今日は、本来ならもう何もしなく、ただ年末の過ぎていく今年を振り返りながら、のんびりと春蘭やセッコクなどをいじったり、普段酷使しているベースギターの手入れなどをしたりするのだが、今年は結構いつまでも忙しい。
今日は、朝7時から、止むなく車のワックスがけ。
どうしても、9時頃には盆栽教室の講師のお宅に行かなければならず、また、その後は年末年始の年越しそば、おせちの食材などを買い出しに。
結局、午後4時ごろまで、慌ただしく、買い物などをこなした。
その、7時からの洗車だが、まだ陽も差し込まない冷たい中、しかも時折風が吹き付ける体感温度も低い中で覚悟して水を出しながらのシャンプーや水切りなどを行い、久しぶりに手が切れそうな痛さを味わった。
右手が痛くなれば、スポンジを持つ手を代えて、左手で洗い始めるが、ものの十数秒たてば、今後は左手が痛い。
そんなことの繰り返しを行っていたが、この痛さは、昔懐かしい剣道の寒稽古を思いだす。
小学校から中学まで、静岡市内の剣道場に、親父と一緒に通った。
剣道場と言えば、夏でも冬でも、窓、ドアは開放。
したがって、冬の風が容赦なく窓から入り込み、道場の中は、基本的に寒い場所。
板張りに足を乗せると同時に、脚の間隔が麻痺し、でも、板と板のほんの数ミリの隙間や段差などに足の裏が敏感に反応し、痛い。
この寒稽古は、親父に連れて行かれるのが嫌で、結構ぐずったものだった。
まずは朝が早い。
早朝稽古なので、午前5時前には起きる。
布団から出るのが誰だっていやだが、もうすでに親父は支度ができていて、仕方なく私も暖かい布団から出る。
まだ暖房が暖まらない部屋で着替え、寒い中、暗い町中へ自転車で出る。
もちろん冷たい風に向かいながらこぎ、手や足先がかじかむ。
ただ、そのうち身体は、少しはペタルをこいでいるので暖かくなる。
ようやく30分ほどかけてついた道場の着替え室は、これまた暖房などと言うものはなく、せっかく暖まった身体だが、道着に着替えるため裸になり、また冷たい体に。
そして、道場に入りすぐにけいこかと思ったら、まずは板敷きの床の雑巾がけ。
冷たい水で雑巾を濡らし、絞って板に当て、両腕を前にして定番の道場の隅から隅に駆けだす。
ここで気をつけなければならないのは、雑巾をしっかりと絞らなければならないこと。
板に水分がつけば、それでなくても板は冷たくなるものを、水が残っていれば、そのまま凍ってしまうほどの気温。
ようやく稽古ができる準備ができたところで、全員で板の間に正座、黙とうでようやく稽古ができる。
稽古をしている間は足の痛さは気にする間もないが、稽古を待っている間は、どうしようもなく足の裏が痛くなり、片方の足でもう片方の足の甲をさすったりして、無駄な努力をしたりしていた。
こんな思い出が、なんとなく昨日の車の洗車で甦ってきたが、聞くところによると、最近この寒稽古というものをやっていないようだ。
地元剣道連盟支部を切り盛りしている私の職場の部下に聞いたところ、子どもだけでなく、大人すらもしていないとのこと。
その理由は!?「風をひくから」と、なんとも情けない話である。
考えてみれば、寒稽古の時は、朝の布団の中での暖かさ、その後の着替えの冷たさ、また、自転車をこいだ時の暖かさ、稽古着に着替える時の冷たさ、稽古中の汗ばむ暖かさなど、身体は暖かさと冷たさを交互に感じている。
これって、寒風摩擦のようなもの!!??
思えば、寒稽古中、あるいはその後しばらくは、風をひいた覚えはない。
むしろ、普段の中で鼻水をぐずぐず、あるいは私は特に中耳炎にかかり易いたちだったので、耳が痛くなったりとしていたように記憶する。
今の子どもたちに寒稽古をさせることは、親にとっては勇気がいること(!?)なのか・・・。