「はけと野川の文化祭」トークセッション「はけの緑は誰のもの?」(2025年4月25日)で話したこと
高槻成紀
報告書の生物評価の問題点
野川を縦断する3・4・11号線計画に関する報告書を評価しました。長い報告書で読むのは大変でしたが、私は読んですぐにこの報告書の本質がわかりました。報告書の中には動植物の記録リストがあり、その中に絶滅危惧種を含む重要種が取り上げられています。このこと自体、野川の道路予定地に豊富な動植物がいることを示していますが、この報告書は思わぬ結論に達します。
報告書にはその重要種についての個別の記述があり、例えばキンランについて、確認場所や状況が記述されていますが、具体的な場所名は伏せ字になっています。
<報告書のキンランについての記述>
これは盗掘などを回避するためで、妥当な措置だと思いますが、伏せ字にしたこと自体が、報告者がこれを貴重であると認識していることを示しています。キンランは寄生植物であり、菌根菌を通じて他の植物から栄養を得ているため、移植が不可能であることがわかっています(谷亀 2014)。
報告書ではそれに続けて「予測」が書いてあり、キンランについては「影響は大きいと予測する」、続けて「代償措置を講じる」とあります。この代償措置とは移植という意味だと察せられますが、意図的でしょう、明記はされていません。移植ができないことは生物学的事実ですから、この「対策」は無効ですが、「可能な限り配慮する」とされています。
アセスメントとは調査結果に基づいて科学的評価をするものです。この調査ではキンランの生育地を特定し、別の調査で明らかにされた菌根菌が必要であるということを書くまでがその範囲のはずです。このアセスメントを踏まえて評価するのは東京都であるべきですが、この報告書は評価までを含んでいます。そのような報告書がないとはいませんが、予測をするのであればその根拠が不可欠です。そしてその根拠に基づいて対策を提示すべきです。しかしこの報告書では根拠もなく代償措置を講じ、配慮するとしており、明らかにアセスメントの範囲を逸脱しています。「配慮する」のは東京都であって、その発注を受けた受託者のすべきことではりません。
この報告書ではキンランのみ計画の影響が大きく配慮するとして、他の動植物については全て「生育は維持されると予想される」、つまり問題ないと予測しています。
<ノカンゾウについての記述>
これは、計画推進を前提として、得られた調査結果を恣意的に歪曲したものだと言わざるを得ません。このような報告書によって計画の是非を判断することはできません。
報告書が扱かった内容の問題点
報告書には記録種数と重要種の記述があり、続けて生き物のつながりが書いてあります。例えばある動物がこの植物を食べるという食物連鎖があり、生物が矢印で結ばれています。しかしそれは調査した結果に基づくものではなく、想像で線を引いているに過ぎません。動植物をリスト化して希少種だけに着目する評価法には批判があり、1997年に環境影響評価法(こちら)によって改善が図られましたが、現実には旧態依然としたアセスメントが多く、この報告書も、体裁としては生き物のつながりを取り上げていますが、調査をしていないのでデータはありません。 リストではなく生き物つながりや生態系を重視する評価は保全生態学の発展によるもので、発表ではアンブレラ種としてのオオタカと、野川に住むカワセミのことなどを取り上げて紹介しました。
また生態系における生き物のつながりをオーケストラが演じるシンフォニーにたとえ、楽器を並べただけでは演奏にならないと説明しました。
道路計画の時代錯誤の問題
「3・4・11号線計画」は1962年に立てられたもので、それは田中角栄内閣の前であり、その後にGNPがウナギ登りに増加し、1990年代に安定しました。1960年代までは環境汚染が進み、「公害」という言葉が生まれ、それを受けて1971年には環境庁ができました。絶滅したトキやコウノトリの復活事業が進められ、東京では玉川上水では水流が止まっていましたが、1986年に復水しました。この半世紀余りの間に経済復興とともに、自然破壊に対する反省が起こり、保護への動きが強まったといえます。
小金井市においても2021年に「みどりの基本計画」が、2022年には「都市計画マスタープラン」が策定されました。これだけ大きな社会の変化が起きたにも関わらず、60年も前の計画が墨守されていること自体が異様なことです。保全生態学では順応的管理が重要であるとしますが、都道計画はこれと真っ向と反するものです。しかも既に人口減少が始まっており、自動車数も減少することが予測されているにもかかわらず、です。このような社会背景を無視した計画強行は容認することはできません。
小金井市と東京都との関係
