ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

伊藤貫の真剣な雑談 - 64 ( いいのでしょうか、明治時代の否定 )

2023-08-29 22:32:18 | 徒然の記

  10. 「伊藤貫の真剣な雑談  第10回 」 ・・伊藤貫 X 水島総特別対談 ( R4/11/12 )

 今回は、滑稽な伊藤氏と情けない水島氏の会話を紹介します。

 「だから江戸時代の末までの日本人には、天皇制( 武士道 )、儒教、仏教という3つのバックボーンがあった。ところがそれを明治政府は、廃仏毀釈という・・」

 伊藤氏の話の途中なのに、水島氏が割り込みました。

 「そこなんですよ。私はずっとそれを言って言っているんです。明治政府が皇室の祭祀を一切無くしてしまったんですよ。国学派が悪いとは言いませんが、皇国史観を西欧のようにイデオロギー化してしまい、仏教的要素がなくなってしまった。」

 水島氏は何か勘違いしているのだと思いますが、「天皇の祭祀」とは普通は次のように説明されています。

 「わが日本で、天下に君 ( きみ ) たるお方は、天神地祀 ( てんじんちぎ・天の神と地の神 ) 、百八十神 ( やおよろずのかみ ) を一年中、春夏秋冬にわたって、祭り拝むのがその仕事です。」

 欽明天皇の時代よりはるか昔から天皇がなされたきたお勤めを、明治政府が、まして国学派が無くしてしまうことは不可能です。「皇室の祭祀」は皇室がある限り、と言うより、日本が日本である限り続けられる伝統であり、文化です。伊藤氏が捏造の歴史を喋るので、無意識のうちに影響されたのでしょうか。

 水島氏の言葉は文字起こしをしてみますと、意味不明で文章がつながりません。

 「仏教的要素が無くなったことと、もう一つは儒教文化を取り入れてますが、この中の孔子孟子ですね。これはもう、世界観でも平和憲法に似たところがあって・・」

 「しかし本当は、墨子、韓非子、孫氏まで入れなければダメですよ。それが今おっしゃったように、明治時代はそういう一切を無くしちゃったんです。」

 自分が喋りたいだけの伊藤氏は、水島氏の意見を適当に聞いて中断された自分のお喋りを続けます。

 「だから江戸時代までの日本人の方が、思考力が深かった。明治以後の思考は浅いの、ペラペラ。」

 「全くその通りです。これはよく言われることだけど、日本軍の兵隊さんは戦争すると強かった。これは実は、歌だということ。日本人はよく泣きます。東條英機は戦友の軍歌が女々しいと言って、ドイツ式にしなければダメだと禁止したと言います。」

 珍しいことですが、水島氏も伊藤氏の話を聞かず、自分のお喋りを続けます。

 「平家物語からずっと、日本人は泣きながら歌を作り、歌の中で死んで行きました。それが勇気とか戦う力を産んで、それが日本人の心だったのに、近代化とか、ドイツ式とか言って、これを全部失わせてしまったのです。」

 「だからもうねえ、今の日本の知識人とか大学教授というのは、みんな小学校2、3年の時から英語ペラペラの人間を作りたいだけでしょ。」

 伊藤氏も水島氏との話の繋がりを考えず、自分のお喋りに熱中しています。

 「彼らは、それが国際化だと思っているんですよ。アメリカで30年以上住んでいる僕に言わせていただきますけどね。日本人が英語ぺらぺらになっても、ロクなことはないよ。」

 丁寧語をやめた伊藤氏は、同級生とでも話しているような口調になります。

 「何でかっていうと、今のアメリカ人は価値判断力を失ってるんですよ。イギリスだってそうでしょ。政権交代ではジタバタしているし、今度のウクライナ戦争にしても、イギリスのマスコミは行け行けどんどんのバカばっかりでしょ。」

