症に対峙してきて、特に薬などは使わない。

  花粉症でなくてもいいが、なんとなく呼吸の回数が増えたりする。また、大きく息を吸わないと苦しいときがあって、その原因の一つに、「過呼吸」と呼ばれるものがある。「過喚起症候群」、(これは「過喚起」ではなく”過換気”の誤りでした、気が付かなくて、すいません)とか色々な名前がついているが、要するに何かのはずみで呼吸が荒くなって、それで結構苦しくなるものである。早く歩いた、ということでもなる。電車に乗ったというのでもなる。急に運動してもなる。原因は色々だが、さほど心配することはなく、中学生の運動部の生徒が、この過呼吸とは関係ない、読書感想文で、私は過呼吸持ちでしかし運動部で頑張っています、という文を読んだことがある。
  この過呼吸というのは、酸素を吸いすぎることから起こる不快で、もう少しいうと、今度は血中の炭酸ガス、無論ガスではなく、イオンの状態になっているだろう、便宜上、炭酸ガスと書く、の濃度が下がって、それゆえ、血液のpHが、アルカリ側に傾いて起こることによる。この現象を知らない方もいて、そうなるとこれが、ちょっと大仰になる。
  花粉症、それから、鼻詰まり、そして呼吸が苦しくなることから、私は、過呼吸になるという話しで、これもある時間がたつと直る。そうゆう、限られたことを書いていることに注意してください。他の原因で、胸が苦しくなるという例の方が多いだろうし、ただ、過呼吸、過喚気によるものもあるという話しである。
  
  きのうはどうだったかもう忘れたが、今日の朝は、金星とか、それから木星も見えている、晴れの朝で、それから日の出となるが、この「日の出」、ここでは東に北アルプスが鎮座していて、その上から日が出てくる状態をいうことになるが、冬至の頃に比べると、その位置が、見た目は少し東に移動していることが実感される。これは、どうゆうことだろうか。なかなか、説明に思案する。省略するものが多くなる。
  地球が動いているからだ、そうとも言えるし、太陽が動いているからだ、とも言える。それでも、遠くかなりな昔から、確か紀元前、動いているのは地球である!、といった人がいるというから、世の中はわからない。そうゆう考えは、夢夢出て来ないもので、普段は太陽が東から出てきて西に沈むなど平気で書いている。この表現は、特に問題はないが、月を例にとってみると、月が地球を一周するのは、新月から、新月までなど、これも少し前に、そうゆう誤り、根本的な間違いをここに書いていて、後から気が付いて大いに反省し、なにも自分はわかっていない、それでも、平気な顔をしている、など、今頃思い出してしまった。

  これも、やっぱり花粉症で少し気が滅入るからであろう。何事も、本質を知っている必要があるが、それが、だんだんと壊れてゆくという事実も、並行して存在する自分を見つめる必要がある。何言ってるんだか、すいませんでした。





  まだ、道に迷うことはなさそうで、それでサザンカの紅色の透過光が映えるのではないかと思うところである。これは、去年もあった。あきませんけど。




  屋根、屋根、屋根、その雪が消えたのは、これはきのうの日曜日。なかなか立派な屋根。

  ツバキかサザンカか、決着がつくか。



  あまり、花が開きすぎないこと、それから、オシベの根元の辺りが完全に分離していないこと、このことから、この花はツバキのようだ。
  この花を今日も見たが、きのうよりも元気がなかった。お天気は悪くない。なぜかひっかかる。 

どうゆうところへ行きたいか

2008-02-11 07:12:06 | 散策
  朝のお天気、快晴。心地よい快晴、と書いておこう。風は弱く、穏やか。アメダスの6時の気温、マイナス0.4℃、積雪は0cm。室温5℃、目覚ましの鳴る5分前まで眠っていた。

  書評。日曜の朝刊に、書評が載る。これだけでも、しっかり読んでおきたいが、それもままならない。何とか寺のライトアップの写真が出ている。お客さんは多くいるが、傘を持ってる。土曜の夜は寒かったはず。新聞の写真であったから、その描写にも限界があるが、これはさほど美しいとはいえない、と思う。
  パラパラ書き、朝の先ほどに戻ると、もうすでに少し明るく、日も長くなった、日の出も早くなったと思う。このままだと、しばらくすると、起きるともう日が出ているということになる。日の出より早く起きるべきかどうか、これ考慮の一つになるか、そんなことも思う。さらに、金星は太陽に近づく。木星は、どんどん太陽から離れてゆく。春の星座が、天空に現われるのがだんだん早くなる。そのうち、一つ木星が、東の空、日が出るまで、王者の風格とともに孤高に輝くことを想像する。

  映像、TV、時間は確か、きのうの朝、紀伊半島、和歌山の田辺。子供が、息を真っ白にして歩いている。紀伊半島というと、さらに和歌山というと、暖かいところの代表のようなところに思えるが、そこに登場した、たぶん小学生は、寒い空気の中、ホカホカして外を歩いている。これは、暖まる光景で、TVなどで流すのはもったいない。それから、田んぼが怪しく光って、すぐに凍っていることがわかった。これは、田辺と言っても、山に近いところかも知れない。そこの凍っている田んぼの、そのさらに下に蠢いているところが、ものがあって、これはすぐに、カエルの子供、オタマジャクシであることもわかった。
  この辺りに、田んぼはあるが、氷も張るが、その下に水もあるときがあるが、しかし、カエルの子供はだんだんと見かけなくなっている。少し前は、いたような、小さなオタマがいた気がするが、今はその気配はない。紀伊田辺の映像はなかなかよく、でも多分オタマジャクシを見に行く人は、ごく限られた人ということも想像されて、これは、よかった。

  電力会社は、今は盛んに電気を使わないでくれ、節電に協力して、というCMを流している。かたや、お店は、電気関係の商品を販売しているほうは、こちらはいかに電気が、他のエネルギより安くあがるかを、数字で紹介し、いくら安くなります、これだけお得です、とさかんに広告する。これはどちらも、ごもっともというしかない。かたや、炭酸ガスを減らせ、もう一方でガソリンの税金を下げろというのと似ている。ガソリンは自由に、安く、バンバン使いたいわけである。もう道路も、あらかた整備済みだし。雪が降ったら、凍ったら、それは怖いから、車の運転は控えるだろう。でも、やっぱり、車社会だからガソリンは大いに安く使いたいのである。

  一体どこに行きたいのか。寒そうなところ、人があまり来ないところ。静かで、車もあまり通らないところ。田んぼにはオタマがいて、ときに凍ってしまうところ。それは、少し前の、この辺りか。それももう失われて、戻ることは出来ないだろう。