松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『青春デンデケデケデケ』(読書メモ)
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時は1965年。香川県観音寺の高校生がロック・バンドを結成し、練習、公演、解散(卒業)するまでを描いた青春小説。
ちなみに、「デンデケデケデケ」とは、ベンチャーズの代表曲パイプラインのサビ部分。
何が面白いかというと、まず香川弁である。
「『あんじゃる~~~(気持悪~~~い)!』とおらんで(叫んで)唾を吐いた。」(p. 72)
のように香川弁オンパレードなのだが、なぜか心地よくなってくるのが不思議。
また、半自伝的な小説のため(モデルは友人らしい)、登場人物がとてもリアルで魅力的なのだ。
ストーリーよりも、人物描写だけで面白い小説になっている。
時代も、活動も、友人の性格も違うのだが、本書を読み、なぜか高校時代に戻ったような気がした。
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『教誨師』(映画メモ)
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受刑者を教え諭す役割の教誨師に着任したばかりの牧師・佐伯(大杉連)は、6名の死刑囚と面談を繰り返す。
映画のほとんどは、受刑者との面談室なので、まるで舞台を観ているような気になる。
とにかく、死刑囚役の俳優の演技が上手く、引き込まれた。
はじめは紋切り型の指導なのだが、徐々に死刑囚に寄り添う姿勢に変化する佐伯。
死刑囚との対話を通して、自身の暗い過去に向き合っていくプロセスが描かれる。
「教えることは、教わること」だと、改めて感じた。
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『ガラスの動物園』(読書メモ)
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作者の自伝的な戯曲である。
詩人になる夢を抱きながら倉庫で働くトム、足に障害があるため婚期を逃し自分の世界に閉じこもる姉ローラ、そして、過去にすがり厳しい現実から逃避する母アマンダ。
彼らが住む暗い裏部屋を舞台とした追憶劇なのだが、読み進むうちに切なくなってくる。
本作の中心は、足の障害を持つために心を閉ざすローラのストーリー。実際に精神障害を病んでいた姉へ思いが伝わってきた。
ただ、はじめは不憫に感じていたのだが、よく読むと、大切にしているガラスの動物たちと会話し、街を歩き自然と親しんでいるローラは、むしろ、「自分の世界を確立」しているともいえる。
精神科医ウィニコットが提唱する「一人でいられる力」が高いのだ。
多様な読み方ができる本作。胸にずしんときた。
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『ツレがうつになりまして』(映画メモ)
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漫画家の晴子(宮崎あおい)は夫(堺雅人)のことを「ツレ」と呼ぶ。
仕事のストレスからうつ病になってしまったツレと、彼を支援する晴子の闘病記が本作である。
「割れないであることに価値があるんだよ」という晴子の言葉が響く。
なお、うつ闘病とは関係ないが、晴子の漫画連載が中止されてしまう場面がある。そのとき、「描きたいものを描いてますか」という編集者の発言が心に残っている。
ツレがうつになり、描きたいことを描く機会が与えられた晴子。病気はつらいものだが、何かに気づく機会を与えてくれるのかもしれない、と思った。
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日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません
(エフェソの信徒への手紙4章26節)
(エフェソの信徒への手紙4章26節)
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『愛がなんだ』(読書メモ)
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角田さんのエッセイが良かったので、小説も読んでみた。
男を「いけてる男」と「ダサい男」に二分したとしたら、後者に当てはまるマモちゃんを好きになったアラサーOLのテルコ。
読み進むごとに、マモちゃん(出版社勤務の20代後半男)の自己中ぶりにイライラがつのり、そんな彼に振り回されながらも、マモちゃんを愛するテルコに「?」を感じてくる(たぶん、たいていの読者はそう感じる)。
しかし、「マイナス部分を好きになる」「相手に好かれなくても構わない」というテルコの恋愛観がわかるにつれて、見方が変わってくる。
ギブ&テイクの愛を「エロス」と呼ぶのに対し、見返りを求めず慈しむ愛を「アガペー」というが、テルコの愛はアガペーなのだ。
一般常識からすれば「歪んだ愛」なのだが、本作を読み「こんな愛し方もあるのか」という軽い衝撃を受けた。
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『鏡』(映画メモ)
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「映像の詩人」と言われるタルコフスキーの代表作。
以前観た『ノスタルジア』がよくわからなかったので、トライしてみたが、やっぱりわからなかった。
ただ、映像は美しい。
また、彼の自伝的映画というだけあり、家族を捨てた詩人の父と、女手一つで子供を育てた母が、タルコフスキー作品のベースとなっていることがわかる。
「子供時代の家族関係がその人の生き方を左右する」というアドラーの考え方とも合致する。
現在と過去、個人生活と国の歴史が交差しながら描かれる本作は、理解するのではなく、感じることが大切なのかもしれない、と思った。
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『ボクシング日和』(読書メモ)
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小説家角田光代さんによる、ボクシング観戦記。
ところで、角田さんがなぜボクシング?
「2001年、たまたま住まいのそばにあった輪島功一スポーツジムに入会した。元世界チャンピオンの輪島功一さんが会長をつとめるボクシングジムである。その当時失恋をして、ともかくも心を強くしたいと切望した私は、まず体を鍛えなければならないと思い詰め、家からいちばん近いジムの門を、すがるように叩いたのである」(p. 8)
自分でも実際にやりながら観ると、見る観点も違ってくる。
小説家ならではの観戦記かと思いきや、淡々と各試合を紹介し、その興奮を伝えるだけであるのに驚いた。
しかし、読み進めるにつれて、「ボクシング=生きざま」であることに気づく。
本書の最後に「心と体」について書かれているので紹介したい。
「ボクシングの試合を見るようになってから、心と体の密接具合にひそかに驚いていた。ほんの少しの心の動き、迷いや躊躇が、そのままストレートに体にあらわれる。どんなに体を鍛えても、ほんの一瞬心が違う方向を向けば、体もそちらにいってします。そのシンプルさと残酷さに驚き、なんておそろしんだろうとも思った」(p. 157)
「一瞬ひるんだ心は百パーセント体を道連れにするが、強さを増した心が体にもその強さを与えるかというと、必ずしもそうではない。この日も、いろんな選手の心が、勝ちたいんだ、勝ちたいんだと叫んでいた。その叫びに鼓舞されて戦っても、でも、やっぱり体の限界はある。勝ちたいんだという心を抱えながら体は倒れていく」(p. 158)
心は大事だが、心だけでは勝てない。
仕事も同じだな、と思った。
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