田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

日光下駄の思い出。 麻屋与志夫

2014-02-28 03:38:48 | ブログ
2月28日 金曜日

●ほとんど雪も解けた。
これでまた雪が降らない限り、鹿沼の里にも春が来る。

●日陰には雪が残ってはいるが、これはまったく日の当らない場所でのことだ。

●残雪を二階の書斎から見下ろしていた。
『雪の朝二の字二の字の下駄の跡』という句がある。
靴の跡がまだ残っている個所があった。

●むかしは、この二の字が雪解けともなるとすごく大きくなった。
下駄の跡というよりも、俎板の跡と言う感じだったものだ。
わたしが子どもの頃、わが家で母が使っていた木製の俎板は左右に下駄の歯のような足がついていた。

●そういえば、下駄の歯の『すげかえ』なんでこと、今のひとは知らないのだろうな。
旧制中学に入った時、先輩が『ホウバの高下駄』で通学しているのを見て憧れたものだ。
この朴の木の歯はすげかえることが出来た。
なんともエコな時代だった。ものを大切にする伝統がまだあの頃まではあった。

●下駄は目上の人には送らない。
という風習がある。
と書いて履物業界からクレームがついた事件があった。

●でもわたしは二度にわたり履物を贈ったことがあった。
ばじめは、恩師木村学司先生に。
先生が病気をした後で、早くこの畳みを張った日光下駄で散歩できるようになってください。
という言葉を添えて柿の木坂の近くのご自宅まで持参した。
先生はこの鹿沼出身だったので日光下駄を大層喜んでくださった。

●もう一足は、シナリオ研究所で一緒だった松元力君。
当時は目黒の三田に住んでいた。
――後にオバQの脚本を書いて人気を得た。
彼は麻布霞町にあった研究所へもよく下駄ばきできていた。
下駄がすきだった。
まだ元気なのだろうな?

●残雪をみながら記憶の端に残っている想いでにひたった。

●粋がっていますが、やはり歳ですね。




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