ねこ庭の独り言

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『 最後のご奉公』 - 5 ( 「現実主義的外交」と「理想主義的外交」 )

2021-08-14 18:31:46 | 徒然の記

 「明治維新後、近代国家として出発した日本は、」「明治、大正と約半世紀にわたって、」「苦難の道を歩んできた。」「その道程を振り返ると、外交の面では大きな二つの潮流があった。」

 174ページで、著者の塩田氏が述べ、その二つを説明しています。

  1.  「現実主義的外交」

   ・  現実の政治世界の中で、日本がどのような状況に置かれているのかを見る。

   ・  国防、経済など、あらゆる角度から慎重に検討する。

   ・  現実から離れた、無謀な背伸びや野心を極力排する。

   ・  実現可能な目標を、着実に達成していく。

  2.  「理想主義的外交」

   ・  日本の特殊性を強調し、日本独自の外交理念を高らかに打ち出す。

   ・   世界政治の現実と関わりなく、日本の理念を実現しようとする使命感を持つ。

  第1. の流れは、欧米列強が割拠する国際政治下では、列強との協調・共存の道を選ぶこととなり、慎重で合理的ですが、地味で打算的だと説明します。一方、第2. の流れは、明治の終わりから大正にかけて、国力の充実に伴い、「現実主義的外交」に飽き足りない者が唱え出したと言います。

 第一次世界大戦が始まる頃、従来の西欧的政治秩序が瓦解し始め、世界は混迷と模索の時代に入りました。日本でも、伝統的な西欧追従外交に対する批判が、高まり始めます。

 「理想主義的外交が幅をきかせ始めると、それはまず、対中国政策に変化が現れた。」「 " 対華21ヶ条の要求 "  に代表されるような、積極的な大陸政策が、展開されるようになった。」

 「このような潮流の中で、幣原は日本の外交路線を、」「もう一度、伝統的な現実主義に戻そうとしたのである。」

 ドキュメント作家だからと言って、事実に基づき、正く書いているのでないことが、ここで分かりました。作り事というのでなく、事実の取り上げ方次第で、中身が変化するという発見です。幣原元総理に好感を抱いていますから、氏は「現実的外交」が正しいとする文章を書きます。

 林房雄氏は、昭和59年に書いた『大東亜戦争肯定論』の中で、別の意見を述べていました。氏は、欧米列強がアジアを侵略した幕末以来、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦を含め、敗戦に至るまでを、「大東亜百年戦争」という捉え方をしています。

 東京裁判以降に世間を支配した、「恥ずべき日本軍の独走」「日本の侵略主義」という日本国悪人説を否定する意見です。詳しく述べませんが、息子たちに知って欲しいのは、作者の姿勢次第で、歴史の解釈が変わるという事実です。良い悪いの判断を別に置き、この点を確認した上で、塩田氏の著作に戻ります。

 大正12年に、ワシントン軍縮会議を終えた時の、幣原氏の言葉を紹介しています。アメリカのウィルソン大統領が提唱した、国際連盟が誕生した時でもありました。

 「これからの世界政治は、米英が指導するデモクラシーが基調となるに違いない。」「わが日本も、デモクラシーを代表する米英と手を携えて、」「人類の平和と福祉に貢献しなければならない。」

 「対外政策は武力という直接手段でなく、外交に負うところが多くなる。」「われわれの出番が、ますます増えてくる。」

 こうして氏は、ロシアの脅威に対抗する目的で締結された、「日英同盟」を廃棄しました。日英同盟は、日本が中国への膨張政策を展開する上で、大きな役割を果たしていましたが、幣原氏はそれを承知の上で、廃棄を決めました。同時にベルサイユ条約により、ドイツから継承していた山東半島の領土も、中国へ返還しました。

 幣原氏の働きぶりを見て、欧米の政治家や外交官は、最大級の賛辞を送ったと言います。以後氏の「平和外交」・「欧米協調外交」が、「幣原外交」として知られるようになります。

 私から見ますと、幣原氏の意見は本当に「現実主義的外交」なのか、むしろ「理想主義的外交」でないのかと、そんな気がしてなりません。「対華21ヶ条の要求」を出したのは、義兄である加藤高明外相でしたのに、氏は本気で反対していますから、信念のある外交官とも言えます。

 外交問題はこれからも出てきますので、今回は、「冷徹な幣原外交」にまで言及せず、息子たちへの、第一回目の報告にとどめておこうと思います。

コメント (2)
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