goo blog サービス終了のお知らせ 

リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

2002年春,手紙 (10)

2005年01月11日 03時26分44秒 | 随想
 この教会コンサートには私の家族以外に二人の日本人女性が来ていた。こんな田舎の小さな会場に6人もの日本人がいるのは奇妙といえば奇妙である。二人はSさんとその友人で、話を伺ってみるとスミス氏の生徒である由。その次の年には勉強を終えて日本に戻るという。ちょうど私と入れ替わることになるわけで、さっそくその場で彼女の下宿にかわりに入ることを仮承諾してもらった。下宿やアパートは普通行ってから探すもので、こんな有り難いことはなかった。こんなところにもタイミングというか少し大げさにいうと運命的な何かを感じた。

画家

2005年01月10日 04時19分35秒 | 日記
大家さんが部屋に来て、
「ショウジ、隣の画家が今から来たいといってるんだけど、いいかしら」
「ええ、いいですけど今ランチ食べてるんで、あと20分待ってください」
なんでも隣に画家さんが住んでいて、リュートの絵を描いているそうです。で、楽器を詳しくみたいので、私のところに来たいと言っている、と前から大家さんから聞いていました。
20分も経たないうちに、大家さんといっしょに画家さんが来ました。一見なんかいわゆる画家というタイプの人じゃない感じでしたけど、簡単な挨拶のあと、バロックリュートを見せたら、
「(ブリッジを見て)おー、こんなに細いのですか。で、そういう風に弦を巻き付けるのですね。ふんふん。」
「ええ、13コースも弦があって、1,2コースはシングルですけど、大きな力がこの細いブリッジにかかって・・・」
「どうも、ありがとう。それじゃまた」
「え?ああ、どういたしまして」
というわけで、えらい短い時間の訪問でした。1分も経ってませんでしたね。それで画家さんは充分な情報を得たようです。彼はカメラアイでも持ってるのかな。

凄腕プレーヤー

2005年01月09日 00時38分13秒 | 日記
凄腕バンドネオンプレイヤーの話は以前書いたとがありますが、今年も来ていましたね。クリスマスイブでした。CD屋に用事があったので、先にCD屋に行ってかけつけたら、もういませんでした。(笑)ありゃりゃ。しまった!
今日学校に行くとき、なんと路上ピアニストがいました。どうやってあんな重いピアノを持ち込んだんだろうと思って少し聞いていましたけど、うまかったですねぇ。何であんなうまい人がこんな所でなんて思っていたら、横で三脚を立ててでっかいカメラで彼を(まだ若いです)撮影していました。ひょっとして彼、有名な人でCDかなんかのプロモーションのために路上で弾いている?のかも。
帰りにいつものレオンハルト教会でオルガンのコンサートを聴いてきました。最近あまり行ってないので結構久しぶり。今日はMarkus Schwenkreisという人でしたが、すごくうまかったですね。オルガンって、「なんでこんな無神経にひけるの?」という感じでフレーズを弾く人がいますが、彼はすごく細かく神経を使って弾いていました。巧みなアゴーギグと、あれってタッチで出来るんでしょうかね、音の強弱。アウフタクトなんか弦楽器で弾くみたいな感じでしたよ。オルガンでもそういうの出来るんですね。知りませんでした。一緒に来ていたオルガン科のKさんに聞いたら、彼はスコラの先生とのこと。聞いたのは初めてです。シンプルな二声の曲をたっぷり歌わせた彼も凄腕ですね。

シェーネン・オーバーン?

