突然ですが、今日たまたまチャンネルを変えていたら、「昔なつかしの映像」ということで、NHKビッグショー「藤田まさと」をやっていた。
藤田まさと(正人)先生は、我が牧之原市の生んだ偉大な作詞家。
昭和初期の頃から約50年、数々の作詞によるヒット曲を生んでいった。
最初の頃は、「麦と兵隊」、「岸壁の母」などの戦下ものや「旅笠道中」、「妻恋道中」などの任侠もの、また晩年の「灯りがほしい」「浪花節だよ人生は」など、一度は誰でも聞いたことがあるような曲を出し続けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%A8
今年、先生の生誕100周年となる。そんな関係で、昔の映像をリプレイしたのかも知れない。
その先生とは、私が職場に勤め始めた2年間が先生の最後の人生と重なる。
しかし、ついと先生とは会うことなく、せっかくの地元出身の偉人を拝見することがなかった。
しかし、先生が亡くなられた後、深く関わることとなった。
その最初は、先生が亡くなられたということで、地元での回顧展を2、3年開催し、あるいは、先生の奥様から、蔵書を寄付されるということで、東京の自宅まで、受け取り(実際には梱包と発送)にいった。
当時の先生の自宅は、壁という壁はすべて本棚がすえつけられ、数千冊という本で埋め尽くされていた。
実際、その寄贈された本の整理は、その後数年間を要している。
今思えば、就職後30年近くになろうとするこの間の私のベースとなる、ものの考え方、生き方は、どうも出だしの藤田先生との関わりが大きく影響しているのかもしれない。
少し大げさかもしれないが、それほど、藤田先生の生き様、エッセンスは、就職しだしたばかりの私に大きなショックを与えた。
1 男命を 三すじの糸に 賭けて三七 賽の目崩れ
浮世カルタの 浮世カルタの 浮き沈み
2 どおせ一度は あの世とやらへ 落ちて流れて行く身じゃないか
泣くな夜明けの 泣くな夜明けの 渡り鳥
3 意地は男よ 情けは女子 ままになるなら 男を捨てて
俺も生きたや 俺も生きたや 恋のため
今でも暗記でキーをたたくことが出来る。
この「流転」の歌詞を刻んだ石碑が牧之原市内に先生の銅像と一緒に郷土資料館に置かれている。
この流転の意味するところは、若い頃良く理解できないでいた。
しかしこの頃になり、なんとなく分かるような気がする。
人生、人それぞれの行き方がある。
だた、どんな人生だろうと、自分の信念で生きていくこと。
今日の番組の最後、藤田先生が「たとえちっぽけな人生だろうと、常に戦い続ける。そんなことを誓う。」という力強いコメントを朗読した。やはり先生らしい、と感じた。
大学時代、流行歌をゼミの卒論で取り上げ、その後の就職先で、まさにその流行歌の大御所を知ることが出来たことは、何かの縁であると感じていた。
今日の番組は、おそらく30年ほど前のもので、初めて見るものであった。
しかし、お会いしたことがない先生であるが、懐かしく、しかも郷土の誇りと自慢げにテレビを真剣に見ていた。
まずは、コメントから。
「おじいちゃん、宴会の事は心配せずに、仕事に打ち込んで下さい。奥様のホッとした顔が目に浮かびます。 それにしてもサスガバンドリーダー、ステージ上の観察力!こっちは、広い、高い、すごい、と感激で終わってしまったというのに…
投稿 N藤」
これでいて、繊細なハートの持ち主。
心配りは、PTAじいじにはかないませんが、茶レンジの明日を常に見ています。
M田元会長!マイクはいらないといいながら、キーボードをたたきながら、しっかりと歌っているところがばっちりDVDに写っていますよ。
新生バンドの第1弾として、M田元会長のソロをぜひ持ち歌にしたいです!
それにしても、おやじバンドコンテストの出場者面々は、それぞれに自信を持っている人たち。
少なくても人前で歌い、パフォーマンスを見せたいたい連中。
それに比べて、こちら茶レンジは、本番間際になっても音あわせ、振り付けあわせで精一杯。
午前中のリハーサルの順番は4番目。
でも、最初のグループの演奏を聴いた瞬間から、すごいレベル、と感じた。
特に、私たちの前のバンドは、パワフルな女性ボーカルとギンギンのバック演奏。
その迫力を控えの舞台袖から見ていて、わがメンバー全員度肝を抜かれる。
この後で我々が演奏するの?といった感じ。
案の定、私たちの番になり、時間がかかったセッテイングの後の出だしが、おとなしい「戦争を知らない子供たち」。
全体のボリュームからしてぜんぜん違う。
音量の調整を一生懸命やっている音響スタッフと舞台スタッフとのあわてようが、そのやり取りで感じた。
もうしょっぱなから、スタッフにご迷惑かけっぱなし。
しかも、ぜひリハーサルで、番外の「振り込め詐欺防止ソング」を演奏したいと、スタッフのリーダーに無理なお願いをしていたのである。
つづく・・・。