自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

教科書

2020年01月09日 | 研究など research
哺乳類学の新しい教科書が出版されることになりました。正確にいうと、新しくはありません。20年ほど前に出版したシリーズが新装版として出版されることになったのです。
 当時、私は50歳くらいで、まあ元気なときでした。5巻シリーズの編集をし、その1巻である「生態」の執筆をしました。この本はそれまで適切な哺乳類学の教科書がなかったので、広く受け入れられました。ただし当時、教科書というと堅苦しさがあったのですが、このシリーズは綺麗な写真を表紙に使い、厚さもほどほどのソフトカバーだったので、スタイルとしても斬新さがありました。






そこに以下のような文章を書きました。

新装版刊行にあたって
「哺乳類の生物学 全5巻」は1998年に刊行された.A5判で厚さ1cmあまり,ソフトカバーであった.カバーには江川正幸氏の野生動物写真があり,従来の教科書に比べるとすっきりして手に取りやすい印象があった.哺乳類学を分類,形態,生理,社会,生態の5つのテーマでカバーすることにした.
 それまでわが国に哺乳類学の教科書と呼べるものはなかったといってよい.重厚な獣医学の教科書やいくつかの個性的な書物はあったが,前者は難解,後者は読みものとしてのおもしろさはあったが,哺乳類学としては満足のいくものではなかった.また,生物学諸分野の教科書はあったが,それらにおける哺乳類の位置づけは小さかった.そういう意味では,このシリーズは哺乳類学において初めての読んでおもしろい教科書となったと自負している.
 本シリーズの「刊行にあたって」のなかで私たちは次のように書いた.「私たちは,地下を流れていた水脈が本シリーズによって地表にいたり,種子を潤してさまざまな芽が出ることを楽しみにいている」と.それはある程度果たされたように思う.本シリーズが論文に引用されるということはほとんどなかったかもしれないが,このシリーズに引用された文献から学んだ人は少なくなかったはずだし,哺乳類学とはこんなにおもしろい世界なのかと目を開かれた人もいたにちがいない.
 今回,このシリーズが新装版となることは喜ばしいことである.ただし内容の改訂ではなく,後述するようにその歴史的意義を尊重し,明らかな誤りや誤字などの訂正にとどめたことをご了解いただきたい.
 旧版の刊行から20年ほどが経過した.それは進歩の著しい生物学において短い時間ではない.この間に,日本では私たちの世代が探してもなかった哺乳類学の本格的な書籍もつぎつぎと刊行された。
 この間における研究上の進展を個別に紹介する紙数はないが,大きな出来事として分類体系の新編成がある.DNA研究の発展によって系統が見直され,分類体系が激変した.そのことは,しかし,形態と機能の関係という古典的な課題に新たな視点をもたらすことにもなった.また,研究分野が高度に専門化されたために,動物1頭はおろか,器官や組織の把握さえ困難になっているミクロ生物学に,動物全体をみることの重要さを再認識させたという動きがあったことにも注目したい.
 いっぽう,野外調査が活発になることで行動学,社会学,生態学の新知見がもたらされ,行動学が環境と関係づけて理解されたり,形態学と生態学が融合した研究も生まれるようになった.社会学ではクラットン=ブロックがその集大成ともいえる“Mammal Societies”(2016,Wiley)を著した.
 本シリーズが刊行される前には遺伝学と生態学は別々の研究分野とみなされがちであったが,その後,両者の歩み寄りがあった.これらの研究はニホンジカやエゾヒグマについて,「過去の生物学」となっていた生物地理学に新しい光を注いだ.その意味で,この20年間は日本の哺乳類学において,それまで独立に近い関係にあった諸分野が歩み寄り,共通の言語をもつようになったといえるだろう.それは,素朴な生物学に回帰したというより,専門化した学問領域が統合という意志をもって再編成されつつあるととらえるべきであろう.これは学問にとってすばらしい展開といえる.
 日本人による国際学術誌への発表も多くなり,日本哺乳類学会の英文誌である “Mammal Study”が国際誌になったこととも相まって,日本の哺乳類学は国際レベルに達した.
 20年前に刊行された本シリーズが古いことは事実だが,古いことは価値を失うことではない.その時代にどのような情報にもとづき,どのような論理によって哺乳類を理解したかを読み取らなければならない.われわれはすばらしい先人に恵まれている.そのひとり田隅本生先生に次のような言葉がある.学問としての哺乳類学に取り組むうえで重要なことは,「その対象たる哺乳動物が大自然の時間的・空間的システムのなかでどのように位置づけられるものであるか,また,それと自分が研究しつつある現象そのものとが相互になんらかの依存関係をもっていることをつねにはっきりと認識し,その認識を研究成果に反映させるということ」(1963年)であるとする.ほぼ同じ時期に平岩馨邦先生が「哺乳類科学」創刊号に「“Keep the fire burning”私たちのともした,いと小さい火を若いみなさんでもりたてて,大きく燃やしていただきたいものである」(1961年)と書いておられる.
 半世紀ほど前に残されたこれらの言葉は時代を貫いて今も新鮮に響く.そうした哺乳類学の流れの一時代に乗り合わせたわれわれは,先人から引き継いだこの情熱のバトンを次の世代に引き継ぐことにしよう.

編者

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