2005年01月08日 00時12分09秒 | 日記
私、実はチョコレートが大好きなんです。チョコレートと言えばスイス、そうだから私はスイスに留学に来たのです。というのはウソですが、駅の跨線橋の商店街にMerkurというチョコレート専門店があって、ここによってチョコレートを買うのがこっちの生活の楽しみの一つです。あ、もちろん買うだけじゃなくてあとで食べますけどね。今日も洋酒のはいったのを2枚買いまして、いつものようにおばさんが、Brauchen Sie keine Tasche?(たぶんそういってると思う)「袋は要りませんか」って聞いてきます。動詞なしのときもあっていろいろないいかたがあるみたいだけど、Tasche...?と聞かれたら、まぁ袋がいるかどうか聞いているということくらいはわかります。今日は別のところで買い物して袋を持っているので、Nein.と答えて帰ろうとしました。最近結構ドイツ語がスムーズにいくんだよね。で、別れ際に、「シェーネン・オーバーン」。ん?何ていったんだろう。「あは・・ja」なんて少し照れ笑いをつけてその場をさりました。「シェーネン」はschoenenだわな、これはわかる。でも「オーバーン」って何だろ。美しいおばん?なわけないね。フランス語かな。バーゼルはフランスに近いせいか、フランス語が会話に混じるからそうかもしれない。なんて考えながらながら店の出口に向かってききました。あーそうか。Abendだって気づいたときはもう店を出ていました。そういや数字の60(sechzigゼヒツィヒ)がこっちではザハツィクになるからなぁ。ようするに長くのばすアーがオーになり、短いエがアになるんでしょう。よしこれから注意してみましょう。しかしバーゼルのドイツ語は聞き取り難易度が高いな。

右手

2005年01月07日 02時25分10秒 | 日記
最近右手のフォーム(英語ではpositionという方がいいらしい)をthomb insideからthomb outsideに変えたので、今日のボブの中世リュートのレッスンは何か右指が迷っていました。指のタッチの仕方を変えたわけではないので、いつでも元に戻れるんですけどね。昔の絵を見ていると、バロック期以降のリュート奏者でthomb insideの人っていないんですよね。でも現代の奏者には結構いますね。師匠がまずそうだし、ロルフ・リスルバン、クロウフォード・ヤング、今村氏もそうですね。outside派はロバート・バルト、ナイジェル・ノースですね。クロウフォード・ヤングは中世の専門だからこれは当然insideですけど、あとの4人はバロックリュートとかテオルボも弾きます。何かレパートリーとの関連で言っての傾向は見られないか?特にないですね。(笑)師匠にさからってまで、わざわざ今頃outsideに変更して何の得があるのかと思われるかもしれませんが、今まで(歴史上も含めて)圧倒的にoutsideが多いという事実には何かあると思いまして、やってみましたが、意外と快適ですね。うむ、このままずっと変えてしまうかも。

ポスター

2005年01月06日 01時27分27秒 | 日記
街を歩いているといろいろな宣伝ポスターが目に入ります。どこの国の宣伝ポスターもポスターである以上目立たせようというのは同じですが、こっちのは結構きわどいのやら訳のわからないものあります。少し前は、女性のTバックのおしりのポスターがありました。目のやり場に困るも何もあまり巨大すぎるので(ポスターが、ですよ)、つい見てしまいます。右の方から男性の手が伸びて、ひもを引っ張ろうとしているのですが、いったい何の宣伝だったのか記憶にありません。最近でてきたのが、写真のポスターです。人間がばたっと倒れている写真なので一体何なのかとつい見てしまいますが、これはBluewinというADSLのプロバイダの宣伝です。倒れている人物は男女いろいろなバージョンがあるのですが、看板の文からすると、無料モデムが入った箱が頭にでも当たって倒れている様子のようです。「Bluewinはあなたにモデムを投げます」???なんとなく意味不明ですが、この意味不明性こそが、このポスターの意図なのかな。よーわかりませんが。

シャテル・サン・デニ

2005年01月05日 04時50分49秒 | 日記
シャテル・サン・デニ、行って来ました。モーリスはル・パコって所に住んでいますが、今日は最寄りの駅で落ち合うことに。10時ジャスト発の列車に乗り、到着したのが、12時20分過ぎ。途中、パレジューというところからは超ローカル列車に乗ります。日本で言うと、三重県の北勢線みたいな(ローカルなたとえですみません)感じの、速度もあまり出ない列車です。乗る前にモーリスに携帯で連絡。シャテル・サン・デニで待つこと10分くらいで、モーリスが来てくれました。で、いつものレストランへ。ここがまた安くて結構おしいんです。今日のサービスランチは、肉料理と幅広きしめんの付け合わせ。プラススープとビールも注文。モーリスはここのなじみで、いつも主人と奥さんが愛想よく挨拶してくれるので、大変気持ちいいですね。二人ともほんとにいい感じの人ですよ。今日はなぜかすごく混んでいまして、モーリスによると、ここは観光地でも何でもないんですけど、この店のフォンデュの味が有名で、休みにはあちこちから人が来るとのこと。しまった、フォンデュにしておけばよかった。モーリスと食事しながらあれやこれやと2時間くらい雑談、レストランを出ました。出がけに、修理の楽器を見てみましたが、修理はバッチリでした。でもあとでもう一度見たら、パーチメントも取らず、もちろん表面板も開けずに修理してあったんですけど、どうやってやったんだろ?彼に聞いておけばよかった。帰りはさすが田舎、次の列車までなんと2時間待ち!しょうがないので、近所をうろついたり、喫茶店に入ったりして時間をつぶしました。その後の列車の接続は大変スムーズで、以前パレジューで40分以上待たされるのが常でしたから、ダイヤ改正のおかげかな。6時30分ころバーゼルに着いたときは、あたりはもうすっかり暗くなっていました。

モーリス

2005年01月04日 01時02分29秒 | 日記
「もしもし、ショウジですけど」
「あー、ショウジ、モーリスだよ」
「修理に出していた楽器を取りに行きたいんですけど」
「いついらっしゃる?」
「えーっと、明日かあさってあたりが」
「どっちでもいいよ」
「じゃ、早いほうがいいから、明日にします」
「何時頃になる?」
「えー、去年の12月にダイヤが変わって毎時発00分発になったから・・・」
「うむ、そうだね」
「10時のに乗りますね。だから12時頃、えと12時と1時の間頃に着くと思います」「じゃ、いつものようにシャテル・サン・ドニ駅に着いたら電話してくれる?」
「もちろんですよ」
「じゃ、また明日会いましょう」
「じゃぁ、さような・・・おっと待ってください。大事なことを聞き忘れました。修理費用ですけど・・・」
「ただだよ。」
「わお!」
「まあ、ニューイヤーギフトってとこだね」
「いやぁ、どうもありがとう!」
「じゃ、また明日」
「じゃ、さようなら」
ということで明日モーリスのところに楽器を取りに行きます。修理費用ただになってうれしいな。

2002年春,手紙 (9)

2005年01月03日 09時42分28秒 | 随想
 私が79年に会いに行ったときの彼の印象は、形式張らずざっくばらんだが、何か鋭く尖ったものも併せ持っている感じだったという風に記憶している。彼の自宅のレッスン室に入るとまだ前の人がレッスン中だったが、レッスン曲の和音についていきなり私に質問して来て面食らったものだ。レッスンが終わったあと話をしていて急に話がとぎれ、なぜか鋭い目つきでこちらを見て沈黙したこともよく覚えている。どんな内容を話していて、どういう理由で話がとぎれたかはもう覚えていないが。その後20何年の間に、彼の身に何が起こったか、また彼がどう精進したかはわからないが――彼の演奏の円熟ぶりから推測するにそれは人並みはずれたものだったろう――そのときの彼には言葉ではいいあらわせないようなとてもおだやかで人を暖かく包み込むものが漂っていた。これが、彼が優秀な教師でもあることの秘密である、とそのとき思った。

2002年春,手紙 (8)

2005年01月02日 03時53分23秒 | 随想
 演奏が終わり、スミス氏のところへ話しに行った。彼は演奏を終えた2台の楽器を丁寧にケースにしまっているところだった。彼が私のことを覚えていてくれるか少し不安だったが、話しかけると手紙のことそして23年前のことをとてもよく覚えてくれていて何かほっとした。手紙に書いたように、その次の年の9月から勉強に行く意志を彼に伝えると、彼はこれからの勉強ことについて私を励ましてくれた。いかに「決断」をしたとはいえ、そのときはまだいくばくかの不安が心の隅に残っていたが、その彼のことばに大いに勇気付けられた。