ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 最後のご奉公』 -10 ( 国を裏切った変節学者 )

2021-08-18 16:50:16 | 徒然の記

 令和3年8月9日月曜日は、オリンピック閉幕の日でした。この日の千葉日報に共同通信社が、国民の怒りを誘うニュースを二つ配信しました。中国と韓国に関する報道です。

 1. 中国関連の記事の見出し・・「尖閣侵入の再発防止要求」「日本、中国船の漁期前に」

 2. 韓国関連の記事の見出し・・「IOC 旭日旗を禁止」「韓国五輪委員会と協議」

 尖閣諸島は日本の領土であるにもかかわらず、中国は日本の実効支配を妨害し、最近は自国の領土だと主張し始めました。日本の抗議を無視し、連日武装した大型公船が、領海侵犯を繰り返しています。漁期には豊富な漁場を狙い、三百隻以上の中国漁船が大挙して押しかけ、海上保安庁は為されるがままです。

 中国が決めた禁漁期が間も無く開けるため、政府が、再発防止を中国に求めたという記事です。これに対し中国は、

 「日本は、尖閣周辺に、日本漁船を入らせないようにすべきだ。」

 ・・と回答しています。日本の領土であるにもかかわらず、武力行使のできない自衛隊はなすすべもなく待機し、政治家は「遺憾」「遺憾」と、語るのみで時間だけが経過しています。

 これが 1.  番目の記事で、2. 番目の記事は、IOCが、韓国オリンピック委員会の要求を聞き入れ、オリンピックに関し「旭日旗」の使用を禁止したというものです。宮沢教授は個人として変節し、恥も捨て意見を変えましたが、韓国は政府として、国全体として恥を捨て変節します。

 旭日旗だけでなく、慰安婦問題、徴用工問題、軍艦島の強制労働などと、捏造の話で難癖をつけます。先の大戦では、日本軍の一員として連合国と戦いながら、韓国は戦勝国の仲間だと主張しています。強国に挟まれた弱い国の生き方なのでしょうが、昔から清国に従い、ロシアに膝を曲げ、アメリカの機嫌を取り生きてきました。

 列強の仲間入りをしていた頃の日本にも、従っていましたが、敗戦と同時に態度を変え、無力だと分かると、居丈高になりました。中国に似た言いがかりをつけるようになり、今回の記事もその流れにあります。

 彼らは、日の丸と同様旭日旗を、侵略と軍国主義の象徴だと非難し、ことあるごとに難癖をつけます。旭日旗は海上自衛隊では、国旗と共に掲げられる「自衛艦旗」で、陸上自衛隊も戦車や他の車両に「車旗」として公式に使っています。

 何を血迷っているのか、オリンピックの最中に横車を押し、IOCの決定をもぎとりました。これについて政府や政治家が何と言っているのか、記事には何も書かれていません。

 政治家たちは、国を守る気概を失い、「愛国」と言う言葉さえ忌避し、ならず者のような中国、韓国・北朝鮮に反論をしません。自民党の不甲斐なさに加え、野党は全て反日で、敵対する中国、韓国・北朝鮮に同調しています。

 「日本だけが間違った戦争をした。」「日本だけが、他国を侵略した悪い国だった。」と、東京裁判の結果を受け入れているため、こうなっています。マッカーサーは、この思考を「日本国憲法」の中に具体化し、日本人の愛国心を崩壊させました。

 その悪法である「日本国憲法」を、GHQに協力し、成文化したのが宮沢氏です。世間では著名な学者として語られていますが、氏は間違いなく「獅子身中の虫」であり「駆除すべき害虫」です。息子たちだけでなく、「ねこ庭」を訪れる方々にも、怒りを込めてお伝えします。

 塩田氏がどんな大作を著しても、膨大な資料を調べたとしても、こうした事実に触れないのでは、何の役にも立ちません。こんな塩田氏を講師として招き、憲法講座を開くのですから、自民党の議員も、国民のため何の役にも立ちません。

 暑さのせいもあるのか、怒りは止まるところを知りませんが、ちょうどスペースがなくなりました。一休みして、頭を冷やします。

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『 最後のご奉公』 -9 ( 意外な発見 )

2021-08-18 11:43:08 | 徒然の記

 『 (宰相 幣原喜重郎)   最後のご奉公 』を、読み終えました。塩田氏の書評に傾注していますと、何のために本を読み出したのか、読書予定を忘れてしまいそうです。

 1.  塩田潮氏著『宰相 幣原喜重郎   最後のご奉公』( 平成4年刊  文芸春秋社 )

    2.  芦部信喜氏著『憲法・新版』( 平成11年刊  岩波書店 ) 

 元々のきっかけは、8月2日の千葉日報に、共同通信社が配信した記事でした。

 「戦後日本を代表する憲法学の権威で、多くの大学で教科書として使われる、」「『憲法』(岩波書店) の著者、故芦部信喜東大名誉教授が、日本国憲法発布直後の1946年11月15日、」「23才で書いた論考の存在が、今年6月明らかになった。」

