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研究は瑞々しく、単純明快に

今週は非常勤の仕事で名古屋大学に滞在している。

キャンパスを歩いていたら、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治先生の言葉が刻まれている記念碑があった。そこには次のように書かれている。

研究は瑞々しく、単純明快に

これは名言である。

瑞々しい」とは「新鮮な」「若々しい」「生き生きとした」という意味だが、新しい発想に基づく研究ということだろうか。

そして「単純明快」な研究であるべき、という考えにも共感を覚える。シンプルなものは美しい

ネットを調べたら野依先生の記念講演の記事があったので、一部抜粋しておこう。

「私は、「研究は瑞々しく、単純明快に」をモットーとしてきました。かたちの美しい分子はきっと素晴らしい機能を発揮するだろう。そして最も単純な基本的な水素化反応を追求してきました。すぐれた科学研究には、知性と感性そしてすぐれた技術が必要のように思います」
(学術の動向 2002. 7, p.38)

技術だけではなく、知性と感性が必要であるという考えは、研究だけでなく、ビジネスの世界にも通ずるものである。現代の学校教育や組織では、知性や感性よりも技術が優先されているようなので、少し心配になった。

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主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように

主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように
(民数記6章26節)


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『マルコムX』(読書メモ)

荒このみ『マルコムX:人権への戦い』岩波新書

1950~60年代に活躍した黒人運動の指導者であるマルコムX。まず、名前に「X」が入っているところにインパクトがある。

ちなみに、この「X」は、奴隷時代の主人だった白人の姓「リトル」を捨て、自分たちが特定できないアフリカの本来の苗字を象徴するものらしい。

著者によれば、オバマ大統領の誕生には、キング牧師だけでなく、マルコムXの活動が大きく影響しているという。本書を読むと、家宅侵入罪で刑務所に入っていたマルコムXが、世界的な人権活動家になるまでの成長の過程がわかる。

マルコムXの特徴は、カリスマ的な演説の力にあるが、それが培われたのは、なんと「刑務所」であった。

もともと頭の良かった彼は、辞書を丸暗記し、英語の通信教育を受け、刑務所図書館で哲学書、文学書、宗教書、歴史書を読みまくる。さらに、刑務所内の弁論部で演説の力に磨きをかけていく。

8年間しか公教育を受けなかったマルコムだが、7年間いた刑務所が彼にとっての高校であり大学だったのだ。

その後、宗教団体「ネイション・オブ・イスラム」の伝道師として活躍するようになるマルコムは、「白人は悪魔」とののしり、黒人だけの国をアメリカに作ることを提唱する。

しかし、教祖から警戒されて、伝道師をクビになった後は、アメリカにおける黒人差別を「人権の問題」として捉え直し、「白人」を敵とするよりも、差別を引き起こす構造を非難する視点に変わっていく。アフリカ諸国を歴訪してからは視野も広がり、アフリカ諸国と共闘することで、人権問題を国連に提訴するアプローチをとるようになったマルコム。

マルコムと親しかった日系米人ユリ・コーチヤマは次のように語っている。

「マルコムがみなに教えてくれた貴重な教訓のひとつは、自分の歴史を知ることでした。自分の歴史を勉強しなさい。世界を知りなさい。そのままの自分に誇りをもちなさい。「自分が誰であり、どこから来たのかを知らなければ、将来どっちに向かっていけばいいかわからないじゃないか」とマルコムはよく言っていました」(p.224)

歴史を理解した上で、人間としての自己や他者を尊重することを訴えたマルコムXの考えは、今の時代こそ大切になると感じた。







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50代は踏ん張り時

ローソンCEOの新浪剛史氏は、「ビジネスマンとして成功するために40歳、50歳までにしておくべきことは何ですか?」という質問を受けて、次のように答えている。

まず、30代で良かったのは「決定権のあるポジションに就いたこと」らしい。経営全体を見ながら自分で判断する経験が経営者としてのベースになったようだ。

40代は、責任や権限が増えるがゆえに、社内にこもりがちになるので、社外に出て交流すべしとのこと。

では、50代は?

50代は踏ん張り時。リタイアする年齢を60歳とすると、あと10年です。この期間の過ごし方で人生のセカンドステージが決まるといってもいい」

現在54歳の新浪氏だからこそ実感がこもっている。

僕は来年50歳になるので、社会人として働ける「最後の10年間」にすべきことを真剣に考えないといけない、と感じた。

週刊ダイヤモンド2013年10月12日号、p.106
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いつも感謝していなさい

いつも感謝していなさい
(コロサイの信徒への手紙3章15節)

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『柳宗悦』(読書メモ)

中見真理『柳宗悦:「複合の美」の思想』岩波新書

民芸運動の創始者としての柳宗悦は知っていたが、こんなにスケールの大きい活動をしているとは思わなかった。

もともと宗教哲学者だった宗悦だが、西欧やアジア諸国と比較したときの日本の独自性とは何かについて考える。しかし、優れていると思っていた日本美術が中国・韓国の模倣であるとを感じ悩む宗悦。

そんなときに、無名の工人が作る陶磁器、布類、木工品の中に「日本独自の美」を見いだす。その根本にあるのが、人それぞれの持つ個性が寄り集まって「美」を作り出すという「複合の美」の概念である。

