温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2024 盆栽の恩師逝去・・・

2024-06-19 06:55:06 | 盆栽教室
ほぼ20年ほど盆栽教室で教授いただいた高橋先生がお亡くなりになった。

盆栽の手ほどきを、土の性質から植替えの土の処理、そして、最も大事な各盆栽の素材ごとの育成方法など多岐にわたり丁寧に受けた・・・。

おそらく盆栽の一から十まですべて指導できる講師はそうもいない、その先生となる方が身近にいたことは、私が盆栽を続けられた最上の幸運だった・・・。

そんな講師がお亡くなりになったので、その盆栽技術を伝承する流れが途絶える・・・。

もしかしたら、先生は、盆栽教室の受講生から先生の技術を受け継ぎ、日本盆栽協会のインストラクターとして、地域盆栽の発展につながる人が出てくることを期待していたかもしれない。

そうなれば、先生も一安心だっただろうが・・・、盆栽教室の我々は、先生の技術に近づくほどの技量も心意気もない趣味の範囲の生徒・・・。

高橋先生の逝去に際し、まずは、先生の技術、盆栽に対する思い入れを後世に引き継ぐことができなかった大損失を、ここで先生にお詫びしなければならない・・・。

残念ながら、聞くところによると、先生の盆栽名品が毎日の水やりをしなかったために、今は朽ちているという・・・。

先生の盆栽は、他の展示作品を圧倒するほどの威風堂々とする重厚な作品ばかり。
ひと声教室の生徒に声をかけていただければ、毎日の水やりは交替でなんとかこなせたはず・・・。

ただ・・・、高橋先生は、水やりをあえて人任せにすることを極端に嫌っていたようだ・・・。

ただ、盆栽も生き物、先生から受ける水が途絶えた瞬間から、生命の継続性が絶たれる・・・。

案の定、先生は最後の最後まで病弱の身体で水を何とか盆栽に与えていたが、それもいつしかかなわなくなり、その後ご家族がしばらく続けたが、そのうち水の供給も少なくなり盆栽は朽ちていった・・・。

人に頼めば盆栽は生きながらえるのだが、高橋先生の哲学は、自分の一生懸命育て生育した盆栽は人の手に預けるものではなく、盆栽の寿命は自らの寿命と重ね合わせるものと考えていたのかもかもしれない・・・。

少し誇張しているかもしれないが、盆栽をこよなく愛していた先生が簡単に盆栽を枯らすわけがない。

あの生徒をおもんばかりながら、かつ盆栽を育てることに関しては卓越していた高橋先生、盆栽の全てを知り尽くした挙句の結論と、勝手に想像する・・・。

なんとなく気持ちが伝わってくる・・・。
私も今自慢げに育てている盆栽が数鉢あるが、万一の場合に人に渡る我が子盆栽を想像することが出来ない・・・。

簡単に預けることはできるが、それ以上に私が苦労した春夏秋冬のこまめな手入れを、次の持ち主がやってくれるか・・・、負担をかけることにならないか気を使うこととなる。

高橋先生は、信頼のおける盆栽教室の生徒なら安心して盆栽を預けられると考えていたのかもしれない、また、私たちも先生の盆栽を預かれば、さらに盆栽の育成に力が入ると思うが・・・。

高橋先生の盆栽哲学は、どうも私たちの考え及ばないところで、思いめぐらしていたのだろう・・・・。

懇切丁寧なご指導に感謝申し上げ、ご冥福をお祈りいたします・・・

合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする