ねこ庭の独り言

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『憲法・新版』 - 2  ( 西洋かぶれ )

2021-08-29 14:26:23 | 徒然の記

 芦部氏に限ったことでありませんが、憲法学者は大抵が「西洋かぶれ」す。「列強の侵略」に危機感を抱き、「西洋に追いつき追い越せ」の時代でもないのに、平成時代になっても彼らは、フランスやイギリスやアメリカを過大に評価し、日本を蔑視しています。

 6ページにその良い例がありますので、転記します。

 「中世の基本法は、貴族の特権の擁護を内容とする、」「封建的性格の強いものであり、それが国民の権利、自由の保障と、」「そのための統治の原則を持つ、近代的な憲法へ発展するためには、」「ロックやルソーなどの説いた、近代自然法思想によって、」「新たに裏付けられる必要があった。」

 少し読みやすくなっているのは、過剰な修飾語を減らし、繰り返しの言葉を省いたせいです。原文の煩雑さは、変わらないということを付け加えておきます。

 近代自然法思想を、氏は3つの要素に分解しています。

  1. 人間は生まれながらにして自由・平等であり、生来の権利(自然権)を持っている。

  2. この権利を確実なものとするため社会契約を結び、政府に権力の行使を委任する。

  3. 政府が権力を恣意的に行使し、人民の権利を不当に制限する場合は、人民は政府に抵抗する権利を有する。

 「このような思想に支えられて、1776年から89年にかけて、」「アメリカの諸州法、1788年のアメリカ合衆国憲法、」「1789年のフランス人権宣言、91年のフランス第一共和制憲法などが制定された。」

 氏はここで、憲法が成文の形式を取る理由についても、説明します。

  1. 成文法は慣習法に勝るという、近代合理主義がある。

  2. 国家の基本的制度に関する定めは、文章化しておくべきという思想がある。

  3. 最も重要なのは近代自然法学の説いた、社会契約説である。

  4. 国家は、自由な国民の社会契約によって組織され、その契約を具体化したものが憲法である。

  5. 契約である以上、それは文書の形にすることが必要である。

 それならば、慣習法が主体となっているイギリスはどうなのかと、疑問が生じます。そんな読者のため、忘れずに、小さな文字で注釈を入れています。

 「イギリスには、憲法典が存在せず、種々の歴史的理由から、」「実質的意味の憲法は、憲法慣習を除き、」「法律で定められているので、国会の単純多数決で改正することができる。」「このように、通常の立法手続きで改正される憲法を、」「軟性憲法という。」

 憲法改正を望まない氏は、イギリスに深入りせず、学生への説明を曖昧な文章で終わらせています。学者がルソーを高く評価するのは当然でしょうが、芦部氏のような「西洋かぶれ」は、フランスやアメリカと比較して、日本をこき下ろすところが問題なのです。

 「アメリカ合衆国憲法」と「フランス人権宣言」の出された年を、ネットで調べますと、およそ日本では寛政元年の頃になります。

 ・近江彦根藩・第10代藩主、大老井伊直幸

 ・儒学者・三浦梅園

 ・長州藩・第7代藩主、毛利重就

 代表的な人物として、二人の殿様と学者が亡くなっています。水戸の浪士に桜田門外で暗殺された井伊直弼は、15代の藩主ですから、「アメリカ合衆国憲法」と「フランス人権宣言」の出された年は、この事件発生のおよそ70年前の出来事です。

 わざわざ、日本の同時期を引き合いに出しているのには、訳があります。芦部氏が説明している、「アメリカ合衆国憲法」と「フランス人権宣言」も、聖徳太子の「十七箇条の憲法」に比べれば、遥かに後世の憲法だと、それが言いたいのです。

 西暦で言えば、「十七箇条の憲法」は604年の制定ですから、「アメリカ合衆国憲法」より1184年前のものです。憲法学の泰斗として学生に講義をするのなら、せめて「十七箇条の憲法」の名前だけでも、触れなくてどうするのかと、そんな疑問が湧いてきます。

 「素晴らしい」とか、「時代の先端をいく」などと、余計な修飾語は要りませんが、1100年も前に日本が制定した憲法について、一言も語らないのですから、「西洋かぶれ」と言いたくなります。

 本題を外れますが、次回はこの点について述べます。

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