温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No20

2006-11-30 20:59:44 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No6」

私の卒論の冒頭は、

『人間のもろもろの行為を検討することにたずさわる人々は、これらの

行為を継ぎ合わせて、同じ光を当てて一様に見ようとするときほど、当

惑を感ずることはない。なぜなら、これらの行為は普通、不思議なほど、

矛盾していて、とても同じ店から出たものとは思えないからである。』

(モンテ-ニュ)。(1)

「今から400年前、すでにこのように普遍性の希薄化としては握されていた

「行為」は、ウェ-バ-により主観的感情に基づく、「原因-結果」の因果関

係における価値合理性の法則へと、論理的に対象化された。

しかし、現代において、精神的には情報化社会に代表される精神の間接的

接触による隔離、肉体的には、自然環境と人間との間で渦巻く、諸々の技

術の人工環境による、非人間的受動性という両面により、この一見、能動的

自由に思われる人間感情も、非自由性として、したがって、因果性も受動的

な主体欠如の動機による行為として、把握されなければならない。」

という具合である。

私の好きな、モンテーニュ「エセー」を冒頭引用しているのも当時の私らしい。

よくもまあ、20代の柔軟な頭は、こうも理屈っぽく、文字を並べたものである、と思わずにはいられない。

したがって、このままではお見せできないため、現在、公開のための整理をしているところであるが、これが結構苦労している。

あの時せっかく集計し、グラフなどで示した資料を、そのまま提出したため、手元にデータがなく、あらためて当時のベースとなる資料から、あの時と同じように歌詞の分解、集計などをやっているところである。

また、難解な文章は、はっきり言って、今の私の能力では、解釈しきれない。

したがって、その作業に手間取り、時間がかかっている状況である。

おそらく、新年を迎えてから徐々に公開できるのではと、考えている。

皆さんにお見せすることができるようになったら、恥ずかしながら若かりし頃の私の足跡を見ていただきたいと考えている。

今日は、11月も最後の日。9月の末から重ねてきた拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感も、ちょうど20回を重ねた。

20回程度では、言い表せなかったが、万一この20回をお付き合いいただいた方がいれば、大変感謝する次第である。

P1010004_7

ただ、お付き合いいただいている皆さんに、これ以上余分な時間を割いていただくことを心配し、このぐらいで終了したいと思う。

お付き合いありがとうございました。

この延長は、来年、流行歌による70年代から80年代の社会意識分析をカテゴリーに追加しようと思いますので、その時はまたお付き合いをよろしくお願いします。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No19

2006-11-27 07:16:46 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No5」

私が大学のとき下準備を半年、その後2週間で一気に書きまとめた卒論であるが、ただし、卒論をそのままの形では、公開できるような代物ではない。

なんせ、前回も言ったように、難解な用語、複雑な文体で書き尽くされ、到底一読では理解できない難読書である。

たとえば表題がまずもって、

「流行歌による社会意識分析」

        サブタイトル

            (ピンクレディ-からツァラトゥストラへの

            劇的超越と´80年代における道徳的実践論)

というものである。(まあなんと大げさなことか!)

また、目次は、

           Ⅰ

           Ⅱ

  第1章

      流行歌分析 (意識の方向性分析からのアプロ-チ)

            ・・・・・・・  分析方法

            ・・・・・・・   歌詞分析

            ・・・・・・・      

            ・・・・・・・   結論補足

                            (歌手分析からのアプロ-チ)

  第2章

      流行歌分析 (多角的視点からのアプロ-チ)

            ・・・・・・・   単語分析

                            (ロゴロジ-からのアプロ-チ)

            ・・・・・・・   社会構造分析

                            (映像文化からのアプロ-チ)

            ・・・・・・・   発展的分析

                            (メロディ-分析からのアプロ-チ)

            ・・・・・・・      

  第3章

            

