のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

鶯の覚束(おぼつか)なくも初音哉(正岡子規)

2008年03月08日 | ネイチャースケッチ
ひと月前には固い蕾だった梅も
わが家ではちょうど満開を迎えたようです。
ちょっとした梅林になっているのですが、
今朝、そのあたりをウグイスが鳴き渡っていきました。
たぶん初音だろうと思います。

今日は穏やかな天気でしたが、所用で都内へ。
帰路、中途半端な時間になりそうだったので、
時間つぶしに「ちい散歩」ならぬ「おすぎ散歩」。

上野で途中下車して公園を抜けて芸大方面に。
受験生らしき若者たちがぞろぞろと門からでてきました。
皆、手提げ袋や紙包みを抱えていました。
それもあってか
試験がおわったばかりの上気した感じは受けませんでした。

でも、さらに門に近づくと
芸術専門予備校の関係者が多数待ち構えていて
資料を配っていました。
彼らの持っていたのはそれだったようです。
試験が終わりボーっとしている間に
手元に差し出されたものを無意識に受け取っていたのかも。

笑顔で受け渡す関係者たち…
本当は入試ではなく、
何かの説明会かセミナーでもあったのかも。
逆方向に歩く私に資料はいただけませんでした。


芸大の間の道を抜けて、谷中墓地へ。

大小さまざまな墓石を見ているだけでも
それぞれに生前の営みがあったのであろうと想像されて
飽きませんでした。

それは墓石の大きさ・形が千差万別だっただけでなく
周辺の街並み同様、
通路や区画が整然となっていなかったからかもしれません。
近年開発された公園墓地とよばれるようなところが
なんとく落ち着かなかったりすぐに飽きてしまうのは
先人が埋葬されているからではなく、
景観的な要素が大きいように思います。

墓地というのは決して「心を騒がす迷惑施設」でなく、
できれば身近な日常にあって
いつでもそこへいってご先祖様と会話ができるような
癒しの空間であったはずです。
一昨年秋に訪れた長野県信濃町柏原の小林一茶の眠る墓地でも
同じようなことを感じました。


谷中でお参りしたら、花より団子。
日暮里駅近くに文政二年(1819年)創業の根岸・芋坂『羽二重団子』。
ひとりでお茶するのも気が引け、ひと包みをお土産にしてもらいました。

ブランドだけあってさすがに値が張るなあと思ったのですが、
家に戻っていただいて納得。
控えめな中に歴史を重ねた自信さえ感じました。
味にうるさい長女も絶賛です。
たとえば餡の甘み。上品な甘さです。
普通の上白糖ではない高価な和三盆糖ではないか
とわが家の団子製造責任者が申しておりました。

芋阪の團子売る店にぎわひて團子くふ人團子もむ人 (正岡子規)

ちょっと気分転換できた春の休日でした。