ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

伊藤貫の真剣な雑談 - 38 ( 自国の首相を罵倒する彼 )

2023-08-13 18:39:51 | 徒然の記

  4. 「伊藤貫の真剣な雑談  第4回 」 ・・アメリカ人も呆れた、属国主義で核武装議論から逃げてきた日本の保守政治家達

  今回は、吉田元首相の言葉を氏の著作から紹介します。

 「1950 ( 昭和25 ) 年4月、池田大蔵大臣がアメリカに赴いたのをきっかけに、同年6月、講和条約記草と言う目的を持って、アチソン国務長官の顧問に任命されたダレス氏が日本を訪れた。」

 「この時ダレス氏は、日本の安全保障問題について、日本が軍備を持たない状況を続けることは、当時の国際情勢からしてとうてい許されることでないから、講和独立の要件として、日本の再軍備を主張した。」

 「しかし、この再軍備論に対して私は正面から反対した。なぜなら、日本はまだ経済的に復興していなかった。それどころか、すでに述べたように、当時の日本は経済自立のため、耐乏生活を国民に強いなければならない困難な時期にあった。」

 「そのような時に、軍備という非生産的なものに巨額の金を使うことは、日本経済の復帰を極めて遅らせたであろう。それは例えて言えば、やせ馬に重い荷物を背負わせるようなものであったに違いない。」

 米軍の無差別爆撃のため、主要都市が焼け野原となり、住むところを失った国民がその日の食べ物にも事欠いていた時でした。吉田首相は、米軍の属国になりたいから再軍備に反対したのでなく、国民生活の安定を優先して考えていたのです。氏がアメリカの属国を喜んでいる政治家だというのなら、アメリカ高官の意見に正面から反対するでしょうか。

 伊藤氏は、無用な雑談で自らのバカを証明せず、むしろ吉田首相の気概に敬意を表すれば良かった気がします。

 「現代の軍備はひどく金がかかるものである。だから、実際に役に立つような軍備を作れば、日本の経済がだめになるし、そうでなければ役に立たないものしか作れない。」

 焦土となった敗戦国の首相として、吉田氏の意見は真っ当なのものではないでしょうか。吉田は目先の損得と金儲けしか考えていない、という彼の意見が出てくる余地はありません。彼はアメリカの学者の本は熱心に読みますが、吉田首相の著書は、自分に都合の良い部分だけを拾い読みしているようです。

 「それに、再軍備の背景となるべき国民の心理的基盤も失われたままだった。戦争に駆り立てられた国民にとって、敗戦の傷跡はまだ残っていた。」

 「さらに、日本が再軍備をすれば、アジアの近隣諸国を刺激するかもしれない。こうした理由から、私は再軍備に反対したが、それは今でも正しかったと思っている。」

 1950 ( 昭和25 ) 年のダレス氏との会談は、ニクソン副大統領が訪日する3年前のことです。そうなると吉田首相は、自らの信念を曲げず、戦勝国アメリカに反対意見を通した硬骨漢ではないでしょうか。伊藤氏が偏見と捏造の罵倒をするから、何も知らない視聴者が騙されます。先日紹介したコメントを再転記すると、彼の罪深さが分かります。

〈 コメント2. 〉

  いかに吉田茂の罪が大きいか、理解できた。 それにしても自民党から旧社会党までアメリカの属国であることを実質的に容認してきた事実はあまりにも残酷だ。 しかも、その状態は現在進行形で続いていて、未だに自主防衛・核武装を唱える政党が現れていないのが絶望的。

〈 コメント6. 〉

  吉田シゲルが自主独立を拒んだ悪の根源だったとは

〈 コメント7. 〉
 
  キッシンジャーって日本が嫌いなんだなって単純に思ってたけど、ちゃんとした理由があったんだね、道理が通じない、お互いの利益のために話そうとしても全く聞く耳を持たないじゃ、ブチ切れても仕方ないな。
 

 吉田氏が日本の再軍備を考えない、ぼおーっとしただけの首相でなかった情報がもう1つあります。保坂正康氏の著書『後藤田正晴』です。後藤田氏の伝記の形をした小説ですから、信憑性について自信はありませんが参考にはなります。

 「後藤田はこの期間に、吉田茂という首相の硬骨漢ぶりを、眼のあたりにした。吉田こそは、アメリカという支配者に対して、巧妙な手を用いて、自らの信念や理念を崩さず、日本の主体を守り抜くことに成功した首相だ、と思った。」

 「後藤田は、あの当時吉田のような政治家がいなかったら、日本は際限なく、原則を崩してしまったのでないかという。」

 「その吉田が、後藤田や外務省、旧内務省など各省からの官僚が、警察予備隊に関し、シビリアン・コントロールを模索しているとき、突然、顔を出したことがあった。」

 「吉田は講堂にこれらのスタッフを集め、新聞記者の入室を拒んだ後、こう訓示した。」

 「私は表向き、警察予備隊は軍隊でないと言い続けている。だがはっきり言って、これは軍隊である。諸君も軍隊という認識をもって、しっかりと、国土を防衛するつもりで努力してほしい。」

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方には分かると思いますが、伊藤氏が説明する吉田首相とは違った人物像があります。

 「せっかくニクソンが言ってくれたのに、吉田も佐藤も日本の独立よりアメリカの属国の方を選んだ。」

 「勿論日本の左翼はバカだが、彼らがバカということを議論してもしょうがない。われわれが議論すべきは、日本の保守がバカだということ、こっちの方が重要なのだ。」

 「日本の保守がおバカさんだから、おバカさんの左翼言論人と喧嘩して、過去70年間議論は一ミリたりとも深まらなかった。」

 アメリカの本や資料ばかりを有り難がらず、少しは日本の書物を読めばみっともない雑談をしなくて済んだろうにと、憐れみが生まれてきます。悪態はまだ半分も紹介していませんが、不愉快になるだけですから残りは省略します。

