ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

何度でも変節した、宮沢俊義氏

2021-08-25 18:45:33 | 徒然の記

 マッカーサー元帥は、大抵のことでは驚かないと自慢していましたが、私は凡人ですから、何にでも驚きます。

 最近の私は、憲法問題に絡んで、宮沢俊義氏を強く批判しています。GHQに協力し、悪法「日本国憲法」の成立に手を貸した、とんでもない学者です。神話を否定する論を述べながら、軍の力が強くなると、天孫降臨の憲法を説くようになったりしました。GHQが来ると迎合し、再び神話否定の憲法学へ戻り、「8月革命説」などを考え出し、明治憲法と日本国憲法の関係を説明する、悪知恵を働かせました。

 敗戦後の日本で、どさくさに紛れ、数々の日本崩壊政策を進めたホイットニー准将と似たような動きをした人物と、今でもそう考えています。二、三日前から、芦部信喜氏の「憲法」を読んでいますが、宮沢氏の顔がチラついて離れません。まだ18ページですが、芦部氏は、あちこちで宮沢氏の説を紹介しており、いやでも思い出させられます。

 それで、何が驚くことなのかと、せっかちな息子たちが尋ねそうなので、話を本題へ戻します。

 なんと4年前の、平成29年に、宮沢俊義氏の著「憲法講話」(昭和42年刊 岩波新書)を、読了し、ブログに残していました。当時はまだ、勉強が足りなかったのか、あまり氏を意識せず、普通の態度で読み終えています。つまり、悪口を言わず、やたら批判をせず、行儀の良い学徒として書評を述べています。

 どうして気づいたのかと言いますと、「ねこ庭」を訪問される方のおかげです。グー・ブログの「アクセス解析画面」を見ますと、訪問された方の「アクセスページ」が、10件表示されます。何人の方が見ているのか、数字も示されます。

 ここ数日「憲法」というタイトルのページが、繰り返し表示されます。自分で書いていながら、記憶にないタイトルなので、探してみて驚きました。何と、4年前の宮沢俊義氏の著「憲法講話」の書評でした。

 「憲法改正」を願ってやまない私は、『最後のご奉公』だけでなく、憲法について何度も述べ、必ずGHQと宮沢氏に言及しています。「ねこ庭」を訪問される方の中には、本人の私が忘れている過去のブログを探し、合わせて読んでおられることが分かりました。

 他の人のことは知りませんが、これは私にとって、驚き以外の何ものでもありません。そんな真面目な訪問者もおられるのだという、驚きです。私は口で言うほど立派なことを、日常生活では実行していません。どちらかといえば、国会議員諸氏に似た、口先先行で、実行の伴わない凡俗です。だから真面目な人に出会うと、敬意を表し、その時は自己反省します。

 今回のテーマは、「何度でも変節した、宮沢俊義氏」を、4年前のブログで発見した、その驚きについてです。( 過去ブログのことなので、つまらないと思われる方はスルーしてください。)

 「氏の略歴を知らずにこの書を読めば、博識の教授に敬意を表すると思います。」「また実際、傾聴すべき意見も沢山ありました。」「例えば、明治憲法を復活しても、そのまま現在に通用するから、現行憲法は不要だと、」「そのような意見がありますが、氏はこれに異を唱えます。」

 「説明を聞きますと、なるほど明治憲法は、そのまま現在の日本には通用しません。」「憲法を超えた天皇の " 統帥権 " が、再び軍による政府の軽視を引き起こす危険性について、説明しています。」

 「統帥権は、政府から独立し、天皇自らが行使するという建前になっていましたため、」「天皇への助言者は、陸軍は参謀総長で、海軍は軍令部総長でした。」「軍務に関しては、結局陸軍と海軍が実質的決定権者となり、」「議会のコントロールが及びません。」「婉曲ではありますが、氏はこれを明治憲法の欠陥とし、悪法のように語ります。」

 書き出しの部分ですが、現在のように氏を容赦なく批判していません。たくさん書いていますので、興味深い部分だけを引用します。

 「押しつけ憲法なのか、そうでないのか、相反する事実が沢山あり、いろいろな意見が流布しています。」「それでも冷静に観察すれば、GHQの提示した憲法も、外圧の一つです。」「押しつけられたのか、利用したのか、マッカーサーと幣原首相による " 阿吽の呼吸 " の産物なのか。」「今となっては、確かめようがありません。」

 なるほど、あの頃はその程度の知識だったのかと、懐かしくなります。「温故知新の読書」も、積み重ねれば無意味でないと安心します。

 「敗戦後も70年が経過すれば、現行憲法にだって不備が生じます。」「憲法一条と九条は、日本人が、叡智を絞って修正しなくてはなりません。」「つまり、〈天皇〉と〈戦争放棄〉の二つは、日本の土台なのです。」

 知識が不十分でも、大切な点への理解は、今も同じだと知る安堵もありました。少なくとも自分は、宮沢氏のような変節漢でなかったという安堵です。しかし私が発見した本当の驚きは、次の叙述でした。

 「この本で最大の収穫と感じましたのは、憲法の権威として今尚、日本人に尊敬されている氏が、次の3点を明確に述べているところでした。」

  1.   現行憲法は、押しつけ憲法の性格が強いこと。

        2.   現行憲法は、手続き的には明治憲法を継続しているように見えるが、実質は革命でしか施行されない形の憲法であること。

  3.   占領国による憲法作成であり、国際法違反のおそれがあるとこ。 

 つまり氏は、現行憲法は、日本人の手によって、改正されなくてならない定めにある、と語っていました。 反日・左翼学者として、氏はこの3点を率先して否定し、東大を拠点に「反日憲法」の講義を続けてきました。

 「戦争を繰り返すな」「平和憲法を守れ」と主張する、「お花畑」の学者、評論家、マスコミ人を育てました。その氏が、昭和42年の著書で、こんなことを述べていたのです。しかしもう、手遅れです。今手にしている芦部信喜氏の「憲法」は、平成11年の出版ですが、何の修正もされていません。氏の「反日憲法講義」は、一人歩きしています。

 となりますと変節した宮沢氏の意見は、芦部教授から、役に立たないものとして無視されている・・ということなのでしようか。宮沢氏は、日本国憲法の権威でなく、変節した老人として片付けられているのでしょうか。

 「左翼学界の無情さと、恐ろしさ」

 私が発見した、もう一つの驚きはこれでした。「憲法改正」は、予想していた以上に厄介で、自民党が主催する、あの「憲法講座」のお粗末さを思いますと、とても菅内閣では実現不可能と分かります。

 だが私はめげることなく、芦部氏の著作を読みます。広大な宇宙では、目にも見えない塵でしかない人間ですが、生きている限り、親の役目を果たすのも大事ですから・・ 

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