朝はかなり寒く、それから、見えていた月も、空の中に消えていって、先ほどの月の姿は本物だったのか、キツネにつままれたのか、など思ったりする。
寒い中、寒い思いで体を動かす。思い出されることはいい事だけにしておくこと。そうでないと、どうも顔付きがよろしくない。鏡に写る自分を顔を見ると、恐ろしくなる気もするから、これはどうしたことだろうか。何かがのりうつったのか、それにしても自分の感情とかなりかけ離れている表情がそこにあって、それから、血のつながりのある人間を想像する。
いつの時間か曖昧だが、かなり寒かった朝も時間ともに暖かになる。お天気のことなど少し前に見ていれば思い出すこともあるが、そうでないと、ホンの少し前のお天気も忘れてしまう。日が出ていたような気がする。そうゆうことにしておかないと。寒さも、彼岸までというが、その彼岸までまだ一月はある。これからも、また寒くなるし、春も名のみのものと昔から決まっていて、暖かい冬が来れば、その後の春は寒い。
何か、変化があればそれに対して、元に戻ろうとする力が働くのは必定のようである。温暖化が普通の出来事のようで、そうでない方向に力が働くことはないように思えるが、それは別の問題として、その力が目に見えてくるのではないか。ただ、地球の温度が上がって、氷が溶けてという直接的なものだけではなく、すでに過去に現われているかも知れない、忘れ去られた形の力も、現われてきそうである。
外は青空であって、しかし着ているものは真冬のそれで、これでちょうどよかった。風も弱めである。雪は、また新たに積もり、一部は道の真ん中にもある。それが日に当たって溶けている。きのう歩いていたら、噴水が激しかったが、今日はさすがにそれはない。それから、ふと体を真っ直ぐに伸ばすと、目の前にある、ある梅の木に、小さな白い花が、一つ、二つ咲いているのを見て、ことし初めて見る梅の花だと思った。探してみればあるものである。道路の南側に面していて、その木はかなり高く、また花も高い枝に小さく咲いていて、これはもしかして、猫背のままなら見つからなかった。これに少し元気をもらった。それなら、もしかしてと。もう一つの梅の花が咲いている可能性のあるところに、それは歩いている道を少し変えればすぐに着いてしまうところで、こっちを歩いていても、必要とするエネルギ、カロリでいえば違いはない。そこに行くと、予想より梅の蕾は大きくなっていて、行った甲斐があったというものだが、しかし、ほころび始めているというのが精一杯の言葉である。
背中が熱くなるのがだんだんとわかってきた。何しろ、真冬の格好でしかも北側に向かって歩いていて、背中に、あと一月足らずで春分を迎える太陽の光を浴びているから、それも当然であった。このまま、北に向かうと海に出てしまう。ここはかなり手前で180度回転して、南へと向かう。そうして、大したことのない、ちょっとした運動をしたわけだが、汗をかいていた。で、
新聞を見るのは、夕方というか、もう夜である。さらにTVの画面を見るが、近くのところで、高波の被害が出て、なくなられた方もいれば、大きな被害を受けた方々も多い。これまた、どうしてと思う。ごく近くで、海水の浸水の記事も出ている。そういえば、少し前に帆船が座礁したこともあった。なにも知らないで、きのうも外を歩いていた。自分のいるところは安全と思っているが、いつ何時、自分がそうゆう被害にあうかわからない時代になった、とあらためて思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/53/47b08a82d21f22903c4ce08f2b08e038.jpg)
オオイヌノフグリのちょっとした群生を見つける。この青さはよすぎる、本物と遠い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/63/618bdd2356affbe984db5642cc371994.jpg)
膨らんで来た、梅の蕾。この大きさは、一番合焦しにくいもので、その中に、2、3枚いいのがあった。日当たりがいい場所、そういえば、まわりに比べて風も穏やかである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ae/c0de6ca2a23823a42b27ddd7145319e8.jpg)
