ちょっと暖かいと感じるときがある。微妙に変化する。気の持ちようも大いに変化するから、それが寒さに与える影響は大きい。悩み事が解決すれば、それこそ、氷点下でも大丈夫な気がするが、ニュースを見たり聴いたりするから、そうはゆかない。怪しげなものが、跋扈している。この時代に、悩みがないということはあり得ない気がする。こうゆう時期というものも歴史に、過去にあるのか、これを検証する人が出てきていいはずだし、そうゆう方も多かったが、そうゆう方の安定性も弱く、今のこの揺れる状況では、検証にまで至らないかも知れない。
寒いということに加えて、なんだか空気の中に浮ぶゴミのようなものも、綿ぼこりも多くなってきたような気がして、仕方がない。今、大体朝は掃除をするが、今掃除をしたばかりというときに、掃除機を動かしているだけだが、そのあとを見ると、掃除機を当てたのに、そこに目に見えるゴミがある。掃除機から出てゆく、勢いのある空気が、辺りに乗っかっているゴミをまた撒き散らせているようにも思える。
何となくだが、この小さなゴミも気になるもので、別に何か悪さをするかというと、それはないと思う。掃除は一種の儀式というか、自分の汚れを、この行為で清めるような意味合いも持っているのかのようである。若いときなどは、どんなゴミの中でも大丈夫で、ただし、ある程度知識というものを持つと、やけに物質の危険性、毒性には敏感になったりするのも事実で、これなどは、いいのか悪いのかわからない。
2月は、1年中で一番寒く感じる季節で、大体雪、積雪のピークもこの2月の最初から半ばにかけてである。この雪の量の多い少ないの、例外は最近は多いが、ほぼ2月が一番寒く、また雪も多いことは、この地に長く住む方の話しではっきりしている。2月もどうやら終わりそうになると、幸いさほどひどい雪に降られなかったことに結果としてなると、人の顔付きまでが変わってくる。何かしら、少し笑みがこぼれ、ふだん固く口を閉ざす人も、ぽろり人恋しくなるらしく、挨拶などもする。
しかし、まだ、実際問題として2月になったばかりだ。これからが、一番寒くなって、またその程度にも色々ある。ある程度寒い。仕方ない、昔からそうだ、だからしょうがない。人は、どうしようもないと諦観し、雪をほじくる。それを、適当にその辺に移動させ、それで大汗をかいて一休みする。今日はこれでどうにかなるだろう。
あくる朝が来る。さほど寒くない。しかし、ぐっすりと眠ったからか、朝まで目が覚めないとなると、その変化を見て仰天する。雪が、30cmくらい積もっていて、これでは新聞配達の方も遅れるし、ポストに到達出来ない。弱った、朝は、あまり汗をかくことをやらないようにしているのだが。が、何ということか、それは、夢であった。夢の中で、朝に起きて、今日は寒い割によく眠ったが、起きてみると、雪が30cmも積もっているというものを体験する。まったく、悪夢もいい加減にしてくれ、と思う、こうゆう夢の経験は、私にはない。また、朝になって、辺りが一変する雪景色というのも、最近はないような気がする。でも、少し前は、この辺りは、かなりいい加減だが、雪に埋まって道路に車が放置されたという状況を、思い出すことが出来る。
いずれにしろ、寒いと感じ、さらに一旦暖かくなって、また寒くなることは普通で、それで寒さも続くとさすがに、身の危険というものを意識する。それで、なお今まだ生きていることは、大仰な言い方をすれば、幸運の星のもとに生まれたとしか言いようがないとも、思ったりもする。
やたら寒いが、歩かないと心配だから、それからまだそんなにひどい雨風でもなかったから、外に出たが、かなり寒く、でも今年、いやこの冬一番の寒さかというと、これは違うような気がする。無事帰って来てからの方が、さらに寒い思いをした。雨のままだが風がひどく、これが歩くときなら、無論止めた。その判断は、付く。
寒いけど、フキの芽は1月の半ばに見つけた。フキノトウにもなっていない。妙な言い方だが、そう思う。お寺にあるもの。
大きさは、2、3cmというところ。
同じ場所の、梅の蕾。これそのものは大きくなっている気配はないが、ファイルを大きくしてみた。
いかにも寒そうである。固く閉じている。
きのうの朝、山の方を見ていたが、ふと視野になぜかカラスの小集団が入ってきて、何かがあるのか少し不思議な気がした。
カラスが集まってその辺りの、電柱なり、電線に止まってかなり激しく鳴きあうことは何度もあるようで、しかしなぜそんなことになるのかは、これはまったく見当も付かない。これは、山の方角から手前に飛んできているが、夕刻にはときに、この反対方向へカラスが飛んでいるのを見ることもある。
寒いということに加えて、なんだか空気の中に浮ぶゴミのようなものも、綿ぼこりも多くなってきたような気がして、仕方がない。今、大体朝は掃除をするが、今掃除をしたばかりというときに、掃除機を動かしているだけだが、そのあとを見ると、掃除機を当てたのに、そこに目に見えるゴミがある。掃除機から出てゆく、勢いのある空気が、辺りに乗っかっているゴミをまた撒き散らせているようにも思える。
何となくだが、この小さなゴミも気になるもので、別に何か悪さをするかというと、それはないと思う。掃除は一種の儀式というか、自分の汚れを、この行為で清めるような意味合いも持っているのかのようである。若いときなどは、どんなゴミの中でも大丈夫で、ただし、ある程度知識というものを持つと、やけに物質の危険性、毒性には敏感になったりするのも事実で、これなどは、いいのか悪いのかわからない。
2月は、1年中で一番寒く感じる季節で、大体雪、積雪のピークもこの2月の最初から半ばにかけてである。この雪の量の多い少ないの、例外は最近は多いが、ほぼ2月が一番寒く、また雪も多いことは、この地に長く住む方の話しではっきりしている。2月もどうやら終わりそうになると、幸いさほどひどい雪に降られなかったことに結果としてなると、人の顔付きまでが変わってくる。何かしら、少し笑みがこぼれ、ふだん固く口を閉ざす人も、ぽろり人恋しくなるらしく、挨拶などもする。
しかし、まだ、実際問題として2月になったばかりだ。これからが、一番寒くなって、またその程度にも色々ある。ある程度寒い。仕方ない、昔からそうだ、だからしょうがない。人は、どうしようもないと諦観し、雪をほじくる。それを、適当にその辺に移動させ、それで大汗をかいて一休みする。今日はこれでどうにかなるだろう。
あくる朝が来る。さほど寒くない。しかし、ぐっすりと眠ったからか、朝まで目が覚めないとなると、その変化を見て仰天する。雪が、30cmくらい積もっていて、これでは新聞配達の方も遅れるし、ポストに到達出来ない。弱った、朝は、あまり汗をかくことをやらないようにしているのだが。が、何ということか、それは、夢であった。夢の中で、朝に起きて、今日は寒い割によく眠ったが、起きてみると、雪が30cmも積もっているというものを体験する。まったく、悪夢もいい加減にしてくれ、と思う、こうゆう夢の経験は、私にはない。また、朝になって、辺りが一変する雪景色というのも、最近はないような気がする。でも、少し前は、この辺りは、かなりいい加減だが、雪に埋まって道路に車が放置されたという状況を、思い出すことが出来る。
いずれにしろ、寒いと感じ、さらに一旦暖かくなって、また寒くなることは普通で、それで寒さも続くとさすがに、身の危険というものを意識する。それで、なお今まだ生きていることは、大仰な言い方をすれば、幸運の星のもとに生まれたとしか言いようがないとも、思ったりもする。
やたら寒いが、歩かないと心配だから、それからまだそんなにひどい雨風でもなかったから、外に出たが、かなり寒く、でも今年、いやこの冬一番の寒さかというと、これは違うような気がする。無事帰って来てからの方が、さらに寒い思いをした。雨のままだが風がひどく、これが歩くときなら、無論止めた。その判断は、付く。
寒いけど、フキの芽は1月の半ばに見つけた。フキノトウにもなっていない。妙な言い方だが、そう思う。お寺にあるもの。
大きさは、2、3cmというところ。
同じ場所の、梅の蕾。これそのものは大きくなっている気配はないが、ファイルを大きくしてみた。
いかにも寒そうである。固く閉じている。
きのうの朝、山の方を見ていたが、ふと視野になぜかカラスの小集団が入ってきて、何かがあるのか少し不思議な気がした。
カラスが集まってその辺りの、電柱なり、電線に止まってかなり激しく鳴きあうことは何度もあるようで、しかしなぜそんなことになるのかは、これはまったく見当も付かない。これは、山の方角から手前に飛んできているが、夕刻にはときに、この反対方向へカラスが飛んでいるのを見ることもある。