温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2012藤田まさと先生のご関係者からコメントNo2

2012-02-18 22:50:37 | 作詞家藤田まさと先生

最近このブログに訪れていただいた「吾妻ゆきお」様からコメントいただき。

どうも、大震災に会われた福島にお住まいの方のようです。

「前略
 伊吹とおる先生も審査員として、伺っておられたのですね。主宰・伊吹先生も、星野先生も亡くなられ、「アカシヤの雨が止むとき」の水木かおる先生(編集長)も亡くなられ、歌謡詩同人誌「北斗星」は廃刊となりました。
 伊吹先生は東京赤坂溜池にあった旧国際自動車の総務部次長、実名唐崎正晴さんで、S35年、私が入社したときの上司でした。本城さとるという詩人もいたのですが,その方も私の上司で、私はその方々に誘われ、歌の道にはいりました。だから「朱に交われば紅くなる」の例えどおりになった、と思っています。現在は歌謡曲研究会「こけし人形」という同人誌があって、全国の詩人、そして作曲家が一緒になって歌作りをしています。私もその仲間です。この「こけし人形」という同人誌は、今年700号を迎えることになった日本最長の同人誌で、途中間が何回か抜けているので,計算は合いませんが、60年以上続いている、日本で唯一の同人誌です。主宰は福島県相馬市の相馬詩彦先生で、現在83歳、いたってお元気で700号に備えています。伊吹先生もこの会出身で、「星影のワルツ」の作詞者、白鳥園枝さんもこの会の会員です。
 「北斗星」誌の話に戻りますが、当時の北斗星誌に「藤田まさと賞」という内部の賞があって,私は第3回?かな、「藤田まさと賞」の受賞者です。がS46年、私の父が関係していた事業の再編統合が行われ、父に呼び戻され、福島に帰りました。今、私は藤田まさと賞をもらった「母さん泪が欲しいの」を改作し、鎮魂歌「ありがとう母さん」に変えて、知恵遅れのソロシンガー本田知美と「被災地巡り」や老人ホーム、養護施設などの「慰問活動」に精をだしています。宣伝をさせていただきたいのですが、4月14日(土)に「福島市音楽堂大ホール」で「負けないぞ,福島復興宣言!大市民集会」を開催します。主催はNPO「負けないぞ,福島宣言!プロジェクト」です。私は一線を退き、会社の業務には口を出さない約束で、今はこのイベントに精を出しています。出演者は東京芸大高橋裕教授ひきいるオーケストラ「アンフィニ」とその奥さん高橋晴美率いる合唱団「カント・ハルモニア」約120名の方々が福島までボランティアで来福してくれます。また、中原中也賞授賞詩人・和合亮一の「福島に生きる、福島を生きる。」を世・u條Eに発信、地元からは福大、東稜高,福島三中の子供達、そして地元のアーチスト「弁慶と牛若丸」東京から「水木ノア」前述した、本田知美ら、総勢200人近い出演者となります。ぜひご予定の中に入れてください。福島は風評被害でショゲ切っています。全国から福島に足を運んでいただくことが一番元気が出ます。どうぞよろしくお願い致します。だいぶ長い文になってしまい恐縮です。もしご参加いただけるのであれば詳細資料送付させていただきます。すみません、この辺でやめます。ありがとうございました。」

伊吹先生が企業の幹部ご出身だとは・・・。

あの温厚で、ゆったりとした話し方からは想像もつかない、てっきり、根っからの文芸家だと思っていた。

ところで、コメントの吾妻様は、想像するに70歳を過ぎた頃。

趣味の道を今のお歳で活かし、被災した福島の復興に尽力されている。

まさに我々茶レンジバンドの理想像。

福島に駆け付け、何もできないが、大市民集会の中に溶け込みたい。

ただ、なかなか簡単には駆け付けることができない距離。

はるかかなたの静岡から、祈るしかないのか・・・。

このブログを見て、福島に行きたいと考える方は是非ご連絡ください。

こんな連絡役にしか、残念ですが今は行動できません。m(_ _)m

そう、まだまだ復興はこれからの東北地方。

春の陽気を待つなどと、浮かれている場合ではない。

がんばれ東北のデザインに変えます。

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