「3・4・11号線」は都道であり、東京都の事業です。しかしその土地は小金井市にあり、道路を利用するのは多くは小金井市民であす。民主的な意思決定は、「東京が上で市町村が下」という間違った価値観を脱却し、市町村が東京都に明確に意思表明をすべきです。小金井市は市民の意見分布を調査し、それに基づいた要求を東京都にすべきです。
結論
野川の自然は、小金井市民はもちろん、東京都民にとっても宝物のような存在です。これを失うことはなんとしても避けなければなりません。
私は子供の頃から生き物が好きで、そのまま研究者になったようなものですが、動植物の保護を主張することは、「昔は良かった」と考えているからだ批判的に受け止められることがあります。しかし吉永先生が著作の中で、生物の保護は、いたずらに過去を良しと振り返るのではなく、社会にとって良い状態の自然を残すという未来思考なことである(こちら)と記されたのを読んで、意を強くしました。このことは、小金井市みどりの基本計画(2021)に記されている「野川はいつまでも子どもたちの遊び場であり、みんなのふれあいの場です」ということと完全に共通しますし、小金井市都市計画マスタープラン(2022)に記されている「次世代に誇れる自然と都市が調査したまち」を基本目標としていることとも一致します。小金井市が決めた方針からしても、この道路計画は見直すべきです。これまで、県や都が計画した道路は市町村は受け入れるだけでした。しかし、もし小金井市が東京都に対して3・4・11号線を見直すべきだと主張し、それが受け入れられれば、画期的なことです。それは日本勢体にとって朗報となるはずで、その英断は日本の都市緑地の保全の歴史に記憶されるものになるでしょう。
道路がつくことの影響について
ここまでが私が発表のために準備した内容でした。その後、私に報告書の評価を依頼された横須賀さんから次の2点について問われたので、トークセッションの後に話をさせてもらいました。
ひとつは、道路がついたらどういう影響があるかということです。実験をするわけにはいかないので具体的な影響はわからないとしかいえませんが、参考になることがあります。小平市の玉川上水をまたぐ幅2メートルほどの陸橋がありますが、その下の植生は周りのものと大きく違います。それは雨が当たらないために乾燥するからです。したがって幅16メートルもの幅の広い道路がつけばその影響はさらに大きいはずです。道路計画推進派の考えの根底には、野川の長さを考えれば細い線のような部分が影響を受けても大したことはないとか、そこの植物が失われても周りにはあるのだから問題はないという考えがあります。私たちはこのことの持つ意味をよく考える必要があります。このことは次のことと通底します。
「自然に配慮しながら道路をつけたら良い」という姿勢について
道路をつけるのは望まないが、しかし道路には利便性があるのだから、自然への影響を最小限にするようにしながら道路をつけるのが良いという考えの人もいます。私たちは「人の生活が便利になるなら、自然が破壊されることはやむを得ない」という主張には真っ向から反対します。しかし「配慮しながら道路をつける」という主張は一見、道路反対であるかのようなカモフラージュをしながら、実は推進するという意味で悪質です。物分かりの良さそうなこの種の主張に肯首する人はいると思いますが、よく考えるべきです。戦後の日本の自然破壊はこの狡猾な説明によって進められ、無数の自然破壊が進んでしまったことを忘れてはいけません。
道路がついたらどういう影響があるかという問いに戻ると、私は東京都の報告書のように「影響はないと予測できる」とはいえません。なぜなら、私は専門家であるからこそ、我々が自然についてほんの少ししか理解していないことを知っているからです。私は子供の頃から数えれば60年以上、動植物を観察してきました。そして今思うことは、自然を知れば知るほど、自分は何も知らないことに気づくということです。調べれば知るほどもっと知りたいことが増え、それを調べれば動植物はその問いかけに応えてくれ、終わりということはありません。
野川の水流の中には魚類や無数の水生動物がいて、それぞれの研究分野に専門家がいます。陸上にはさまざまな植物が生え、それについて知っている専門家もいます。しかし水界と地上界の間にあるインターフェイス部分で起きていることについて知っている人はいません。ですから、安易に「こういう影響がある」とはいえないのです。
自然のことはわかっているというのは、自然のことを知らない人の言うことであり、自然は管理できると言うのは傲慢であるからです。そのような姿勢が日本の自然を破壊してきたことを反省することなしに私たちの社会に未来はないと思います。
セッションの最後に私は親交のあったC.W.ニコルさんが晩年に書いた詩を紹介しました。
発表後に記念撮影