そのときはわからなかったが、ちょっとだけ開きそうな蕾もあった。もう少しであるが、ここからがまた大変で、この先のお天気次第というところである。
寒い中、寒い思いで体を動かす。思い出されることはいい事だけにしておくこと。そうでないと、どうも顔付きがよろしくない。鏡に写る自分を顔を見ると、恐ろしくなる気もするから、これはどうしたことだろうか。何かがのりうつったのか、それにしても自分の感情とかなりかけ離れている表情がそこにあって、それから、血のつながりのある人間を想像する。
いつの時間か曖昧だが、かなり寒かった朝も時間ともに暖かになる。お天気のことなど少し前に見ていれば思い出すこともあるが、そうでないと、ホンの少し前のお天気も忘れてしまう。日が出ていたような気がする。そうゆうことにしておかないと。寒さも、彼岸までというが、その彼岸までまだ一月はある。これからも、また寒くなるし、春も名のみのものと昔から決まっていて、暖かい冬が来れば、その後の春は寒い。
何か、変化があればそれに対して、元に戻ろうとする力が働くのは必定のようである。温暖化が普通の出来事のようで、そうでない方向に力が働くことはないように思えるが、それは別の問題として、その力が目に見えてくるのではないか。ただ、地球の温度が上がって、氷が溶けてという直接的なものだけではなく、すでに過去に現われているかも知れない、忘れ去られた形の力も、現われてきそうである。
外は青空であって、しかし着ているものは真冬のそれで、これでちょうどよかった。風も弱めである。雪は、また新たに積もり、一部は道の真ん中にもある。それが日に当たって溶けている。きのう歩いていたら、噴水が激しかったが、今日はさすがにそれはない。それから、ふと体を真っ直ぐに伸ばすと、目の前にある、ある梅の木に、小さな白い花が、一つ、二つ咲いているのを見て、ことし初めて見る梅の花だと思った。探してみればあるものである。道路の南側に面していて、その木はかなり高く、また花も高い枝に小さく咲いていて、これはもしかして、猫背のままなら見つからなかった。これに少し元気をもらった。それなら、もしかしてと。もう一つの梅の花が咲いている可能性のあるところに、それは歩いている道を少し変えればすぐに着いてしまうところで、こっちを歩いていても、必要とするエネルギ、カロリでいえば違いはない。そこに行くと、予想より梅の蕾は大きくなっていて、行った甲斐があったというものだが、しかし、ほころび始めているというのが精一杯の言葉である。
背中が熱くなるのがだんだんとわかってきた。何しろ、真冬の格好でしかも北側に向かって歩いていて、背中に、あと一月足らずで春分を迎える太陽の光を浴びているから、それも当然であった。このまま、北に向かうと海に出てしまう。ここはかなり手前で180度回転して、南へと向かう。そうして、大したことのない、ちょっとした運動をしたわけだが、汗をかいていた。で、
新聞を見るのは、夕方というか、もう夜である。さらにTVの画面を見るが、近くのところで、高波の被害が出て、なくなられた方もいれば、大きな被害を受けた方々も多い。これまた、どうしてと思う。ごく近くで、海水の浸水の記事も出ている。そういえば、少し前に帆船が座礁したこともあった。なにも知らないで、きのうも外を歩いていた。自分のいるところは安全と思っているが、いつ何時、自分がそうゆう被害にあうかわからない時代になった、とあらためて思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/53/47b08a82d21f22903c4ce08f2b08e038.jpg)
オオイヌノフグリのちょっとした群生を見つける。この青さはよすぎる、本物と遠い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/63/618bdd2356affbe984db5642cc371994.jpg)
膨らんで来た、梅の蕾。この大きさは、一番合焦しにくいもので、その中に、2、3枚いいのがあった。日当たりがいい場所、そういえば、まわりに比べて風も穏やかである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ae/c0de6ca2a23823a42b27ddd7145319e8.jpg)
そのときはわからなかったが、ちょっとだけ開きそうな蕾もあった。もう少しであるが、ここからがまた大変で、この先のお天気次第というところである。