温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

流行歌による’70年代社会意識分析No25(最終)

2008-07-27 08:11:17 | 流行歌による’70年代社会意識分析
お越しいただきありがとうございます。 現在、卒論本文のPDFファイルをこのブログに取り込むすべを知らず、見られない状況です。 何とか皆様に見ていただくよう工夫しますので、今しばらくお待ちください。

流行歌による’70年代社会意識分析No25(最終)

今回でいよいよこの卒論も最後です。
拓郎&かぐや姫つま恋コンサート2006をきっかけに、約30年前の大学卒論を引っ張り出し、整理して昨年の8月からこのブログに掲載し約1年。
当時のデータの喪失とか、つたない理論の展開など、最初はどうなるかと思っていたが、なんとかここまでこれました。
大学ゼミの石坂教授も教え子ということで、なんだか見ていただいているようですが、その他にも、熱心に見ていただいている方が何人かいるようで、大変恐縮します。
懐古の気持ちで始めたつもりでありましたが、卒論の底に流れる1970年代の2度にわたるオイルショックの状況と現在の石油高騰がちょうど重なり、70年代当時の社会意識分析で掲げた時代への警鐘は、ちょうど現代への警鐘と重ねていくこことなりました。

現在の諸事情を見るにつけ、冷静に受け止めなければ、と自問自答するいいきっかけとなり、ラッキーでありました。

今回の最後の文章は、いわばこの卒論の蛇足。
本来であれば、卒論は前回で終了でしたが、この際に、ということで、卒論とは関係なく日ごろからしたためていたことを、最後に載せていました。

しかも、その原点は、高校時代の書き出しです。
ただし、この中で言いたいことは、高校時代も、卒論作成時も、そして、いまでも変わっていません。
おそらく、今回の記述は、私のものの見方、考え方の基本としているものであり、今後も維持し続けるものと思います。
流行歌による’70年代社会意識分析の1年間のお付き合いありがとうございました。
では、ご覧ください。↓

「ryuukoukaNo25.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析No24

2008-06-26 21:15:22 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No24)

今回は、いよいよこの卒業論文の終焉。いままでの23回にわたる’70年代社会意識分析の結論です。
次回からは、結論補足という形で、まだ2、3回続きますが、それは蛇足。今思えば、卒論を書き終えた後も、心の高まりが収まらず、どうしても書き記したかったものを付け加えたという感じです。
したがって、今回が、この論文の結論。

ただ、今見ると、当初のなるべく数値データで客観的に分析しようとしていた筋書きが、最終の結論は、なんとなく人生訓を訴えているかのようです。
緻密な分析からの結論とは遠く離れた、’80年代への願い、希望といった熱い気持ちを訴えている、といった感じです。
しかし、その願いが、まさに’80年代、あるいは2008年現在の現実に対し、警鐘をメッセージに託し、書き記しているのではと、読み直してしまいます。

今この2008年では、自分というものを失った単なる肉片の器が、社会という全体に対し、その欲望に任せ無法な歴史的行動を簡単に成し遂げてしまう。

自分(個)と社会(全体)との絶妙なバランスは、未来永劫望むことが出来ないものなのでしょうか!?
ではどうぞご覧ください。↓

「ryuukoukaNo24.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析No23

2008-06-14 09:03:26 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No23)

流行歌の歌詞の単語分析の第5弾で、単語分析の最終です。
単語の経年変化を様々な角度から見ていくと、単語の意味の希薄化、多様化が見えてきます。
このことは人々の意識の変化とどう相関関係を持っているのでしょう。
今回の記述は、あと数回でこの論文が最終となるその助走部分です。
しかし、あらためて今このときの分析と論述を見ると、自分のことではあるものの、大学生なりに社会を鋭く見ていたんだな、と思ってしまいます。
あのオイルショックなどの原因で、混沌としていた70年代から80年代にかけての意識は、まさに現代の意識と類似するところが多く、凶悪な犯罪が次のさらに凶悪なもので簡単に忘れ去られていく現在が、残念ながらこの論文を通して理解してしまう。
私が大学生であった70年代当時の秋葉原は、世界の電気街、特にオーディオ全盛のときで、オーディオ店が連なっていた。そこで起こった今回の通り魔事件。
この中で私の心から離れない加害者の言葉、「私を誰か止めてほしい」。
この言葉の意味、状況が、まさに私の30年前の論文で、人々の意識が危ない、大丈夫か、と訴えたものであるように思う。

