自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

士農工商

2014年11月03日 | がんこおやじ
 士農工商ということばを聞いたのは小学校の社会科の授業でだったと思う。江戸時代には武士が一番偉く、次が農民、それから職人で、商人がもっとも低いとされていたということだった。そのときの説明であったかどうか覚えていないが、実質的には商人が豊かで力をもっていたが、物を作る農民を偉い仕事と評価していたのだと聞いたような気がする。
 「へえ」と思った。私は人口10万人ほどの山陰の小さな町で育ったから、農家のことは知っているとはいえないが、母の実家が農家で、夏冬の休みには遊びにいったので、多少雰囲気はわかる。現金収入という意味では確かに貧しく、その家族も農民であることを「この土地のこの家に生まれたのだからしかたない」と感じているような空気を感じた。祖母は40代にして後家になり、3人の子供を育てながら農作業をしたのだから、どれだけ大変だったのか想像に余る。電気が通じたのが戦後の山深い土地である。叔父は昭和元年生まれという珍しい年生まれなのだが(12月25日からの1週間しかない)、小学校を出たといっても、農作業を手伝わされたというから勉強などする余裕はほとんどなかったようだ。十代で兵役をつとめ、敗戦の年に広島から帰省したと聞いた。
 そういうこともあって、自分は世間なみの勉強もしていないし、世間よりも貧しい、宿命として百姓をしているというようなところがあった。ただ、そういう社会に疑問をもつとか、不満があるという感じではなく、人にはさまざまな宿命があり、自分は農民であるから、それをしっかり勤めるのだという感じだったように思う。なんでも器用にできて、子供にもやさしい人だった。
 祖母は家族が買い物をしてくると値段を聞くことがあり、そのとき「なんぼとった?」と言った。値段がいくらという客観的な数値を聞くのではなく、商売人がいくら「とった」というのが感覚としてあったのだろう。それは「取った」というより「盗った」という感じではなかろうか。
 暑い夏に汗を流し、寒い冬も野良仕事をする自分たちの収入は少ないのに、火鉢の前に座っていれば客が来てお金を置いて行く。そんな「仕事」とはいえないようなことをしている者が豊かであるのは、自分たちからお金を「盗って」いるからだと感じられたのではなかろうか。
 年齢の近いイトコがいたが、その子たちも私と姉が夏冬休みに行くのを楽しみにしていて、「町の子はええなあ」といわれたが、私にはそこで過ごすのが大好きだった。それは、カブトムシやクワガタがいて楽しかったということもあったが、サラリーマンの暮らしより何か充実しているような気がしたからだった。ただ、経済的にはたいへんなのだということは感じた。そういうことがあったから、「農」が二番目というのが意外な感じがしたのだ。
 士農工商というランク付けをしたのは、政治的配慮であろうが、しかしそこには経済だけが尺度ではないという思想があったとみるべきであろう。天下で暮らす人々の生活を支えるのは食物であり、その生産を担う農民の存在は基本的に尊い。それがあった上でそれを加工したり、生活を動かす道具等を作る職人もまた必要である。そうしたものがなければ存在しえない商人は支えられる存在にすぎない。だからこそ、よい着物をきていても、あくまで腰が低く、客には敬語を使う存在であらねばならなかった。建前はそういうことであった。そしてその社会全体を安泰に治める責任をもつのが武士であるから、物欲をもたず公を考える武士は偉いのである。職業の評価におよそそういう見方があったのだろう。それがお天道様の目にかなうことであった。
 それは私の叔父のことばの端々にも感じられた。叔父が「ワシらが米を作るけえ、みんなが食えるだぞ」と言ったのを覚えている。それに現実に叔父が目にした戦後の混乱期の都市民のみじめな生活は、「現金収入はあっても、あいつらはいざとなったら弱いものだ」という思いを抱かせたと思われる。

 現代日本はどうだろうか。農業人口は4%ほどであり、もはや稀少職種である。圧倒的に都市人口が多い。江戸時代の士農工商の人口分布は知らないが、武士は1%、職人と商人を合わせて10%くらいではなかろうか。大半は広義の農民であったはずである。町人というのがかなりいたであろうが多くても3割くらいではあるまいか。この数字は違っているかもしれないが、人口の主体が農民であったことがくつがえることはない。だが、今や農民は圧倒的な少数派である。江戸時代の常識であった、食べ物が作られてこそ,人が生きられるという前提は、「なければ輸入すればよい」というそれまでになかった物流の変化の前に霧散した。自国で生み出さずして国として持続的に成り立つのであろうか。戦後の日本の都市生活を見ればその将来は明らかであろう。外国から買うために、日本の工業製品を売るのだから「工」は健全といえる。
 一方、人口の大多数を占める都市民の関心は消費にあり、社会は消費を軸に動いている。物の値段は消費者側の視線から決められる。そして買い物は大型スーパー、食事は大手チェーンで、家電製品や自動車は少数の大手メーカー車となっている。現代の理想の職業はそうした大手の経営者ではあるまいか。その人事はビッグニュースだし、財界人というのは政治家を見下すかのようである。商人は本音だけでなく、建前でも再優位にある。
 そして、衆人の評価の一致するのは、政治家の品位は俗物というより、破廉恥というにふさわしいということである。
 であれば、これは商工農士である。いやこれは正しくない。農は消えたのだから、欠如の一文字をとって「欠」であり、人口の主体を占める都市民は消費の「消」となろうか。つまり現代日本社会は「商消欠士」である。ただ、建前では「士」は国のリーダーだから、建前でいえば「士商消欠」というところか。
 その「士」だが、一体、このような社会が長い時代を安定的に維持されると本気で考えているのだろうか。それはばかばかしいほどありえないことだが、どうやらそう考えているらしい。その証拠に日本はギャンブルを重要な産業にするというではないか。人の人生を破壊することがわかっていることを国の産業にしようというのは狂気の沙汰としか思えない。しかも、「商」といっても、市場で客と値段の交渉をして「商売うまいねえ」と現物を売ってもうけるそれなりに「働く」あきんどではない。巨大な資本をゲームのように動かし、自分たちは絶対に損をしない手法で消費者を踊らせ、巻き上げる人握りのゲームプレイヤーである。江戸期の日本でいえばもっとも蔑まれるべき存在であった。
 現実の経済的豊かさは別にしても、建前として存在し、支持されたであろう「士農工商」が、本音も建前も逆転したことに、深い憂いを覚える。頑固親父はおもしろくない。
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