 「全くその通り。」

 伊藤氏は他人をバカ呼ばわりしているとテンションが上がるらしく、身を捩って笑いながら、テーブルを叩いて喋ります。

 「だからね。あんたたち、英語が喋れりゃあ日本人がまともになると思ってんの。英語を喋る国際的日本人なんて、そんな安っぽいことを言うのをやめてちょうだいよと。」

 動画の時間が無くなるので、水島氏が二人の雑談の総括をしようとします。

 「全く。だからね。今日伊藤さんから出た、奈良からの仏教伝来の話の結論として、伊藤さんは神道にない、哲学とか深さを補ったんですよね。そう言うことと更に、儒教の問題、こう言う形で日本人の心を作ってきた物の哀れとか、西洋にない時間軸というものが・・」

 雑談の総括というより、取り止めのない支離滅裂さなので、文字起こしに苦労します。

 「もっと言うと量子力学みたいな、時空をちゃんとやれる、それで自分の命を考えることができるようなものが、江戸時代まではあったということです。だからおっしゃるように、明治時代というものをもう一度しっかり見直さないと・・、大東亜戦争の問題も、そこの目線を踏まえた上で総括しないとね。まあでも、おっしゃることは理解しました。その通りだと思います。本日は本当に有難うございました。」

 これが水島氏の、分かったような分からないような、不思議なまとめです。視聴者からどう言うコメントが入っているのか、興味が深まります。

 〈 コメント1. 〉 

   深刻な問題も、伊藤さんが話せば笑ってしまう好きです

 〈 コメント2. 〉 

   伊藤さんの話が一番ためになって、かつお話が面白い。いつも楽しみにしてます。 日本人はこれほど卑しい民族だったのかと。美化してたなと改めて思った。

 〈 コメント3. 〉 

   激動の2022年が明けたらさらに凶悪な世界が待っていると思った方がいいようですね。全編刺激的な対談だったのですが、特にマッカーサー回顧録の話は響きました。 でも私はこうして日本語で思考し、文章を打ち込めるだけでも「完全に屈服した」わけではないと思いたいし、そうでなければ日本人として生きている意味などないと思っています。

 〈 コメント4. 〉 

   同じ話でも、伊藤貫さんが話すととても分かりやすく納得感があります。水島さんは伊藤貫さんに最後までお話してもらった方が良かった様に思います。伊藤さんは説得力が凄い。

 〈 コメント5. 〉 

   伊藤先生の考察に賛同致します。 明治維新から失って来た思想は、神道、仏教、儒教に基づく深い【倫理観】ですね。 私が今の政治を見ていると感じる疑問と全く同じです。 金儲けの為に日本人としての心を捨てる、これほど哀れな国民はいないと思います。 日本人としての心を捨てる=人としての倫理を捨てる と強く認識する事が重要ですね。 千数百年間日本人の知の巨人達が築いた考えは、大変素晴らしいと思います<m(__)m>

 他人をバカ呼ばわりする以外脳のない「日本人のクズ」は無視して、水島氏に訴えます。

 「幕末以来ご先祖さまたちの一番の危機感は、〈日本を欧米列強の植民地にしてはならない〉というこの一点でした。そのための〈欧米に追いつけ、追い越せ〉であり、〈富国強兵〉〈殖産興業〉〈学問のすすめ〉だったのではありませんか。明治時代の教育を否定すると言うことは、こうしたご先祖さまのご苦労を否定することになります。」

 「明治時代の頑張りと奮闘がなかったら、日本は独立を維持できたのでしょうか。伊藤貫に丸め込まれて、明治時代を否定し、バカにすることは、ご先祖さまへの冒涜です。感謝せねばならない先人に対し、日本国民として情けないではありませんか。」

 「貴方を称賛し、伊藤貫に心酔する視聴者を増やすことは、日本の歴史を冒涜し、ご先祖さまへの感謝を忘れた国民を作ることになりますが、果たしてそれで良いのでしょうか。」