「何から何まで調度品が整い、あとは自分の心が入るスペースが残っているだけという部屋に押し込んでもらわなければならない「意識」。意味の多義化を伴った言葉によって作られた、殻の内部に閉じ込もって現実との間を遮断し、その殻の内側に映る自分だけの幻想を見て自己満足している「意識」とはいったいどんなものであろう。しかも、体の一部を社会に触れていなくては不安になるのである。
 私はここに「胎児」を想像せずにはいられない。有史以来、数千年という時間を費やし時代の精鋭が努力し築き上げてきた意識において、その成熟度がまだ「胎児」だなんて、それはペシミズムのなにものでもありません。 
 私はここで、この「胎児」は、たとえば、膨張、収縮を繰り返し行う宇宙が、ちょうど収縮したときと考える。そして、それはこれから膨れ上がる起爆点なんだと。」

「私」を止める誰かは、実は「私」以外にはないのだが・・・。
今回の私の記述は、このあとこの「私」を作った環境、要因は、映像文化などのテクノロジーである、と展開していく。

ではどうぞご覧ください。↓

「ryuukoukaNo23.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析No22

2008-05-26 07:13:38 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No22)


流行歌の歌詞の単語分析の第4弾です。
今回は、流行歌に使われる単語の数が、年々増加していくことに触れ、その意味を探ろうとするものです。
70年代の歌は、60年代あるいはそれ以前と比べ、格段に歌詞が長いものとなっています。
これは、いろんな面からその要因を探ることができるでしょう。
音楽面からは、作詞、作曲の技術が高くなっていく、あるいは録音技術が向上し、その分録音時間も長くなる。また、音楽の歴史性からいえば、音楽性よりはそのメッセージ性から進化していったフォークソングの曲作りの影響もあるでしょう。
これらは、歌作りの技術面、あるいは音楽の歴史面からの研究がなされるものですが、私の単語分析では、なぜ、単語を多く用いなければならなくなったのか、なぜ言葉多く語らなければ、人々の心を捕らえる流行歌になりえないのか、といった流行(はや)りの素材面からアプローチしようとするものです。
語彙の数が増えたのは、単に作詞面、録音技術面という音楽製作側の要素ばかりでなく、70年代、そしてオイルショックを経験した社会意識がそこまで語らなければ動かない、感動しない閉ざされたものとなってしなったのではないかと感じ、次回の単語の色彩面からの分析と合わせ、その検証をしようとするものです。

ではどうぞご覧ください。↓

「ryuukoukan22.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析No21

2008-05-12 07:25:22 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No21)


流行歌の歌詞の単語分析の第3弾です。
今回は、分析対象の経年とともに語彙の量、種類の増加の傾向が現れていることをデータにより確認し、その意味を分析しています。
特に、身体の各部位の単語を拾い集めたデータにより、社会意識と語彙の関連を解明しようとしています。

ではどうぞご覧ください。↓

「ryuukoukan21.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析(No20)

2008-04-23 07:24:15 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No20)


大学時代のゼミ同級生からコメントいただき!

「随分とご無沙汰しております。
お元気のようで、何よりですね。
先週、市ヶ谷で、K田さんやM下(旧姓W辺)さんと会い、キャンパスへ行きました。
随分の変わりようでした。

君の70年代社会意識分析を読み、ああそうだ、資料集めにも苦労したなあ・・・と昔を思い出しました。

あの頃、ネットとか、携帯も無かったしね。

JUN」

お久しぶりです。
キャンパスからのK田女史のメールをいただき、懐かしく思いました。
「HOSEI」入りのボールペンが届きました。
皆さんも色違いを買ったようで。
近く卒業30周年をやりましょう。
またご連絡します。

流行歌による社会意識分析も、そろそろ終盤。
あの当時を振り返りながら、今を精一杯生活しています。
ではまた・・・。

ご覧ください。↓

「ryuukoukan20.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析(No19)

2008-03-24 07:19:50 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No19)

18回にわたり’70年代当時の流行歌に染みこむ社会意識を抽出し、その内容を分析し、当時の社会意識がどのようなものであったのか、また’70年代後半起こったオイルショックが、どのように世の中に影響し、またそれは’80年代にどう活かされていったのか、いかなかったのかを述べてきました。
今回から第2章として、単語分析を取り入れます。
今まで流行歌を分析していく中で、特にそれぞれの歌を構成する各単語の使われ方、種類が大きく変化していったと気がついてきました。
たとえば、過去(’60年代など)の流行歌に使われている、たとえば色に関する単語は、「赤」「黒」など、単純な原色をあらわすものです。
しかし、’70年代の後半から、その色の表現が複雑、あるいは新しい色が取り入れられていきます。
したがって、このことはどういうことかということを、過去の方法などを取り入れながら分析していきます。

ではどうぞご覧ください。↓

「ryuukoukaNo19.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析(No18)

2008-03-05 21:09:18 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No18)

前回までで、意識の方向性を分析し、一応の結論付けはなされました。
それは、オイルショックで圧縮された人々の意識は、明確な解決を図られないまま、何処かへ飛散していった、ということ。
しかし、結論付けたが、自分なりに結論に納得がいかないものでした。
つまり、枯渇した52(1977)年度の意識は、いわば想像力、自発性、独創性の欠如したものであると、流行歌の分析上は結論付けられるものであったが、実は、この52年の歌謡界は大変な出来事が起こったのです。
すなわち、52(1977)年度におけるピンクレディーの活躍。
この世間の猫も杓子も、ピンクレディーに熱狂した現象を、分析しなければならないこととなるのです。

今回は、このピンクレディー現象とオイルショックにより萎縮された意識との関連を分析しています。

ではどうぞご覧ください。 ↓ 

「ryuukouka18.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析(No17)

2008-02-14 07:19:12 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No17)

この分析のNo9から続いてきた意識の方向性の今回は、まとめ(結論)部分です。
いままでの分析結果を総括しようとしていますが、あの当時、この卒論を書き始め、この結論部分に来たときには、おそらく4、5日経ったちょうど疲れがピークのときであったように記憶すします。
しかも、言いたいことを言って論述してきた経過を、なんとか結論に結びつけようと必死になっていた。
今あらためてこの部分を読見返すと、本当に理屈っぽく、無理やり昭和49年当時のオイルショックと社会意識のつながりを明確に分析しようとしているように感じる。
今回の部分は、自分の頭のなかでは整理整頓ができていながらも、それを文字に落とそうとする困難さと疲労で、複雑な論文となっている。
あの当時の頭の柔軟性には、今とっても付いていけない。
あの当時言いたかったことは、要は、オイルショックで圧縮された人々の意識は、明確な解決を図らないまま何処かへ飛散していった、という結論としています。

ただし、この結論は、自分ながら納得しない結果となり、次からの補足で補いながら、結論の補完をしていくこととなります。

ではどうぞご覧ください。↓

「ryuukoukaNo17.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析(No16)

2008-01-31 07:24:44 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No16)

今回は、現在肯定のまとめ部分であり、また意識の方向性の総括であります。
あらためて、28年前の卒論を見直して驚くことは、昭和48年、49年のオイルショックと現在の原油高の社会情勢がまったく同じものであり、買い付け騒ぎはないものの、原油の1円2円の高低でガソリンスタンドを日ごと変えるといった過去の繰り返しをしています。
今回の分析は、あの時の社会意識の変容を分析した総括であり、現在の状況と照らし合わせると興味深いところであります。
オイルショックという経験をとおし、人々の意識は過去のいい思い出を漠然と崇拝するか、あるいはその逆の饒舌により自分の身を未来への幻想という皮膜で覆い浮遊するかのように見えます。
しかし、人々の意識は、いつの間にか冷静さを取り戻し平静を保ちますが、実は、元の姿で元の位置に戻ったのではなく、様相を変え新天地へ飛散していったのです。

今、70年代のオーディオや流行歌の懐古が盛ん。ちょうど、この卒論の内容も見直すと懐かしいものです。

ではご覧ください。↓

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流行歌による’70年代社会意識分析(No15)

2008-01-21 07:13:45 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No15)

前回では、未来に向かう人々の意識とは、どういうものか、また、それは何を表すのかを述べました。
今回は、一方、意識において、現在の位置から、他への移動をしない意識。つまり、「現在肯定」について分析します。

P1010006
一般的に、現在を肯定するということは、そこに満足しているから、と考えられますが、実は、「現在肯定」を分析していくと、必ずしも現在を満足してそこにとどまる、というものばかりでなく、不満ながらも、現在に居続ける、あるいは他へ移動するパワーをなくしている意識、などなど様々な形態が、そこに現れてきます。
そしてその結果こそ、時代の潮流に流される、また押し戻される、あるいは逆に立ちはだかる!社会意識の本質が見えてきます。
今回は、そんな意識を「17才」「十七の夏」「ハチのムサシは死んだのさ」を例に、分析していきます。
ではご覧ください。↓

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流行歌による’70年代社会意識分析(No14)

2008-01-08 21:21:19 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No14)

最近、原油高騰を背景に、70年代のオイルショックをダブらせ、現代の社会現象と現代人の行動を様々な角度から切り込もうと、マスメディアがいろんな論評を醸し出している。
まさに、私の論文は、70年代の流行歌を分析した結果、そのキーポイントとなるエポックメーキングといえる事象は、昭和48、49年のオイルショックであり、その前後の社会意識が、特異な志向性を持ったものであったと結論付けている。

昨年からたまたま埃を帯びていた卒業論文を、気ままにこのブログに掲載していたら、現在の原油高騰。何かの縁かもしれない。

あのときの人々の心は、一旦収縮し、そして、どこかに向かう。
これは、現在掲載しているこの社会意識分析の今後の展開で、論述していくこととなります。

70年代の社会意識の展開と現在の原油高騰での社会意識の展開は、はたして同じものとなるのか、それとも、あれから約30年を経過した現代人の思考は成長し、成熟し、あの時とは比べ物にならないほどの賢い対処をするのか、あるいは、それ以下となるのか。

今回の「意識の未来志向」分析は、もしかしたら、現在の社会意識の方向性を把握するひとつのヒントとなるかもしれません。
では、どうぞご覧ください。↓

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流行歌による’70年代社会意識分析(No13)

2008-01-02 09:32:30 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No13)

今年も20数年前私が大学の卒業論文として書いた「流行歌による’70年代の社会意識分析」を何回かに分け、掲載していきます。
あの当時の人々の暮らし、そして意識を歌の流行り廃りから分析し、’80年代を予想しようとした論文です。
冒頭No1でまず言い訳をしているが、これはあくまでも大学生の勝手な分析、たわ言であり、未熟な文章表現と論拠の曖昧さで読みにくく時代分析の手法、学問的には錯誤があるものであります。
しかし、あれから30年近く経つ現在、回顧をテーマとする映画やテレビ番組など、あの当時の社会現象などを改めて見直し、これからの環境や産業、文化の振興を考えて行こうとする傾向であり、この論文は、結構時期を得た回想の方法だと思い、掲載しています。
もうすでにアップロード用の原稿は準備ができているのでコンスタントに掲載しようと思いますが、再度目を通すと、気になる箇所ばかり。
したがって、若干の手直しをしながらの掲載のため、不定期になることが予想されます。
まあ、このブログに訪れた際、さらりと流す程度で見ていただけたら幸甚です。

では、今回は、前回に続き、「未来」への意識に関する分析ですが、ベースとなっているのは、昭和48、9年のオイルショックによる意識の変化です。
現在も原油の高騰により、オイルショックとまでは行かないものの、社会的動揺が見られます。
あのときと同じように、現代人の社会意識は、萎縮されるほどのショックを受けているのでしょうか?
あのときの意識の変容と現在のそれとの比較も結構面白いテーマとなるかもしれません。

では、どうぞご覧ください。↓

「ryuukoukaNo13.pdf」をダウンロード

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流行歌による’70年代社会意識分析(No12)

2007-12-23 08:48:10 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No12)

’70年代の流行歌にこめられた意識の、その向かう方向性(過去・現在・未来)を分析していくと、未来が半数を示します。
たとえば、今は不遇だから未来はきっと幸せに、また、今つかんだ幸せをさらに未来に・・・など。
さまざまな情況を歌いこんだ毎年創出される歌の中で、その中でも未来を歌った曲は多くの人々の心を捕らえています。
’70年代の流行歌に多く含まれる「未来」は、この時代の社会意識を分析するキーワードです。
今回から、その未来へ向かう意識を、分析していきます。

では、どうぞご覧ください。↓

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流行歌による’70年代社会意識分析(No11)

2007-12-02 20:05:17 | 流行歌による’70年代社会意識分析

流行歌による’70年代社会意識分析(No11)

No10はグラフが多いもので、しかもそのグラフが細かすぎ、かえってわかりづらいものでした。
大学時代のデータをExeleに入れ、整理しないままグラフ化したので、そうなってしまいました。
骨格を理解いただければ幸甚です。

今回は、内容を少し掘り進め、また、当時の時代背景を関係付けながら解説しているので、少しはわかりやすいかと思います。
「フォーク・ポップスの演歌化」、「悲しみの真珠化」などと、結構、この時代の人々の心の持ちようを意識の方向性分析から、探り当てていると思います。

ではどうぞご覧ください。↓

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