 次回は次の動画に移ります。 

   5. 「伊藤貫の真剣な雑談  第5回 」 ・・米露関係破綻の原因は何か ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤貫の真剣な雑談 - 37 ( ニクソン大統領とキッシンジャー氏 )

2023-08-13 12:47:30 | 徒然の記

  4. 「伊藤貫の真剣な雑談  第4回 」 ・・アメリカ人も呆れた、属国主義で核武装議論から逃げてきた日本の保守政治家達

 本日は、「バカの理屈にも三分の理」→ 「伊藤氏の寝言にも三分の理」を紹介します。「日本にアメリカ軍が駐留している目的は、二度と日本に再軍備をさせず、二度と独立国にしないよう〈ビンの蓋〉の役目をするためだ」と、キッシンジャー氏は中国を訪問した時周恩来首相と話をしました。

 この話は「ビンの蓋論」と言われ、有名な談話として多くの人が知っています。従って、保守層の人々はキッシンジャー氏を反日の政治家として好意をもっていません。その彼を、伊藤氏は高く評価していますので、今回はそこに焦点を当てて彼の雑談 ( 寝言 ) を紹介します。

 ・1961 ( 昭和36 ) 年1月から1971 ( 昭和46 ) 年10月まで、キッシンジャーはニクソンの下で働いていた。

 ・1969 ( 昭和44 ) 年、キッシンジャーは自分の部下たちに次のように言った。

   「日本は核を持たざるを得ない状況に置かれているのに、それが理解できない。」

   「日本人と話すのは、すごく難しい。日本人とは話が合わない。日本人は頭の回転が鈍くて鈍感である。」

   「つまらないことばかり言うから、彼らの話は関心を払う価値がない。ハッキリ言って、日本人とは会いたくない。」

 彼がキッシンジャー氏を評価し賞める理由の一つは、核保有の状況に有りながらそれを受け入れない日本人を軽蔑する意見に、自分との共通点を見ているからです。

  ・1967 ( 昭和42 ) 年、ニクソンが『ベトナム後のアジア』と言う論文を書いた。その中で日本について述べていた。

    「日本は憲法を改正し、アジアの大国として自主防衛・自主外交をすべきだ。これには核保有も含まれる。」

  ・しかし最初の論文の文章では、次のように書いていた。

    「日本は核を持たずに、アジアの大国としての自主外交をすべきだ。」 

  ・自分の親分であるアイゼンハワーに原稿を見せたら、アイゼンハワーが論文を訂正させた。

    「日本に大国外交をさせるのなら、核を持たせなければダメだ。核保有について明記せよ。」

 それでニクソン大統領は論文を訂正したと、マイケル・シャラー氏の著書 『オルタード・ステイト 』でこの叙述を発見した彼は、自分の主張が裏づけられたと大喜びし、弾けそうな笑顔で説明します。 

  ・1953 ( 昭和28 ) 年11月、ニクソンはアイゼンハワー政権の副大統領として日本を訪れた。その時彼は、吉田首相に次のように語った。

  「われわれは1964年に日本に憲法を押しつけ、日本の軍事力を剥奪した。」

  「このアメリカの政策は間違っていたと、私はこの場で認める。」

 昭和28年と言えば私が10才、小学校4年生の時ですから、記憶にないのは当然なのでしょうが、それでもこの発言が本当なら大ニュースです。新聞やラジオが騒いでいませんでしたから、ニクソン氏の発言は記者会見で発表されなかったのだろうと思います。アイゼンハワー大統領とニクソン副大統領が本気で米国の間違いを謝罪し、その上で憲法改正を勧めたと言うのなら、彼らが日本のマスコミの報道無視を黙っていたでしょうか。

 伊藤氏の説明が事実であるとするのなら、それはあくまで公式の発言でなく、首脳同士の内密の会話だった可能性があります。しかし彼にはそのような区別はどうでも良く、吉田首相の対応を批判する材料にしたかっだけです。

  ・わざわざアメリカの大統領が来て、アメリカの間違いを認め、日本は早く憲法を改正して、自主防衛しろと言ったのに、吉田茂はこれを聞いて怒った。

  ・なんでアメリカ人が憲法を改正しろと言いに来るのかと怒り、日本はアメリカに永遠に占領されている方がいいんだと、言った。吉田は、狂っている。

 彼はこう言って吉田首相を罵倒しますが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々のため、狂っているのは彼の方であるという反証をします。今机の上に、吉田首相の著作、『日本を決定した百年』があります。吉田首相が、なぜ再軍備に反対したかの理由を本人が書いています。

 この書は市の図書館から、廃棄処分品として無料でもらった本の中にあったもので、以前「ねこ庭」で取り上げたことがあります。今回再び紹介することになるとは、思ってもいませんでしたが、吉田首相の著作『日本を決定した百年』は、渡部昇一氏の『日本史の真髄』と並べている本棚の宝物です。涙もろくなった私は、首相の言葉を読み返しているとそれだけで胸が熱くなります。

 「伊藤氏の寝言にも三分の理」の雑談 ( 寝言 ) と並べるのは不本意ですが、日本を汚染する彼の寝言の間違いを知ってもらうには我慢するしかありません。

 スペースの都合で、吉田首相の言葉の紹介は、次回といたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする