〈 三橋貴明氏の経歴 〉 〈 5. 三橋貴明氏の意見 〉・・21分32秒
今回から、上記二つの紹介になります。今はどうなっているのか知りませんが、以前私が「チャンネル桜」に夢中になっていた頃、三橋氏は若手論客として常例メンバーでした。
当時氏は自由民主党員で、公認を得て立候補もしていました。落選した後、自由民主党の政策を厳しく批判するようになり、遂には投げやりになっていました
「こんな自民党だったら、支持する必要はありませんよ。」
「次の選挙では、野党に入れましよう。共産党でもなんでも構いませんよ。」
チャンネル桜の座談会で息巻いているのを見て以来、私は氏への支援をやめました。どう言う状況からそのような発言になったのか、記憶していませんが、感情的になると信念を捨てる軽さに失望したことだけは覚えています。
氏はその後自分の奥さんに暴力を振い、家庭内暴力事件で逮捕され、しばらくネットの世界から姿を消しました。「日航機123便墜落事故」のお陰で、久しぶりの巡り会いになりました。
気乗りのしない再会ですが、国民の悲願である「憲法改正」問題につながる大事件なので、個人的感情を脇に置いて、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に氏の経歴を紹介します。ウィキペディアの情報です。
〈 三橋貴明氏の経歴 〉
・昭和44年生まれ、55才 本名中村貴司 日本の中小企業診断士 評論家
・平成 6年東京都立大学経済学部卒業
・卒業後、外資系IT企業ノーテル、日本電気、日本IBMなどに勤務
・平成20年、三橋貴明診断士事務所を開設しフリーランスの活動を開始
・平成21年、株式会社三橋貴明事務所(現・経世論研究所)を設立。
・平成22年、第22回衆議院議員選挙に自由民主党公認で立候補し、落選。
・自身について「保守派」「リフレ派」と名乗ったことはなく、自身が「○○派」と意識したことはないとしている。
・人権擁護法、外国人参政権、選択的夫婦別姓制度に反対
・原子力発電所については、安全性を確保した上で稼働させていくべきという立場をとっている。反原発運動を行っている人に対しても、懐疑的な立場をとっている。ただし、将来的な脱原発には賛成の立場である。
ここまでの経歴は特段コメントする必要がありませんが、氏が自由民主党から立候補し落選したのが、平成22年だったことが分かりました。私の記憶が正しかったとすれば、自由民主党への厳しい批判を始めたのはこの年以降ということになります。
ウィキペディアの説明は長いので次回も続けますが、これを読みますと、三橋氏もどこか西田氏に似た人物である気がしてきます。「保守人」らしい意見を言っていますが、肝心のところで立場を曖昧にするというのが、「経歴」から得た印象です。
日航機123便墜落事故に関し、森永卓郎、深田萌絵、西田昌司、三橋貴明と4氏を取り上げてきましたが、深田萌絵氏を除くと、あまり参考にならない人物の意見だという気がしてきました。
日航機事故が日本にとって、重大な問題を含むという事実に変わりはありませんが、発言している人物がこの有様では信憑性が薄れるのが残念です。
この点を理解した上で、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々も、次回以降をおつき合い下さい。