と、重厚なものである。今思い出すが、400字原稿99枚だったように記憶する。

つづく・・・。

P1010032_10

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No18

2006-11-21 21:13:36 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No4」

拓郎&かぐや姫コンサートを懐かしんでいる中で、私は、流行歌による社会意識分析をした卒論のことを思い出し、その下書きがどこかに残っているかと探し、ようやく本棚の片隅から引っ張り出してきた。

しかし、約30年前の複雑怪奇な思考による、しかも若かりし頃の未熟な文章である。

その中身を見ることがなにか恐ろしいものを見るようで、少しためらっていたのだが、コンサートの懐かしさに任せ、思い切って読み直してみた。

案の定、冒頭から難解な用語が並び、文脈は言いたいことを一気にまくし立てるように長々と書き綴っているものであるため、その解読に何度も読み返すほどのものであった。

しかし改めて全体を読み直す中で、手前味噌ではあるが、結構大学生であったあの時の私としては、当時の社会意識というものを流行歌を通し、良く分析しているな、と感じた。

複雑多岐、支離滅裂化した、したがってそれゆえに雲のようにふわふわとつかみどころのない現代の社会意識と比べると、30年前の社会意識というものは、簡単明瞭(本当はそうではないのだろうが)、ある目標ができると一つの束ねたベクトルとなって、強いエネルギーに変化する純粋な意識だったのだな、と感じる。

こんなことを、流行歌の歌詞から、つかみ取ろうとしていたのである。

したがって、まあ私の数少ない人生の残留品であり、過去の大学生であった私に敬意を表する意味で、近々この卒論をこのブログで紹介しようと考えている。

つづく・・・。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No17

2006-11-20 07:23:55 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No3」

拓郎&かぐや姫コンサートの雑感を、また、私のこの30年間の回顧を十分語ることはできなかったが、ただ一つ、自分自身に置き土産ができた。

というのは、私は、大学で社会学を専攻していたのだが、当時の流行歌のヒットチャートの歌詞を分析し、その歌詞に移入されている感情、背景を抽出することにより、社会意識を分析しようと、大学の卒論で研究したことを思い出した。

この当時は、折りしも第1次オイルショックを挟む時期で、人々の意識というものは、大きな起伏を描き、またその後のピンクレディーの爆発的な人気を生む特異な性質を持つものであった。

ちょうどその当時、大学生であった私は、この大きな時代の流れを学生ながら感じ、時代の流れにはたして人の意識というものはどう変化し、どう対処し、どう進んでいくのかということを探りたいと考え、流行歌分析を卒論のテーマにしたのである。

つづく・・・。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No16

2006-11-18 19:40:50 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No2」

今の生活を充実していると感じ、さらに過去を懐かしく思えるということは大変ありがたいことだ。

不遇の中で過去を思い出し、あの時は良かったと回顧するほど悲しいことはない。

今を否定し、過去にこだわる、あるいは賛美することは、発展性のない思考ではないか。

最も大事なことは、過去は過去であり、戻ることはできない、再現することはできないものであると自覚することである。

拓郎、かぐや姫、そして私自身の過去の思い出だけを追い続け、回顧主義に終始するつもりはない。大事なことは、温故知新(!)。過去の事象から得られたものを如何に有意義に今後に結び付けていくかが重要である。

