のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

西風に大尻当てる美人哉

2007年01月11日 | 農のあれこれ
元句は
春雨や大あくびする美人哉(一茶)
です。

今日、野田の大豆生産組合へくず大豆を受け取りにいってきました。そこで、見慣れないものを見かけました。

網状の袋に大豆が入っているのですが、袋の真ん中が縫い合わされていて二股に分かれているのです。ちょうどふくよかなお尻から太もものようです。

大豆専用の袋で、この袋で乾燥させるのだそうです。二股にしてあるのは、風通しよくさせるためとのこと。今作は出来はよかったものの収穫時に雨が多く、今日まで調整作業がかかってしまったといいます。それでも今年から組合員に後継者が参加し、活気の満ちた現場でした。

正月の子供になりて見たき哉(一茶)

2007年01月10日 | わが家の時時
何ということもなく、正月が過ぎていきました。

明治生まれの曾祖母が子供の頃は、正月が来るのが待ち遠しくてならなかったと生前話していました。正月になれば、着るものも履物もみな新調され、ご馳走も食べられ、こんな嬉しいことはなかったといいます。

夕方のTVが、初売りで詰め放題、食べ放題、激安になった店舗の様子を紹介していました。見ていて、安いなあとは思いましたが、その現場におられず羨ましいとは思いませんでした。

今、バンド活動に熱を上げている長女に、今は聞きたい曲があったらネット配信ですぐに聞くことができるけど、それって楽しい?って聞いたことがあります。

あるアーチストのある楽曲が好きになると、ほかの曲も聞きたくなったり、それらの曲を手元に置きたくなるということ自体は、昔も今も変わらない欲求ではあると思います。かつてなら、小遣いを貯めてレコードやCDを少しずつ買い足していったものです。もし廃盤になっていたりすると、ラジオ局にリクエストしたり、FMのプログラムをエアーチェック(懐かしい!もう死語ですね)したり、なかなか大変でした。でもだからこそ、ライブラリー化された楽曲は物語のある宝物であり、友人たちに自慢したくなったものです。

ところが今は、あるアーチストのすべての楽曲をクリックひとつでリストアップでき、i・podに収めることができます。お金さえ許せば手に入るものにどれだけの価値があるのだろう。今の子供たちが大人になったときに「青春のヒットソング」のようなTV番組が成り立つのだろうかと、ふと考えてしまいました。

写真はなん変哲のないカマキリの卵です。でも、どうしてここに生み落とされたのかとか、春になって幼いカマキリたちにどんな運命が待ち構えているのか、とかを考えると、今の子供たちよりこの卵の方が、もしかするとわくわくする物語があるのかもしれません。

一斗二升五合

2007年01月08日 | 農のあれこれ
昼のTVで紹介されていたものです。タイトルの文字の書いたしゃもじ?が博多・十日恵比寿神社の正月大祭の福引の景品になるそうです。

タイトルはある縁起のいいことを表しています。どういう意味でしょうか。


「斗」も「升」も「合」も量の単位です。一斗は十升。五升の倍です。つまり「ごしょうばい」の意。二升は升がふたつ。升を「ます」と読めば、つまり「ますます」の意。五合は一升の半分です。つまり「はんじょう」の意。通しで読めば、「ごしょうばい、ますます、はんじょう」。これを考え付いた人は偉い。

先日、ラジオで誰かが「日本人は言葉、特に短い言葉で何かを表現するのが得意ではないか」というような意味のことを話していました。携帯電話の絵文字がこれほど盛んに使われるなども、そんなDNAが働いているのかもしれません。

蜘蛛とぶやこの世に望みあるように

2007年01月07日 | ネイチャースケッチ
今日も盗作?です。元は一茶の次の句です。

蝶とぶや此世に望みないやうに(一茶)

剪定枝にはときどき小さな蜘蛛が潜んでいたりします。カメラを近づけるとそれが気に入らなかったか、空中に飛び出していきました。風に乗ってまっすぐゆっくり飛んでいきます。いや、実際は糸が張ってあったのかもしれません。でも、飛んでいくようでした。

寒に入ったと同時に各地で吹雪になっているようですが、こちらでは午後から季節風が強くなりました。当分寒気が居座るようで、指先のあかぎれともしばらくお付き合いです。

ヒヨドリの小首を曲げる氷雨かな

2007年01月06日 | ネイチャースケッチ
タイトルは盗作です。元は一茶の次の句です。

「鶏の小首を曲げる夜寒哉」(一茶)

44歳の一茶が茨城県利根町布川を訪れた際の句といわれています。夕食後、庭先の鶏小屋を覗き込むと、夜の冷気のなか、鶏がなにものが現れたかという表情で小首をかしげています。

