ねこ庭の独り言

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『 最後のご奉公』 - 15 ( 総まとめ - 2 )

2021-08-22 16:50:32 | 徒然の記

 「憲法に関する昭和天皇のお考え」について、述べます。参照データは、令和元年8月にNHKが放送した、『昭和天皇拝謁記』です。本来なら、外部へ洩らしてならない陛下のお言葉を、宮内庁長官田島道治氏が密かに書き残した、大量のノートと手帳をもとに作られた番組です。

 国家公務員の「秘密保持義務」に違反する、恥ずべき犯罪証拠書類ですが、NHKはこれを「歴史的第一級の資料」として、鳴り物入りで公開しました。反日左翼の学者たちが集まり、陛下のお言葉の一つ一つに、皮肉な批評をつけるという醜い番組でした。

 「どこまで驕るNHK」というタイトルをつけ、怒りを込めて49 回のシリーズでブログにしましたので、覚えておられる方がいるのかもしれません。今回紹介するのは、その中の、「憲法に関する昭和天皇のお考え」の箇所です。  

 昭和27年2月11日から、2月26日までの、4回の拝謁時のお言葉で、田島長官が逆らっている様子も書かれ、反日学者の注釈が添えられています。本論に入る前に、『昭和天皇拝謁記』の書かれた昭和27年がどのような年であったかを、ネットで検索してみました。
 
 ・ 連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥が、トルーマン大統領により解任され、4月にマシュー・リッジウェイ大将が就任した。
    ・ 「日米安全保障条約」の調印後、半年が経過していた。
 ・   内閣総理大臣: 吉田茂   内閣官房長官:   保利茂 
 ・   衆議院議長 : 林譲治   参議院議長  :   佐藤尚武
 
 これを予備知識として、NHKの「WEB  NEWS」から再度転記します。
 
 【 昭和27年2月11日拝謁時のお言葉 】 
 
陛 下
 「私は、憲法改正に便乗して、」「他のいろいろのことが、出ると思って、否定的に考えていたが、」「今となっては、他の改正には一切触れずに、」「軍備の点だけ、公明正大に、堂々と改正した方が、」「いいように思う。」
 
 【 昭和27年2月16日拝謁時のお言葉 】
 
陛 下
 「再軍備に関して、憲法改正の方が良いと、」「吉田に言っても良いか。」
  (  田島長官が尋ねられ、それを止めています。)
 
   【 昭和27年2月18日拝謁時のお言葉 】
 
陛 下
 「吉田には、再軍備の事は、 憲法を改正するべきだという事を、」「質問するようにでも 、言わぬ方がいヽだらうか。」
 
田島氏
 「呼び出すのは、よろしくありませぬが、吉田が皇居に来た際なら、」「だいぶ国会で、再軍備問題で、議論があるやうだが、」「一体どうかという程度の、陛下の御考を仰せになりませぬ形で、」「御質問になる程度は、およろしいかと存じます。」
 
 【 昭和27年2月26日拝謁時のお言葉 】
 
陛 下
 「軍備といっても、国として独立する以上は、必要である。」「かっての、軍閥が悪いのだが、」「それをアメリカは、何でも軍は、全部軍閥だという様な考えで 、ああいう憲法を、作らせるようにするし・・・」
 
 (  戦前のような軍隊を否定しつつも、独立時の再軍備は必要だという認識を、重ねて示すとともに、戦力の保持を禁じた 憲法9条の制定過程に、不満をにじませる様子がうかがえます。)
 
 (  )内の言葉は、この番組を作った反日・左翼学者の註釈です。「国として独立するには、軍備が必要である。」という陛下のお言葉は、常識として当然のことですが、学者たちは、何か間違った意見を言われているかのような、説明文にしています。
 
 番組を見ていますと、ウイロビー准将と芦田総理の権力を後ろ盾に、宮内庁長官田島氏が、昭和天皇を追い詰めている様子が窺われます。保守の顔をした獅子身中の虫が、陛下のお側でどの様な動きをしていたのかを知らされました。

 別に調べたネットの情報だったのか、記憶が確かでありませんが、以前のブログから転記します。

 「昭和23年6月、芦田均首相によって、田島が宮内府長官に任命された。」「昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに、難色を示していたが、」「芦田は、宮中改革を実行するため、交代を断行した。」
 
 こういう経緯で就任した長官ですから、陛下をお支えするというより、監視役のような不遜な働きをしています。「戦争放棄」を謳った憲法の思想が、「平和憲法」として皇室内に浸透するよう、周到な計画をしています。
 
 軽井沢のテニスコートで、上皇陛下と美智子様が出逢われ、「テニスコートの恋」として有名になりましたが、お二人の出会いを準備したのは、田島道治、小泉信三、三谷隆信の三氏でした。
 
 美智子さまはキリスト教徒でありませんが、キリスト教の教えを守っておられる方で、才色兼備の願ってもないお妃候補でした。美智子さまは、三人の敷いたレールの上を走らされた方であり、ネットでは次のような意見がありました。
 
 「明仁皇太子も、ヴァイニング女史の指導で、キリスト教的世界観の影響のもとで育っていた。」「皇太子と美智子さまは、キリスト教という絆で結ばれた夫婦だった。」「だから、昭和天皇が激怒されても、美智子さまは、キリスト教を捨てることができなかった。」
 
 私以外にこのような意見を言う人はいませんが、昭和天皇の憲法改正のお気持ちを、皇室から消してしまわれたのは、美智子様でした。上皇陛下も天皇陛下も、誕生日の会見時に必ず次のように言われます。
 
 「憲法を遵守し、象徴天皇として、誠実に勤めを果たしていきたいと思います。」
 
 私たち国民が、「憲法改正」を悲願としていても、両陛下のお言葉が厚い壁となります。そろそろ私たちは皇室を含め、GHQの呪縛を卒業し、日本の独立を取り戻さなくてなりません。私たちがやるべきことは、ハッキリしています。
 
  「昭和天皇のお言葉に戻れ」・・・この一言です。
 
 塩田氏の書評からだいぶ外れましたが、今回で『 最後のご奉公』 の書評を終わります。暑い中にもかかわらず、「ねこ庭」をご訪問頂いた方々に、厚くお礼を申し上げます。
コメント (6)
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