今回の拓郎&かぐや姫つま恋コンサートは、過去の私を再確認するとともに、現在の私を見つめ直すいい機会を与えてくれるものであった。

私にとって、一つの気づきであり、また、これからの人生の大きな踏み台となる勇気づけられるものであった。

このブログでいままでに15回ほど拓郎&かぐや姫コンサートについて、心に浮かんだことを雑感としてしたためてきた。

コンサートの映像を見た直後、興奮気味に何かに書き留めなければならない、と一念発起しここまで書き綴ってきた。

また、過去を思い出し、その後の私の歩みを確認することは、現在までの私の人生を総括すること、などと大げさに構え所感を述べてきた。

でも、いざ気持ちを整理し、過去の記憶を辿ろうとすると、こんな15回ほどのブログでは語り切れないものである。

前回も書いたように過去にしがみついてばかりいるのもほどほどに・・・。ということで、拓郎&かぐや姫コンサートの雑感は、とりあえず休止することにする。

休止ということは、今後何か思いついたところで肩肘を張らず、時々ブログに書き込めばいい、というスタンスでいようと、休止というかたちで区切りをつけたいと思う。

つづく・・・。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No15

2006-11-16 20:38:46 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

今こうやって拓郎のことをブログしていると、不思議と心が落ち着いてくる。

これが、大学生や若い20才代の頃に同じ内容のことを書こうとすると、おそらく、私と拓郎との距離が離れていった原因(?)を事細かに分析し、自己擁護に徹し、彼の音楽性の劣る面を探し出し(決してそんなものはないのだが)、あるいは、俗化して昔の拓郎ではない、とかと拓郎批判に終始するブログになっていたかもしれない。

しかし、拓郎の人生を素直に受け入れ、一方、あの当時拓郎が好きだった私を、今とは違う私として第三者的に語ることができるということは、私自身、歳をとって考えが丸くなっていること、またそれは、柔軟な価値観を持つことができ、まあ偏った歳の取り方はしてこなかったのかな?と総じて言えることが、大変ありがたい、と思う次第である。

また、かぐや姫に対しては、あの頃を懐かしく、大事なものとしていつでも思い出せる、ということの幸せをありがたいと感じる。

つづく・・・。

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「拓郎&かぐや姫つま恋コンサート+私のこの30年間の総括No1」

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No14

2006-11-14 21:16:33 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「ハイビジョンは隔世の感No2」

今日あらためてコンサートを見直した。

私のハードディスク&DVDレコーダーはオーディオ装置につながっている。

しかし、いままでは、テレビ画像を見るだけで、音質のことは気に止めなかった。

しかし、今日、もしかしてハイビジョンは、音質もいいのではないかと気がつき、ボリュームを上げて聴いてみた。

案の定、音質は上等であった。もちろん、日ごろ聞く、レコードやCDに比べれば劣るが、ステレオ感、高音、低音の再現は、そこそこボリュームを上げても、一定のレベル以上の音質を再現していた。

したがって、拓郎、かぐや姫の熱唱する画像とともに、そのステレオ感が相乗効果を生み、本当にテレビではいままで味わったことがない臨場感を体験することができた。

これも、技術革新のたまものと、ハイビジョンのありがたさに恐れ入った感じである。

拓郎が「落陽」を歌う後半、ギターの手を休め花火に、観客に目を移し、彼自身がコンサート会場の一人となって感慨に浸っている光景。

バック演奏とともに、花火の鮮明な音が一緒に聞ける。

また、かぐや姫の演奏では、こうせつの声、正ヤンのギターソロ、パンダさんのベースの響きがしっかり調和してスピーカーからステレオでしっかり聴けた。

また、観客の声援もはっきり、あるいは、ドラムスやギターソロなどバックのそれぞれの音もしっかり拾っている。

私もおやじバンドをやっていて、ミキシングにはいつも苦労するが、きっと、最先端の技術を駆使し、何チャンネルのミキシングをやっているか想像もつかないほどの膨大な数のソースを効率よく、ミキシングしているのだろう。

P1010026_2

いままでのテレビから受ける感動とは違った、思い出、画質、音質をしっかり確認できた。

今回のコンサートは、懐かしい音楽とともに、技術革新の格段の進化にあらためて歳月の流れを感じるものであった。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No13

2006-11-13 22:52:48 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「あそこにいる観客はなんとなく見たような、知り合いのような顔」

コンサートのテレビ画像には拓郎やかぐや姫、バックミュージシャンなど様々な映像が映し出されるが、そのほか会場全体を臨場感を伝えるように映し出し、時折観客の映像が流れる。

その会場の動きは、拓郎、かぐや姫の歌に合わせ歌い、あるいは体を動かし、世紀のイベントに陶酔しきっている、という感じである。

その顔一つひとつをみると、若者というよりは、50代前後のイイおじさん、おばさんが圧倒的に占めている。

そして、このコンサートの場にしっかりと溶け込んでいる。

ステージと観客が一体になるというのは、若者の世界だけではない!