 「動画のコメントを入れている善意の視聴者 ( 国民 ) に対して、貴方らしくない罪深い〈雑談シリーズ〉を作りましたね。」

 次回を最後として、「伊藤貫の雑談」シリーズの紹介を止めることに決めました。その理由を説明するための次回となります。

 昨日「ボウフラ君以外の訪問者を期待していません」と書きましたが、本当は次回の間違いで、「ボウフラ君の訪問も期待しています。」・・と言いたかったのです。その理由も、次回で分かりますが、申し訳ありませんでした。

コメント (2)
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伊藤貫の真剣な雑談 - 63 ( 歴史捏造の例として )

2023-08-29 15:58:34 | 徒然の記

  10. 「伊藤貫の真剣な雑談  第10回 」 ・・伊藤貫X水島総特別対談 ( R4/11/12 )

 伊藤氏の雑談を紹介します。

  ・仏教というのは、そもそも天皇家が国教として持ち込み、これは大切だからお前たち信仰しなさいと言ったものだ。

  ・ということは、天皇家自体が天皇崇拝だけでは不足している、もうちょっと哲学的な、深い思考が必要であると考えた。当時の奈良の天皇家の方たちが、仏教を日本人の支えにしなければ、深い思考力を持つ人間にならないと考えたからだ。

 この間も水島氏はうんうんその通りですと言いながら、雑談に聞き入っています。

  ・それから遣隋使や遣唐使を送って、中国の古典を輸入し、儒教の影響をすごく受けた。

  ・だから江戸時代の末までの日本人には、天皇制( 武士道 )、儒教、仏教という3つのバックボーンがあった。

  ・そしてこの3つのバックボーンが均衡して、日本人の価値判断と思考力の深さを作っていた。

 私のような一般庶民は、歴史を学校で教わり、自分で本を読んでいても、勝手な解釈をしたり誤って覚えたりしています。何かの折に指摘されると、間違いを恥じて修正しますから、理解が違っていてもさほど心配することはありません。

 しかし伊藤氏や水島氏のように世間への働きかけを仕事としている人間に、勝手な解釈や間違った記憶で喋られると、国民は大変な迷惑を被ります。

 ・仏教というのは、そもそも天皇家が国教として持ち込み、これは大切だからお前たち信仰しなさいと言ったものだ。

 ウィキペディアの説明では、次のように書かれています。

  「西暦552年に百済から仏像と経文が伝来したのが、日本への本格的な仏教伝来とされる。」

 「欽明天皇は仏教の可否について群臣に問うた時、神道勢力である物部尾輿 ( おこし )と中臣鎌子 ( かまこ ) らは反対した。」

 「一方、蘇我稲目 ( いなめ ) は、西国では皆が仏教を信じているので、日本もそうするべきだと主張し仏教への帰依を表明したため、欽明天皇は稲目に仏像と経文他を下げ与えた。」

 「稲目は私邸を寺として仏像を拝んだが、その後疫病が流行ると、尾輿らは、外国から来た神(仏)を拝んだので、国津神 ( くにつかみ ) の怒りを買ったのだとして、寺を焼き仏像を難波の堀江に捨てた。」

 「この宗教対立は子(物部守屋と蘇我馬子)の代にも収まらず、用明天皇の後継者を巡る争いで守屋が滅ぼされるまで続いた。」

 一般的に言われている仏教の伝来は、彼が言うように、天皇が積極的に取り入れられたものでなく、朝鮮の百済王から仏像と経典が贈られた時が始まりです。しかも天皇はこれをどうすれば良いかにつき、臣下に問われています。

 先日読んだ頼山陽の『日本楽府』の中では、旧氏族の物部・中臣氏と新氏族の蘇我氏が激しく対立したと書かれていました。旧氏族とは天孫降臨と関係のある貴族で、新氏族とは天孫降臨に無関係な貴族の意味だそうです。

