氏の著書から、記者の証言の続きを紹介予定でしたが、書評を離れ、別途調べたことを報告しようと思います。参考になるのか自信がありませんが、氏の著書の証言だけでなく、世間では多くの人々が論争していたと、息子たちに伝えたくなりました。
日本では昭和45年から「南京事件論争」というものが、幾つもありました。虐殺の有無や規模などを論点とした、長期にわたる論争ですが、日中関係が背景にあり、常に政治的な影響を受け続けました。
発端は、昭和45年の本多勝一と山本七平氏の論争で、それ以後平成22年まで続き、今も結論が出ないままです。日本と中国の問題になっていますが、東京裁判での捏造が始まりですから、アメリカも深く関わっています。
日本の政治家はもちろんですが、論争に関わったマスコミ、学者、評論家、文化人など、誰も結論が出せませんでした。この状況を見ますと、憲法改正問題に取り組む日本がそっくり重なります。
つまり、依然として日本の国論が二分されたままであると言う状況です。事件解決の困難さを理解してもらうため、コメントなしで年代ごとの関連事件を列挙します。
1. 昭和45年代
本多勝一・山本七平( 鈴木明 )の論争
2. 昭和55年代
家永教科書裁判
楷行社出版『南京戦史』
朝日新聞による歩兵第23連隊報道
3. 平成 2年代
米中における対日賠償請求運動
天安門事件以降の中国における愛国主義教育
永野発言 ( 海軍軍令部長 )
南京大虐殺57周年世界記念会議 ( 注: 論争が国際化し、再び日本における論争が、活発化した。)
「つくる会」と歴史教科書
吉田・東中野論争(戦時国際法)
写真誤用問題
東中野修道裁判 ( 夏淑琴 名誉毀損事件 )
4. 平成12年代
百人斬り競争裁判
中国ホローコスト博物館
英語圏での研究や論説
日中歴史共同研究
5. 平成22年代
中国「全民族抗戦爆発77周年」
3.1 安部談話
抗日戦争勝利70周年式典
南京事件ユネスコ記憶遺産登録
一八事変(満州事変) 85周年
最後に、南京事件論争に関係した人物名を、大虐殺派・虐殺肯定派と、まぼろし派・虐殺否定派と中間派の三つに分け紹介します。
1. 大虐殺派・虐殺肯定派
家永三郎 井上久士 小野賢二 江口圭一 笠原十九司
高崎隆治 姫田光義 藤原彰 洞富雄 本多勝一
吉田裕 渡辺春巳
2. まぼろし派・虐殺否定派
松尾一郎 阿羅健一 藤岡寛次 黄文雄 鈴木明
石平 田中正明 富澤繁信 東中野修道 藤岡信勝
水間政憲 山本七平 渡部昇一 百田尚樹
3. 中間派
1. 日本の研究者の場合、例えば笠原十九司の様に、11万9千人以上の犠牲者を主張するが、南京城内の民間人犠牲は1万2千人程度と主張し、主たる違法殺人は中国兵への殺人であるとする。」
2. 30万人-20万人以上という数字を示すのは、次のような、中国人関係者のみである。
中華人民共和国政府
南京大虐殺記念館館長
孫宅巍 (学者。南京事件研究者)
アイリス・チャン ( 作家 )
論点は数字にあるのでなく、東京裁判の目的や仕組みですから、数字にこだわる議論に疑問を持ちます。虐殺肯定派の日本人学者は、見ればわかる通り、反日左翼思想の持ち主です。
この分類で行きますと、私は「まぼろし派・虐殺否定派」となりますが、次回からまた書評を続けます。