こんな、立ちっぱなしで、こぶしを上げて、ステージと一体になり歌う、拍手する、歓声を上げるなど、日常生活では、表現することのないボディーアクションを、今、おじさん、おばさんが、感動のまま、ストレス発散も兼ね、いや、過去の若かりし頃をよみがえらすために、我も忘れ、コンサートに浸る。

そんな顔、顔、顔をみれば、なんだかみたような顔ぶればかりのような気がする。

あの人は、昔どこかで会ったような気がする。あの人は、近所の人かもしれない。あの人は、もしかしたら・・・。

ハイビジョンテレビ画面から鮮明に映し出される、それぞれの顔が、私にとって記憶のある、また意味のあるものに映る。

ほんとうは会ったことも、見たこともない人たちなのかもしれないが、あえていえば、画面に、コンサートに同化している、あるいは同化しようとしている私の心の現われなのかもしれない。

ただ、はっきりいえることは、画面に映し出される顔の骨格は、若者のあごがほっそりとした細面ではなく、ごついしっかりした、そう、私と同じタイプであるということ。

こんなところから、親しみある、見慣れた顔と感じてしまうのかもしれない。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No12

2006-11-10 23:13:57 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「ハイビジョンは隔世の感」

人生50年も生きていると、様々な技術に出会い、あるいは驚異的な発達に驚かされ、その恩恵を受け、人生の豊かさに付加をつけていただいていると思わざるを得ない。

ただ、日常生活に溶け込んでいる様々な技術は、特に気に留めなければ、恩恵を感じることなく、見過ごしてしまう。

したがって、時には、身の回りを取り囲む様々な技術に目をむけ、あるいは、過去のそれと比較して、最新の技術を実感し、ありがたく思うことも必要である。

今回のコンサートは、ハイビジョン放送による鮮明な画像で、臨場感を持って楽しみ、過去の懐かしさに浸っていた。

考えてみれば、会場では、どんなに近くの席からでも、あのテレビ画面に大写しにされている拓郎やかぐや姫のアップされた顔などを見ることはできない。

彼らの汗、細かな表情は、テレビの大画像だからしっかり見ることができる。

だからといって、会場よりお茶の間でのリアルな画像がいいわけではない。

会場の熱気、拓郎とかぐや姫との一体感、そしておそらく体に振動が伝わる大音響は、テレビでは伝わらない会場にいる者だけの特権である。

ここは、ハイビジョンの画像の、そのリアルさ、臨場感に驚くということを強調したい。

しかも今回は、あの35年前のコンサートの再現。いやおうなく当時のリアルと思っていた残像と比べてしまうのである。

あの当時のテレビでの映像やその後のビデオ、DVDの画像と比べるとその鮮明の格段の差は、この35年の歳月を実感するに十分足りるものである。

P1010033_1

昔のぼやけた映像から一枚も二枚もフィルターを取り除いた感じである。

今回のコンサートは、35年前のコンサートを再現し、当時を思い出し懐かしむ一人ひとりに感動を呼び起こすものであるが、ハイビジョンのリアルな映像は、それをさらに効果的に増幅する必須の技術であった。

頭の中には、当時の記憶が今でもリアルに残像として浮かび上がるのだが、いままでは、それを目の前に映像として移し変えることはできなかった。

しかし、ハイビジョンはあの時の記憶を目の前に鮮明な映像に変換してくれ、頭の中を記憶と映像が走馬灯のように入れ替わり立ち代わり相互に駆け巡るものであった。

35年前の技術は技術で、そのときの人々の心を感動させたかもしれない。いや感動させていた。

しかし、あの当時の感動は、初めて見る、体験する「驚き」といえる感動であったが、現代のハイビジョンからの感動は、人間の技術を、これぞ!とばかり見せつける、隔世の感を十分認識させる感動である。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No11

