「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No6」
私の卒論の冒頭は、
『人間のもろもろの行為を検討することにたずさわる人々は、これらの
行為を継ぎ合わせて、同じ光を当てて一様に見ようとするときほど、当
惑を感ずることはない。なぜなら、これらの行為は普通、不思議なほど、
矛盾していて、とても同じ店から出たものとは思えないからである。』
(モンテ-ニュ)。(1)
「今から400年前、すでにこのように普遍性の希薄化としては握されていた
「行為」は、ウェ-バ-により主観的感情に基づく、「原因-結果」の因果関
係における価値合理性の法則へと、論理的に対象化された。
しかし、現代において、精神的には情報化社会に代表される精神の間接的
接触による隔離、肉体的には、自然環境と人間との間で渦巻く、諸々の技
術の人工環境による、非人間的受動性という両面により、この一見、能動的
自由に思われる人間感情も、非自由性として、したがって、因果性も受動的
な主体欠如の動機による行為として、把握されなければならない。」
という具合である。
私の好きな、モンテーニュ「エセー」を冒頭引用しているのも当時の私らしい。
よくもまあ、20代の柔軟な頭は、こうも理屈っぽく、文字を並べたものである、と思わずにはいられない。
したがって、このままではお見せできないため、現在、公開のための整理をしているところであるが、これが結構苦労している。
あの時せっかく集計し、グラフなどで示した資料を、そのまま提出したため、手元にデータがなく、あらためて当時のベースとなる資料から、あの時と同じように歌詞の分解、集計などをやっているところである。
また、難解な文章は、はっきり言って、今の私の能力では、解釈しきれない。
したがって、その作業に手間取り、時間がかかっている状況である。
おそらく、新年を迎えてから徐々に公開できるのではと、考えている。
皆さんにお見せすることができるようになったら、恥ずかしながら若かりし頃の私の足跡を見ていただきたいと考えている。
今日は、11月も最後の日。9月の末から重ねてきた拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感も、ちょうど20回を重ねた。
20回程度では、言い表せなかったが、万一この20回をお付き合いいただいた方がいれば、大変感謝する次第である。
ただ、お付き合いいただいている皆さんに、これ以上余分な時間を割いていただくことを心配し、このぐらいで終了したいと思う。
お付き合いありがとうございました。
この延長は、来年、流行歌による70年代から80年代の社会意識分析をカテゴリーに追加しようと思いますので、その時はまたお付き合いをよろしくお願いします。