日経新聞にはいくつかコラムが連載されていてそれぞれとても興味深い内容が多いです。日曜日ですと日本語言語学者さんのコラムはとてもインフォーマティブだし平易な書き方で毎週楽しみです。何より結構専門的な内容にもかかわらずこちらに語りかけてくれるような書き方が嬉しいです。
夕刊のコラムは半年くらいで複数の執筆者が書いていく形式ですが、これは執筆者次第で相当差が出てしまいます。某大学の学長をされていた女性は自身の大学の改革の話ばかり、それもいかに自分がそれに大きくかかわったかという内容で読んでいてちっとも面白くありませんでした。部外者にとって学園モノは面白くないのです。
同じコラムでもスポーツ関係のスキャンダルでゆれた某大学の理事長になった作家のコラムはとても興味深い内容が多かったです。超忙しい筈なのによく色んな話題の引き出しがあるものだと関心しながら読んでいました。
絵画や写真を軸に10回シリーズで執筆されるコラムもなかなかバラエティに富んで面白いですが、当ブログでもときどきやり玉にあげる音楽関係の絵画コラムのデタラメには閉口します。なぜか一定の期間をおいて出てくるので今では次はどんなデタラメが出てくるのかと待ち構えていますが。
今日の日曜版の旅関係のコラムは4月から変わった新しい人によるものでしたが、自分の手柄話のオンパレードで鼻につきまくりでした。この方の手下の人は喜ぶかも知れませんが、日経新聞は一般の人も読む新聞なんですけどねぇ。3月までの執筆者グループのひとり芥川賞作家氏のコラムは自作にまつわる土地の話など、作家で文章が上手だということもあるんでしょうけどとても興味深い内容が多く引き込まれるものでしたが。
文章技術の巧拙はあるにしてもこういったコラム執筆は、まず読んでくれる相手に向き合っているかが一番大事なことなんだと思います。自分の手柄話や「学園モノ」のように自分周りの特殊な状況に依存した内容ばかり書いているのは論外です。当ブログも少し方向性は異なる立ち位置ではありますが、論外コラムを他山の石として執筆していかなくてはと思います。
コラム、社説等のコーナーには様々な方面の話題が載りますが、読む人の立場で毀誉褒貶な評価があるものだなと感じます。
その道のプロ、例えば芸術、政治、経済、軍事、社会、芸能等の分野でも意見、見解の相違は必ずあるものです。
それが一般の国民であれば、どう思うか、感じるかも様々だと思われます。
でも、凡その人が思うであろう感想というものは大体、当たってるものだと思いますね。
長年、自分が関与してきた分野であれば、自然と自分がいかに貢献したか、いかに果たした役割が重要なものであったか、正しかったか、自慢めいた話に向かうものです。内輪の話しに終始して、肝心の論点から逸れてしまうこともある。
私も商工会等で商売上の講演の巻頭をしゃべったこともありますが、よくよく話す原稿を日を置いて見直すようにしてました。客観的に業界全体的な自分よがりにならず、自慢にならず、独断にならず、悪口にならず。。。なかなか難しいものです。
ましてや書籍や雑誌に連載するようなものなら尚更ですね。
でも、今後は生成AI全盛の時代になっていきますから、お任せの専門家も出てくるでしょうね。自分のアバターがどこかで講演なんて世界も!
なんか薄気味悪いですねえ。
>同感ですね。... への返信
やはり相手が興味を持っていただけるような内容、つまり相手の方に向いている内容であることが大切です。自慢話は自分に向かっている内容なので一番面白くありません。言ったり書いたりしている人は楽しいんでしょうけど。