朝に見た、金星と木星の接近に、月が加わった様子は、今思い出してもまことに美しく、これこそ滅多に見られない光景であった、と確信する。
空気が澄んでいた。春霞のようなものもなく、晴れに近い天気で、その部分は雲はなく透明であって、金星もさほど高度は高くないが、かなり明るく、この灼熱の星の、そこには住めそうにないが、その外から見る美しさは、英語の表現そのものである。木星は、惑星の王者ではあるが明るさは金星にはかなわない。しかし、金星に対等に立ち向かうことの出来る星は、これまた木星しかなく、この二つの星のめぐり合わせの不思議に、少し感激する。月が加わって、もはや言うことはないが、
この様子を、寝ぼけまなこで撮ってみたが、ただ、そこに、確かに細い月と、点状に見える二つの星は、写ることは写っていたが、ただそれだけで、これは、肉眼で見たものとはまったくかけ離れていて、かなり情けない思いをしたが、これは当然であって、この様子を目で見たとおりに写すには、その何倍もの努力と情熱が必要であって、そのことをすっかりと忘れていた。こうゆう機会はなかなかなく、それゆえまた忘れ去られるようで、このことについては、これでおしまい。しばらく、他の方の撮られたものを、星空関係のページで見ていた。
寒い時間が続く。「低温注意報」というものも出ている。いつもの散歩やらに出かける。雨は、降りそうになくポケットにミニカメラを入れた。それから、傘も持った。
しばらくして、これはヒメオドリコソウというものを見つけて、これをまずファイルに収める。こうゆう、小さくて、地味で、どこにでもありそうで、しかしない、というものを探すことにする。スーパに行って、まず大型のキャベツを籠に入れた。他は、適当。それからも、小さい、目につかない植物を探す。
傘、買い物の袋、それとミニカメ。これらを両の手で操るのは少しくたびれる。それに、あまりのんびりも出来ない。気温は真冬であるから。最後に、
盛んに咲いているサザンカの、そのきれいな花弁がたくさん落ちている、その時期を待っていたのであるが、その花弁が落下して出来た様子をいうのも、ファイルに収めた。これで、一日か、二日はもつだろうと思う。なにを考えているのやら。寒いようで、少し汗をかいていた。
オオイヌノフグリは、去年の暮れにもう咲いていたが、ヒメオドリコソウは、見かけなかった。ただ、この葉っぱは、見かけたことがある気がする。まだまだ、これから先、山のように咲くはず。
これは、なんだかまだわからない。小さい花が集まっていてもまだ小さいが、どうにか合焦してくれた。
サザンカのぱらぱら落ちる花弁は、なんだかもったいない。これが、たくさん集まれば、と思う。
サザンカを垣にしているお宅は多いが、この落ちた花弁がうまく敷き広がるようなところ、あるいは降る積もるようなところは、意外と少ない。
ここの垣の様子を見ていて、今日は試しに撮ってみるときだと思った。ちょうど小さな側溝もあってそこにも、この花弁がある。もっとあれば、と思う。
この側溝も、底が少し暗くぼんやり紅く光る、サザンカの花弁がもう一度輝く場所のようである。この側溝は、水が流れている気配はない。
空気が澄んでいた。春霞のようなものもなく、晴れに近い天気で、その部分は雲はなく透明であって、金星もさほど高度は高くないが、かなり明るく、この灼熱の星の、そこには住めそうにないが、その外から見る美しさは、英語の表現そのものである。木星は、惑星の王者ではあるが明るさは金星にはかなわない。しかし、金星に対等に立ち向かうことの出来る星は、これまた木星しかなく、この二つの星のめぐり合わせの不思議に、少し感激する。月が加わって、もはや言うことはないが、
この様子を、寝ぼけまなこで撮ってみたが、ただ、そこに、確かに細い月と、点状に見える二つの星は、写ることは写っていたが、ただそれだけで、これは、肉眼で見たものとはまったくかけ離れていて、かなり情けない思いをしたが、これは当然であって、この様子を目で見たとおりに写すには、その何倍もの努力と情熱が必要であって、そのことをすっかりと忘れていた。こうゆう機会はなかなかなく、それゆえまた忘れ去られるようで、このことについては、これでおしまい。しばらく、他の方の撮られたものを、星空関係のページで見ていた。
寒い時間が続く。「低温注意報」というものも出ている。いつもの散歩やらに出かける。雨は、降りそうになくポケットにミニカメラを入れた。それから、傘も持った。
しばらくして、これはヒメオドリコソウというものを見つけて、これをまずファイルに収める。こうゆう、小さくて、地味で、どこにでもありそうで、しかしない、というものを探すことにする。スーパに行って、まず大型のキャベツを籠に入れた。他は、適当。それからも、小さい、目につかない植物を探す。
傘、買い物の袋、それとミニカメ。これらを両の手で操るのは少しくたびれる。それに、あまりのんびりも出来ない。気温は真冬であるから。最後に、
盛んに咲いているサザンカの、そのきれいな花弁がたくさん落ちている、その時期を待っていたのであるが、その花弁が落下して出来た様子をいうのも、ファイルに収めた。これで、一日か、二日はもつだろうと思う。なにを考えているのやら。寒いようで、少し汗をかいていた。
オオイヌノフグリは、去年の暮れにもう咲いていたが、ヒメオドリコソウは、見かけなかった。ただ、この葉っぱは、見かけたことがある気がする。まだまだ、これから先、山のように咲くはず。
これは、なんだかまだわからない。小さい花が集まっていてもまだ小さいが、どうにか合焦してくれた。
サザンカのぱらぱら落ちる花弁は、なんだかもったいない。これが、たくさん集まれば、と思う。
サザンカを垣にしているお宅は多いが、この落ちた花弁がうまく敷き広がるようなところ、あるいは降る積もるようなところは、意外と少ない。
ここの垣の様子を見ていて、今日は試しに撮ってみるときだと思った。ちょうど小さな側溝もあってそこにも、この花弁がある。もっとあれば、と思う。
この側溝も、底が少し暗くぼんやり紅く光る、サザンカの花弁がもう一度輝く場所のようである。この側溝は、水が流れている気配はない。