各々のものが各々の独創に活き」「互いが寄与し合ってこそ世界の文化は進む」という思想だ(p.182)。

第一次世界大戦後から、一貫して戦争に反対している宗悦さんは、宗教についても「複合の美」を強調する。つまり、いろいろな宗教があるけれども、その目指しているところは同じではないか、という考えだ。

「「われわれが登ろうとめざしている頂きは普遍的な『一つ』のもの」である。しかし、「その頂きに至る道は『多数』ある。(中略)つまり柳は、異質なそれぞれの宗教、宗派を、同じ山の頂にいたる異なった道としてとらえていた。どの道を選ぶかは、その人の性格や外的環境等の偶然によって左右される。したがってどの道を選んでもよい。大事なことは頂上を極めることである」(p.196)

本書を読んで感銘を受けたのは、宗悦さんが、異質なもの、世間的には「下」とみなされている者から学ぼうとする姿勢である。

「異質なものから学ぶためには「受け取り手の名人」になる必要がある。そしてよく受けとめるためには、できるだけ自己を無にする必要がある」(p.199)

ひとりひとりが持つ個性を重んじる「複合の美」の背景には、自己中心の考えからの脱却がある、と感じた。


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自分が生かされている意味

女優の風吹ジュンさんは、中学3年生のときに、お母さんから「面倒は見られないから京都に行きなさい」と言われ、お兄さんと二人ぐらしを始める。その後、18歳で上京して、銀座のクラブで働いていたときに、芸能事務所を紹介され、いきなり富士フィルムのコマーシャルでデビューする。

『寺内貫太郎一家』に出演するなど、とんとん拍子で人気が出た風吹さん。29歳のときに結婚し一男一女に恵まれるものの離婚してしまう。慰謝料も養育費ももらえなかった当時を振り返り、次のように語っている。

「独身の時は、失うものなんてないから何も怖くなかったけど、守るべき存在ができたとたん、二人を守れなくなることが急に怖くなりました。でも、それ以上に、自分が生かされている意味が見いだせるようになったし、何をするにも自己満足ではすまなくなり、幸せの基準が変わりました」

風吹さんは、50代に入ってから良い仕事をしているように思っていたが、その背景がわかった。

自分が生かされている意味を意識することで仕事の質が高まる、と感じた。

出所:ビッグイシュー日本版Vol.225(2013.Oct.15), p.3
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知恵が深まれば悩みも深まり 

知恵が深まれば悩みも深まり 知識が増せば痛みも増す
(コヘレトの言葉1章18節)

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東洋流の教育と「守・破・離」

谷崎潤一郎さんは、『陰翳礼讃』の中で、東洋の教育について次のように述べている。

「一般に東洋流の教育の方針と云うものは、西洋流とは反対に、出来るだけ個性を殺すことにあったのではないか。たとえば文学藝術にしても、われわれの理想とするところは前人未踏踏の新しき美を独創することにあるのでなく、古えの詩聖や歌聖が至り得た境地へ、自分も到達することにあった」(p.135-136)

確かに、日本人の好きな「守・破・離」の考え方においても、まず先人の教えを学び「守」が重視されているような気がする。

しかし、変化の激しい現在、先人の教えを打ち破り、自分なりの色を出す「破」や「離」が求められている。難しいのは、一生懸命「守」をしているうちに、「破」や「離」ができなくなってしまうのではないか、ということ。

そうならないためには、先生や先輩や上司から学ぶ「守」の段階においても、「破」や「離」を意識させることが大切な気がする。

五嶋みどりさんを育てた五嶋節さんは、バイオリンの稽古について次のように述べている。

「大事なことは、「サル真似」を通して自分で疑問を持つこと、「サル真似」の結果、自分で考えるようになることだと思います。(中略)練習を繰り返しやることも大切ではあるのですが、なぜここはどうしてもうまく弾けないのか、こうしたほうがいいのか、ああしたほうがいいのか、どうしたらいいのかと、自分で疑問を持ち、考え、試行錯誤して練習し、わからないときは先生に質問すべきです」(五嶋節『「天才」の育て方』講談社現代新書、p.84-85)

要は、疑問を持ち、考えながら先人の教えを吸収する姿勢を持っていれば、「破」や「離」の段階になっても困らないといえるのかもしれない。
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『陰翳礼讃』(読書メモ)

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』中公文庫

タイトルから判断すると、ドロドロしたことが書いてあるかと思ったが、中身はけっこうあっさりしたものだった。昭和5年~10年に書かれたエッセイが中心なのだが、古さを感じさせないところが不思議である。

この本の中によく出てくるのが「厠」の話

「漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、格好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む」(p.11-12)

いまどき、このような贅沢な厠は少ないが、よく考えてみると、薄暗いトイレは気持ちが落ち着くものである。自宅にはトイレが二つあるが、よく使うのは照明が暗いほうだ。

谷崎さんが言うように、日本人は本来、薄暗い場所が好きなのかもしれない。照明をおとした隠れ家的な飲食店も人気があるようだし。

たまに行く小樽のバーに「デスペラ」という店があるが、ここなどは、カウンターだけの小さな店だが、薄暗くて、妙に意心地の良い店である。

十数年前に家を建てたとき、リビングの照明が暗いことに気づいたが、今考えると、これはこれで良いのかもしれないと思った。



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