田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

手燭台に火を灯し急逝した朋を偲ぶ。 麻屋与志夫

2018-06-18 12:58:44 | ブログ
6月18日 Mon.
手燭台に火を灯し急逝した朋を偲ぶ。

●ローソクがとけてながれおちる。ローソクの涙と表現した詩人がいた。たしかにローソクが涙をこぼしているように見える。

●わたしは手燭台にローソクを灯し、部屋の明かりは消した。

●ローソクの炎がゆらぎ、本棚の本がわたしの悲しみにシンクロして波打っているようだ。

●この燭台の握りの部分に、わたしは遊び心から麻の細引きを巻きつけた。わが家にしかない一品モノ――細引きはわたしが綯い上げたものだ。家業が麻屋だった。麻を綯うのはお手の物だ。

●どこにもない、ここだけの、わが家にだけある手燭台。麻のやわらかな風味か鉄製の握りを隠した。感触もすばらしい。民芸品となった。

●その細い麻ロープを綯い合わせていたときに、星豊君(早稲田の四季の作詞家)が遊びに来ていた。熱心にわたしの作業を見ていたのを想いだした。

●麻の握りは歳月の経過とともに濃い茶色に変色した。わたしのすきなワビサビを秘めた色合いとなった。――五十年たっている。星くんとの出会いから半世紀が過ぎている。

●仄暗い書斎でゆらぐローソクの炎を見て彼を偲んだ。

●せめて、このローソクの消えるまでは、文学を仲立ちとしての豊ちゃんとの魂の交流を想い――そのepisodeのひとつひとつを心に刻み――世に出られなかった作詞家としての怨念をひきうけてやろう。

●わたしの背中には中途挫折の怨念をかかえた友だちがへばりついている。

●わたしもふくめてだが、文学作品で脚光を浴びるのはたいへんなことだ。

●背中に累積する怨念の重みに耐えてわたし自身、これから精進をつづける。死ぬまでつづける。

●なぜなら、これら同時代の、世に出られず憤死した友だちの怨念を継承していくものはわたしだけになったから――。それだけわたしも長いこと挫折と怨念の人生を生きつづけていることになる。



 今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


にほんブログ村



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 早稲田の応援歌。「早稲田の... | トップ | You might think but today`... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ」カテゴリの最新記事