 芦部教授は、「現行憲法」を信奉する学者です。憲法改正が語られている今、共同通信社はなぜこのような記事を全国に配信するのか。疑問を抱いた私は、読書予定を変更し、たまたま本棚にあった上記二冊を手に取ったという経緯でした。

 塩田氏の著書の452ページにある次の叙述に、注目しました。

 「商法の大家として知られる松本烝治は、昭和20年10月、幣原の組閣本部に呼ばれた時、憲法問題を担当ということになった。」

 「松本は入閣すると、閣内に憲法問題調査委員会を設置させ、自ら委員長を引き受けた。」「別名松本委員会と呼ばれたこの会は、憲法学の最高権威と言われる、」「美濃部達吉ら三人を顧問に据え、東大の宮沢俊義ら12人の委員を擁して発足した。」

 組織は極秘とされ、メンバーの名前も同様の扱いでした。この時私は、「変節した学者たち」というタイトルで書いた、自分のブログを思い出しました。

 政府が憲法改定の検討を開始し、GHQも改定の意向があるとされる中で、昭和21年に東大総長の南原繁氏が、学内に「憲法研究委員会」を創設しました。左翼系の教授を集め、連合国軍の動きに合わせ、憲法改定案を作るという目的でした。南原氏は研究会の委員長に、当時一流の憲法学者と言われていた宮沢俊義氏を当てました。

 メンバーの一人だった、我妻氏の回顧談があります。

 「多数のすぐれた学者を持つ、東京帝国大学としても、」「これについて、貢献する責務があると考えられたからであろう。」「発案者は南原総長であったが、学内にそうした気運がみなぎっていたことも、確かであった。」

 これまで何度か紹介していますが、再度「憲法研究委員会」のメンバーを転記します。

 委 員 長 宮沢俊義(法学部)

 特別委員 高木八尺(法学部)  杉村章三郎      岡 義武  末弘厳太郎

      和辻哲郎(文学部)  舞出長五郎(経済学部)

 委  員 我妻 栄(法学部)  横田喜三郎      神川彦松  尾高朝雄

      田中二郎      刑部 荘       戸田貞三(文学部) 

      板沢武雄      大内兵衛(経済学部)  矢内原忠男

      大河内一男    丸山真男(法学部助教授) 金子武蔵(文学部助教授)  

 つまり宮沢氏は、政府の極秘組織である「憲法問題調査委員会」の委員と、兼務していたことになります。氏は当初、松本国務大臣と同じ考えをしていました。

  ・ 大日本帝国憲法の部分的改正で、ポツダム宣言に十分対応可能だ。憲法改正の必要なし。

  ・ 日本国憲法は、日本国民が自発的自主的に行ったものではなく、押しつけ憲法だ。

 氏の変節の理由について、駒澤大学名誉教授の西修氏が次のように述べていました。

  ・「東京帝大教授で憲法の権威であった宮沢には、GHQから相当の圧力があったであろう。」 

 西教授は、変節の経緯を語っていました。

  ・「当初は、大日本帝国憲法の講義の際、憲法第一条から第三条まで、これは伝説です。」「講義の対象になりません。省きます、として、進歩的立場を示していた。」

  ・「美濃部達吉の天皇機関説が批判されると、岩波書店から出した「憲法略説」で、主張を一変した。」

  ・「皇孫降臨の神勅以来、天照大御神の新孫この国に君臨し給ひ、」「長へに、わが国土および人民を統治し給ふべきことの原理が、確立した。」「現人神として、これを統治し給ふとする、民族的信念の、法律的表現である。」

  ・「神皇正統記の著者が、『大日本は神国なり』と書いた所以も、ここに存すると、」「その主張は、神権主義に変化した。」

  ・「敗戦後、松本烝治憲法大臣と美濃部教授とともに、助手として帝国憲法改正作業に従事していた時、」「外務省に対して、憲法草案について、新憲法は必要なしとアドバイスしていた。」

  ・「占領軍が、松本大臣を嫌っていることを知ると、氏は彼らを裏切った。」「ここで占領軍に取り入れば自分は神のごとき権威になれると判断した。」「GHQは権力を振りかざすことはできても、細かな国際法や憲法学の議論ができなかったからだ。」

  ・「占領国による、被占領国の憲法改正が、国際法違反であるということを、GHQも認識していた。」「本来は無効である、日本国憲法の正当化理論を、宮沢氏はひねり出した。」

  ・「その詭弁が、" 8月革命説 "だ。」「つまり、昭和20年8月15日に、日本では革命が起きていた。  」「日本は天皇主権の君主国から、まったく別の国民主権の共和国になった。」「すなわち、昭和天皇が、共和国の初代天皇になる。」

 昭和革命説について、私は一度も聞いたことがありませんでした。宮沢氏がこんな説を主張したとすれば、ペテン師の話に聞こえますが、同様の情報がネット上にありますので、あながち西氏の作り話とも思えません。

 氏は、昭和42年の著書『憲法講話』(岩波新書)で、「天皇はただの公務員だ」と述べています。死去する年の昭和51年の著書『全訂日本国憲法』(日本評論社)では、「天皇は、なんらの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在。」と解説しています。

 書評を外れますが、宮沢俊義氏については、この際きちんと説明しておかねばなりませんので、次回も続けます。
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