2006-11-08 22:24:47 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「ギターのグレードにあこがれる」

楽器の演奏者は、だれもがミュージシャンの持っている楽器に大変興味を持つ。

そして、今回拓郎は、かぐや姫はどんなギターで登場するだろう、と始めから興味を持っていた。

今回の拓郎は、いきなりなんと、見慣れない白いボディーのギター。ヘッドのイニシャルは「YAMAHA」。そういえば、最近ヤマハから拓郎モデルのエレアコが出たと新聞に広告されてことを思い出した。

ただ、第一印象は、少し似合わないかな?という感じである。

まあこれも、過去の拓郎のイメージの思い入れがあるためにそう見えるのだろう。

おそらくスポンサーのPRも兼ねているのでは、と勘ぐってしまう。また、今回のコンサートもヤマハの大きな支援もあっただろう。そういえばつま恋は、ヤマハの施設。つま恋は、ヤマハの本拠地の目と鼻の先である。 

P1010033_2

でも、どんなメーカーのギターだろうと、拓郎のスタイルは変わらない。少しストラップを長めにし、腰あたりにギターのボディーを置き、歌うとき意外は少しギターを横にして弾く。

歌うときはもちろんマイクにしがみついているが、間奏中はその場にじっとしていることなく、あちこち動く。

スタンディングでの歌は、拓郎は実に落ち着かない(?)感じである。まあ、そこが彼のスタイル。

このコンサートの中で、少し椅子に座って、ギター一本とハーモニカでの曲を1、2曲聴きたかったな、と思ったのは私だけだろうか。

つづく・・・

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No10

2006-11-05 13:32:23 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「私が好きなのは、拓郎本人ではなく、その雰囲気、曲」

このようなテーマは難しく考えると、取り留めのない話となる。雰囲気、曲も全ては拓郎本人のものであり、矛盾しているのではないか、との考えもあるだろう。

オールナイトニッポンのDJを担当し始めのころ、彼の明るい、破天荒なパーソナリティに好感を持った。

また、彼の音楽のジャンルを問わない柔軟な姿勢、取組みを誇りに思った。

そしてその彼が作り出す音楽は、私のギター教本となり、毎日のように弾いていた。

したがって、拓郎本人の全てが好きではないか、といわれれば、そうだともいえる。

ただ、あえて言えば、ここは単純に、拓郎の人生スタイル、曲が好きである、といいたい。

拓郎の人生スタイル・・・。

拓郎の枠にはまらないスタイル、主張、淡々と自分を歌で語るその人間臭さにあこがれた。

今では良く使われる「カリスマ」という言葉も、当時拓郎などの一部に使われ、その言葉の響きとともに、惹きつけられていった。

また、曲については、何度も話を出すが、中学からギターを覚え、本格的に毎日弾き出した高校生の時、その教本は、拓郎の各曲であった。

特に彼の初期のころのイデオロギーに満ちた曲を飽きもせず毎日弾き、歌っていた。

言いたいことを単純なメロディーに乗せ、リフレーンで増幅させる。

これは、主義主張のフォークソングの法則ともいえる曲の構成ではないのか。

そんな、単純さが、私の好みであった。

また、その後の旅の宿にいたっては、ギターの技術であるプリングオフ(弦を押さえている指を離しながらその指で弦を弾く)部分がなかなか弾けなく、何度も繰り返し弾き、それができるようになったうれしさは、単純であるがゆえ、うれしさがひとしおであった。

旅の宿には、この他に、ハーモニカの楽しさ、フォークギターの友として、ハンドフリーのフォルダーとともに買って、新たな音楽分野を知ることとなった。

ここまで書き、今回の「私が好きなのは、拓郎本人ではなく、その雰囲気、曲」のテーマを紐解くと(別に紐解く必要はないのであるが)、私は、単に拓郎の単純なところが好き、いや単純であったころの拓郎が好きと言えるのである。