一日、冷たい雨が降り続きました。今年の梨の農薬散布をどうしようか練っていました。去年の散布で問題のあったところとなかったところ。弱いところには補わなければならないし、かといって、散布回数もふやしたくないし…。できるだけ少ない散布で効果を上げるには…。新薬をどう使いこなすか…。あれやこれや。いったりきたり。最後は、えい、やあ。はたしてうまく防除できますかどうか。野鳥に小首傾けられたりして…

松影も氷りついたり壁の月(一茶)

2007年01月04日 | ネイチャースケッチ
昨晩は新年初めての満月で、旧暦11月15日。ということは今日は旧11月16日。カレンダーを眺めていて気がついたのですが、節分は例年のごとく2月3日で、立春は2月4日。ところが今年の旧の元日は2月18日。旧の年明けが立春かと思っていたのですが、ずいぶんと遅い元日です。たまたま今年だけの現象なのか、よくあることなのか、分かりませんが、暦どおり、春になるのも遅くなれば剪定作業も進むのですが…

写真は、川岸の柳と月光が水面に写っているところを撮ったつもりでしたが、真っ黒になっているかもしれません。ちょっと角度を変えてみていただくと、月光の映える水面がみえるはずです。さもなくば、想像してみてください。


PS.あとで去年の暦をよく見たら、去年の旧元日は1月29日でした。閏年で
文月が2回、閏文月がありました。そのために今年の新年が遅くなったようです。

めめず見ゆ百舌のはやにえ百足かな

2007年01月03日 | 冬の梨畑
梨の剪定をしていると、小さな虫が棚や枝先に突き刺さっていることがあります。百舌(モズ)の“はやにえ”と思われます。だいたいはミミズなんですが、カメムシなんかの場合もあります。今度はなんと百足(ムカデ)を見つけました。まさか足が見落としてミミズに間違えたわけでもないのでしょうが。

仕事と暮らしが日本人の芸術だ

2007年01月02日 | 農のあれこれ
年末に紹介した養老教授の環境論が気になって、ぱらぱらと読み返したりしていました。ふと、どこかで似たような話を読んだことがあると思い出しました。

昨年11月、人類学者の中沢新一さんが「仕事力」というタイトルで連載していた新聞記事の中で、感覚を生かす働き方をしようと提言していました(朝日新聞061126、25面「朝日求人」)。

日本のモノ作りには、合理的なシステムだけでは説明できない要素が含まれている。たとえば芸術的要素の一つとしての「コツ」。はっきりと言葉で伝えられない不合理な部分が現在の自動車や家電の中にも感覚的な日本人の仕事ぶりがうかがえる。ところが現代の都市生活はメディアも交通機関も発達し、どこへ行っても同じ。出会うものも聞くものも同じで、外の世界と触れあう機会もない。不合理を取り込んで極意に高める日本人の仕事への実感をよみがえさせるには、農業を体験することが有効ではないか。

ここでも、「頭で考える合理的なシステム」に対峙したものとして農業が取り上げられています。しかし、機械化、施設化の進んだ現在の農業が都市社会の限界を突破するスキルとしてどこまで期待に応えられるのか、不安にも思います。

有用性のモノ作りの中で実践できる極意(芸術)あふれる農業を、今年は少しだけでも実現したいものです。

元日や上々吉の浅黄空(一茶)

2007年01月01日 | 近隣スケッチ
2007年の元旦、この冬一番の寒さになったようです。昨夜の賑わいがすっかり落ち着いた午前中、近くのお寺と産土さまに初詣、先祖の墓参りをしてきました。

             

わが家の家から降りていった谷津止まりのところにある弘誓院には鐘楼があり、昨夜は年明け前から鐘の音が響いていました。元々は祈祷寺として栄えた古刹で、夜遅くまで護摩が焚かれていたはずです。

産土さまでは年越しの拝礼行事に地区の若衆組が焚き火をしたり、酒を振舞ったりしてきました。ここ20年来、お手伝いをしてきましたが、そろそろ卒業ということで、昨夜は出かけませんでした。10年程前には境内に入りきれないほどの人を集めていたのですが、人出も最近は少なくなりました。

わが家の菩提寺は静かな朝を迎えていました。何人かが朝早く墓参りに来たらしく、霜柱に足跡が残されていました。焚いた線香の煙が薄く漂っていました。

            

先日紹介した養老孟司さんの環境論(『いちばん大事なこと』集英社文庫0219B)の中で、「なにも起こらないことはすばらしい」という項がありました。歴史もジャーナリズムも、なにかが起こらないと評価しないが、なにかが起こらないようにすることは意外に大きな努力を必要とするといいます。

今年一年、なにも起こらないよう過ごしたいものです。