そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない





はい、出ました。
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故を描いた大作、「Fukushima50」。
日本映画界の名優たちが一堂に会し、大金をかけて作られた3.11の映画とあって、超楽しみに観てきた。
その感想。

これはね、久々に出たよ、星1つ。★
とんでもない問題だらけの映画。
なぜかというと、余りにもプロパガンダだから。
本当に酷い。
酷いったら酷すぎる。
これで感動する人がいるのも分かるが、騙されてるんだよ。
事実をここまでねじ曲げて、何が「事実に基づく物語」だよ?
観客の思考をある方向にねじ曲げるために作られたプロパガンダが、21世紀の日本で、こんな形で実際に映画館で上映され、少なからぬ観客が感動していることに、軽いショックを受けた。

映画の冒頭、「事実に基づく物語」とテロップが出る。
その直後、大地震が発生。
さらに津波が福島第一原発を襲う。
全電源喪失。
免震棟にいる吉田所長(渡辺謙)、コントロールルームにいる1・2号機当直長の伊崎(佐藤浩市)らが原発事故の収拾に当たる。
さぁ、どうなる、という導入部分は、確かに「事実に基づく」ので、思わず前のめりになる。
美術スタッフの努力により、極めて正確に描かれているという原発内部の地獄のような閉塞感は見事。
しかし、しかしだ。
そのあと総理大臣が登場すると、突然この映画は「事実に基づく」を捨てる。
当時の総理は民主党の菅直人だったが、この映画では「総理」としか呼ばれないし、クレジットされない。
吉田所長は実名なのに、なぜか菅直人は実名ではない。
その実名ではない総理が、事実とは全く違う行動を連発。
その辺の事実詐称がどのように行われているかは、さまざまな論評が出ているのでそちらを見て欲しい。
だが、とにかく言えることは、

この映画は、当時の民主党・菅直人首相を貶める方向で作られているように見える
そして、東京電力の責任をうやむやにする方向で作られているように見える


という事実だ。
そんなことをしたがるのは誰か?
8年も経っているのに未だにことあるごとに「悪夢の民主党政権」と言う総理とその一派ではないのか?
事故の対応が混乱した原因を菅直人に押しつけて得する、東電なのではないか?
そして、原発自体に問題はなかったとしたい、原発村の連中なのではないか?
(まあ、分かっちゃいるとは思いますが、断言はしてませんw)

さらに恐ろしいことにこの映画は、15メートルの津波が福島第一原発をのみ込み、全電源喪失に至った理由を、「自然をなめていた」で締めくくる。
いやいや、待てっつーの。
15メートルの津波が来ることは事故前に予期されており、その高さの防潮堤建設を握りつぶしたのは、吉田所長その人だ。
さらに原発の全電源喪失はあり得ない、と国会で答弁したのは、第一次政権時代の安倍総理その人だ。
この2人の責任にまったく触れることなく、「自然をなめていた」で締めくくるって、どうなのよ?

これ以外にもいろいろ問題点がある。
アメリカ軍の友だち作戦の描き方は、余りにも親米で、何かの意図を感じざるを得ない。
東電の職人たちは当時、とんでもないバッシングを受けたはずだし、事実、放射能が飛び散った福島では、肩書きを名乗れなかったほどだという。
それなのにこの映画では、福島の避難民が「お前らよく頑張った」などと言って東電職員に感謝を述べる場面を描く。
いやいや、それだけじゃないだろ、と。
何から何まで、裏側に透けてくる政治的意図が気持ち悪すぎて、見ていて背筋が寒くなるプロパガンダ映画ではないか?

そして、もっとも恐ろしいことは、これを観た観客の大半が、それら事実を知らないため、この映画で描かれたことを真実だと思い込む可能性だ。
いくら何でもそれはないし、菅直人はこの映画訴えてもいいレベルだと思うし、福島の人たちも訴えていいと思う。
自分たちの責任と不作を隠蔽し、事故の原因、責任を他者に押しつけるプロパガンダ。
こんなものが民主主義国家日本で、普通に上映され、結構な俳優たちが出演してしまっていることに、恐怖を覚える。
東電から、原発村から、どれだけの金が映画に流れ込んだのか?
どこかのジャーナリストがその裏側を暴いてくれないだろうか?
日本、大丈夫か?
3.11を映画化したら、こんなのになっちゃうのか?

ちなみに、映画としての出来もなかなかに悪い。
お涙ちょうだいのくさい演出と演技に辟易する。

途中、ダチョウ倶楽部のギャグのような場面が出てきて、僕は映画館で吹き出してしまった。
「僕が行きます!」
「僕が行きます!」
「じゃあ僕が行きます!」
「どうぞどうぞどうぞ」
の流れを、あんなに真面目にやられたら、笑うっつーの。


P.S.
最近、一部のアンチが僕のブログの過去記事を漁っていて、この記事が人気になっています。
確かに過激で事実と確定していない思い込み記述が多かったので、一部修正させて頂きました。
2020年7月21日

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名作小説の映画化。
ハリソン・フォード主演。
しかし、大作揃いの映画館で、いかにも地味な公開。
果たしてどんな出来なのか?

これは、星3つ。★★★
十分、映画館で観賞すべき出来。
「Fukushima50」とかいうプロパガンダ映画を観るぐらいなら、こちらをぜひ。
愛すべき小品という感じに出来ている。

賛否が分かれるのはCGで描かれた主人公の犬、バックだろう。
CGで描かれた動物が会話し歌う「ライオンキング」というヘンテコ映画が昨年話題になったが、あっちよりも安っぽいCGで、喋りはしないものの表情豊かに感情を表現するバックを受け入れられるかどうかで映画の感想が大きく変わると思う。
僕は受け入れられた。
ストーリーは陳腐だし、登場人物の造形も典型的過ぎるというか、まぁ使い古されたものだ。
そりゃそうだ、120年前の小説なんだから。
でもその辺に目をつむって、ゴールドラッシュ時代のアメリカに思いを馳せられれば、そんな舞台で語られる一頭の犬の物語は深い感動を呼ぶことだろう。
ハリソン・フォード主演と書いてあるが、出てくるのはほぼ後半だけだし、実質的な主人公は犬である。
バックがどんな人間たちと出会い、何を学び、成長し、そしてどこに帰っていくのかという、この120年前の原作小説が書いた物語は正確に映画化されているので、決して期待せず、犬がCGでしょぼいのも覚悟の上、観に行って欲しい。
オススメ。
動物好きには特に。

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