拓郎は、以前にも書いたが、進化し続け過去から現在の今の今に至るまで、その一連の流れ、歴史全てが、拓郎そのものである。

どこの瞬間をとらえても、その時その時の拓郎本人の顔である。

しかしその中でも私が好きな拓郎は、初期のころのギター一本で語っていた単純明快な彼であり、それは、前回の「あの時の拓郎は、好き。今の拓郎にはついていけないと思っていた。」

「30年前のあのコンサートの時は、拓郎のベクトルと私のベクトルが重なっていた」でいいたかったことを、フォローアップしているものである。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No9

2006-11-03 08:50:58 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「30年前のあのコンサートの時は、拓郎のベクトルと私のベクトルが重なっていた」

彼のベクトルと私のベクトルがしばし重なっていた時期、その最も確かだったのが、あの初期のつま恋コンサートであった。

「朝までやるよーっ」と拓郎が言って、それに応える私の声援は、純粋に熱いものがあり、彼の目指すものと、私の共感とがこれからも永遠に続けられるものと確信していた。

しかし、私はいつの間にか、その熱さをそのままの形では、持ち続けられなくなっていった。

あの35年前のつま恋コンサートのあと、私は大学生となり、東京の雑踏の中へ足を運ぶこととなる。

大学生活、東京生活は私を社会人へと、育ててくれた。

しかしそれは一方で、社会の、組織の、人間としてのノウハウを植えつけられたことでもある。

・・・・・・・・・・・ 余談

私の大学生活は、自分なりに大変充実していたと自負している。

入学当初のまだ足元がおぼつかない1年生のとき、それからアルバイトも覚え、ゼミに入り・・・。これを書き始めると取り止めのないことになるので、またの機会に、と考えるが、じつは、今、この拓郎&かぐや姫を語るにあたって、あの当時、学問よりは社会勉強と大学時代を謳歌していた中で、唯一今でも残る勉強をしたという証拠が手元にある。

それは、ゼミの卒論で、その内容も、当時の流行歌の歌詞分析をしての社会意識分析である。

大学では社会学をかじり、その中でマスコミュニケーション論ゼミを受講し、そのゼミ教授(今は、大学の教鞭の傍らラグビー部部長)やゼミの仲間とは今でも地産品や年賀状などのやり取りをしている。

したがって、あの当時のまさに拓郎、かぐや姫が活躍していた頃の流行歌を自分なりにそこに浸透している当時の社会意識というものを抽出する試みを行い、それを卒論にしたのである。

その卒論を今読み返すと、結構当時の世相、社会意識の方向性というものが上手く表現され、時代性が感じられる。

したがって、このつま恋コンサートを機会にその卒論を整理し(とにかく、大学生の柔軟な(?)頭で制作した論文であるため、難解な表現、文章が頻繁に出てきて、そのままでは、判読(?)できない)、そのうちにこのブログで連載しようと考えている。

・・・・・・・・・・・ 余談終了

また、その後地元に戻り就職へ。また、その後様々な経験を積み、家庭を築き、様々な人と出会う。

もちろん、このような経過の中で、今に至るまでのこの間でも、あの情熱は持ち続けているといえるが、その熱さ、中身は当に色あせ、拓郎の変化についていけるほどのものではなくなったのだ。とにかく、拓郎は、いつの時代でも熱い!