 頼山陽の漢詩を解説したのが渡部昇一氏で、『日本史の真実』の中で取り上げていました。渡部氏が三人の貴族の系譜を説明していますので、紹介します。

 〈 蘇我氏の系譜 〉

   ・蘇我氏は、第八代孝元天皇を祖とする氏族

   ・「三韓征伐」の主役の一人である武内宿禰 ( たけのうちのすくね  ) の子孫

   ・以来朝鮮半島との関係が深かった氏族

 〈 物部氏の系譜 〉

   ・物部氏は饒速日命 ( にぎはやひのみこと ) の子孫

   ・この神は大和に降臨し、神武天皇の大和平定を助けた豪族

 〈 中臣氏の系譜 〉

   ・天児屋尊 ( あめのこやねのみこと ) を先祖とする氏族

   ・この神は天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、その岩戸の前で祝詞 ( のりと  ) を申し上げたという

   ・高天原 ( たかまがはら  ) 時代の最重要の神であり、天孫降臨の際にニニギノミコトのお供をして、日本に降りてきた

 3氏は一括りにして古代日本の豪族ですが、夫々ちゃんと区別があります。神話的伝承が歴史の事実とされていた時代の人々ですから、天孫降臨系の旧豪族にとっては、外国の仏教を取り入れようとする蘇我氏は、とんでもない新豪族ということになっていたようです。

 欽明天皇は百済の聖王から献じられた仏像を見て、「相貌端厳 ( みかおきらきら ) し」と言われ、「敬うべきか否か」を群臣に問われたと言います。群臣を代表する3氏の答えも、渡部氏の著作から転記します。

 蘇我稲目 ( そがのいなめ ) の答え

  「西の国々では皆ひたすら敬っていますから、日本だけが敬わないのは良くないでしょう。」

 物部尾輿 ( もののべのおこし ) と、中臣鎌子 ( なかとみのかまこ  ) の答え

  「わが国は日本で、天下に王 ( きみ ) たるお方は、天神地祀、百八十神を一年中、春夏秋冬にわたって祭り拝むのがその仕事です。今急に外国の神を拝まれるならば、おそらくわが国固有の神々が怒られるでありましょう。」

 そこで欽明天皇は仏像を礼拝することを思いとどまられて、願望している蘇我稲目に下賜されました。稲目は大喜びで寺を作り祀ったのですが、その直後から疫病が流行し、多くの人が死にました。疫病は長く続き、治る気配がなかったと言います。

 「私たちが申し上げたことをお聞きにならなかったので、こんな疫病で死ぬ人が多く出ているのです。早くその仏像を投げ捨てれば、必ず良いことがあるでしよう。」

 物部尾輿と中臣鎌子が天皇に奏し、「じゃあ、そうしなさい。」と欽明天皇が言われ、役人たちが仏像を難波の堀江に放り捨て、寺も焼き尽くしてしまったそうです。

 頼山陽と渡部昇一氏とウィキペディアの説明と、伊藤氏の説明のどちらを信じるかと問われれば、私は迷わず頼山陽と渡部氏と答えます。蘇我馬子が殺された「大化の改新」も、渡部氏の説明では神道派と仏教派の宗教戦争だったそうです。伊藤氏が言うように、最初から天皇が国教として国民に勧めたと言う説明はどこからも出てきません。

  天皇家自体が天皇崇拝だけでは不足している、もうちょっと哲学的な、深い思考が必要であると考えた。当時の奈良の天皇家の方たちが、仏教を日本人の支えにしなければ、深い思考力を持つ人間にならないと考えたからだ。」

 こう言うヘンテコな意見は、哲学的思考を信仰にしている伊藤氏特有の捏造であると、そう言う気がします。腹立たしいと言うより、滑稽で、笑ってしまいます。しきりに感心している水島氏が、情けなくなります。

 次回は、滑稽な彼と情けない水島氏の会話を紹介しようと思いますが、ボウフラ君以外の訪問者は予定しておりませんので、ご注意下さい。

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