また、音楽のジャンルも、もともとクラッシック、ジャズなどもそこそこに聴いていたものが、いつの間にか本格的に聴くようになった。

拓郎にハマッていた最初の頃は、拓郎の出るテレビ番組や、掲載される雑誌などは見過ごさないようにと追い求め、アコースティックギターをエレキギターに見立て、好きなフレーズのリード部分とか、フィンガーピッキング、カッティングとかをコピーしようとしていた。

しかし、その後、音楽の幅が広がっていく頃からの拓郎は、私の好む話題、テーマを語るものではなくなり、また当然アコースティックギターとエレキとは別物であった。

私は、いつのまにか、彼を追いかけようと思わなくなっていってしまったのである。

私は、拓郎の批判、否定を語るものではない。もちろん今でも拓郎が好きである。

だからこそ、私と拓郎の距離を知りたい。

なぜいつに間にか距離が離れていってしまったのだろうと、様々な角度から眺めすがめつしているのである。

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No8

2006-11-01 07:27:43 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「あの時の拓郎は、好き。今の拓郎にはついていけないと思っていた。」No2

あんなに好きで、毎日のように彼の曲をギターで弾いていたのだが、しかし、そのうち、ある疑問、違和感を覚え始めた。

拓郎はマイペース(?)で進化していった。しかし、その流れに私自身がいっしょに乗っていけなくなっていったのだ。

P1010039

記憶が定かでなく、時期が前後するかもしれないが、拓郎が小室等とグループを組み、「六文銭」と銘打って、全国コンサートを行った。その静岡公演で、今はない駿府(すんぷ)会館に苦労していき、彼を久しぶりに見たことがある。

その時の彼、そしてグループのスタイルは、エレキギター、シンセサイザーなどを駆使した、完璧なロックグループ(!?)という感じであった。

その時の拓郎の変化は、私から見れば、過去のギター一本の時代からバンドセッションによる「結婚しようよ」や「春だったね」までの速度に比べ、速さ、その広がりが比べものにならないほどのものと目に映った。

拓郎は、エレキギター、ベース、フルバンドなどを駆使して音の厚み、華やかさを求めていったが、一方私は相変わらずアコースティックギター一本を片手に過去の曲を弾き、歌う。

したがって、ここには、おのずと、私と拓郎のベクトルはその進む方向が次第に広がっていくのである。

(写真は本文と関係ありません(?)。:Rickともものバトル?仲良し?Rickはいつでも、ももにされるままです。)

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拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No7

2006-10-30 21:30:30 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「あの時の拓郎は、好き。今の拓郎にはついていけないと思っていた。」

拓郎は常に変化している。これは、私の拓郎観である。

このことは、一方で、私のあの高校時代や大学時代の頃、拓郎に夢中になっていたのは、この変化に対する憧れであったといえるかもしれない。

最初の拓郎は、泰然と構える時代に対し、微力ながらも切々と社会の体制、制度に対し個を主張していた。

そんな彼の姿に対し、共鳴し、またちょうどギターも覚えたての頃であったので、好きになっていたのかもしれない。

一方、その後音楽シーンに対しても、今度は演歌や歌謡曲といっていた音楽界に新風を吹き込み、様々な歌手や演奏家たちとコラボレートし、ジャンルの枠を超えて音楽の方向性を幅広いものにしていったことも、当時の私としては、心地よく、鼻高々で拓郎を崇拝していたように記憶する。

今でもほこりをかぶって本棚の隅にある「気ままな絵日記」は、ポエムとも思える自由奔放な語りで、あの当時は、私たちの言いたいことを代弁してくれているバイブルであった。

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いつもコメントありがとう「静岡」さん

2006-10-30 20:13:25 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

「昨日、BSで総集編が放送され、・・・・・その友達は吉田拓郎が好きみたいです。

昨日、・・・総集編を8時30分頃から・・・見ましたが、知らない曲が多いですが、良さを感じました。

管理人さんが言うように、演奏スタイルが今の時代にマッチしているのかな・・・

今日、また最初からかぐや姫と吉田拓郎を見てみたいと思います。」

P1010038_3

ありがとうございます。コンサートの感想は、あくまでも私の勝手な解釈。

静岡さんのスタンス、感覚で拓郎、かぐや姫を楽しんでください。

今度、審判のご活躍に、お邪魔してコメントさせていただきます。また・・・!

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