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『白い巨塔』(映画メモ)

『白い巨塔』(1966年、山本薩夫監督)

ひさびさにインパクトのある映画を見た。冒頭とラストで流れる「財前教授の御回診~」という声が耳から離れない。名優ぞろいのこの映画は、すべてのキャストが素晴らしかった。

なんといっても、財前五郎役・田宮二郎の、やや未熟だが鬼気迫る演技が最高である。途中から悪魔のような顔になっていくところが凄い。

財前の上司である東教授役の東野英治郎も上手い。財前が憎たらしくてたまらない感じがにじみ出ていた。

なお、財前教授の義父で、産婦人科院長・財前又一(石山健二郎)の「カネやカネ。カネさえ積めばなんとかなるんや!」というコテコテの関西人や、「競争相手の教授を殺せばいいじゃない」と提案する財前の愛人・花森ケイ子(小川真由美)がいい味だしてた。

最初は、真面目人間・里見助教授(田村高廣)がカッコいいと思っていたが、あまりの正直ぶりに途中から鼻についてきて、裁判の場面では財前五郎を応援している自分に気づいた。

逆に、財前の敵、東都大学・船尾教授(滝沢修)が「いやらしい奴」だったのに、裁判で素晴らしい陳述をしたと思ったら、やっぱりタヌキじじいであることが判明。

人間の多面性を実感した。

とまあ、そういう考察は抜きにして、最初から最後までハラハラドキドキして観ることができ、最高に面白い映画だった。







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万軍の主が定められれば誰がそれをとどめえよう

万軍の主が定められれば誰がそれをとどめえよう
(イザヤ書14章27節)

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『小林一茶』(読書メモ)

大谷弘至編『小林一茶』角川ソフィア文庫

痩蛙まけるな一茶是に有」「雪とけて村一ぱいの子ども哉」等の俳句で有名な小林一茶。編者の大谷氏の解説がすばらしかった。

本書を読むと、一茶の壮絶な一生とともに、そこから生み出された俳句を鑑賞することができる。

信州の農家に生まれ、3歳で母に死なれた後、継母に虐められ、15歳で江戸に奉公に出され、苦労したあげく俳句と出会い、52歳で故郷に帰り、初めて妻を迎えるものの、次々に子どもに死なれ、妻に死なれ、火事に会い、そして65歳で亡くなる一茶の生涯。

そこから絞り出された俳句に迫力を感じた。

学識のある人ではためらうような句をさらっと歌ってしまう一茶。

雪とけてクリ~したる月夜哉」(雪が解けて空では満月がくりくりとしている夜であることよ)(p. 127)

人生50年といわれた時代、自分の人生を振り返った句もいい。

月花や四十九年のむだ歩き」(月よ花よ、四十九年の私のむだ歩きの歳月よ)(p.142)

3歳で生き別れているのだから、覚えていないはずの母を想う句にグッときた。

亡き母や海見る度に見る度に」(亡き母よ、海を見るたびにあなたのことを思い出す)(p. 148)

浄土真宗を信じていた一茶だが、「「他力」ばかり言って、「他力」に依存してしまっても、結局は「自力」に陥ってしまうという」(p.229)と語っているのだが、この言葉は深い。

自分で何とかしようとするのでもなく、「神様なんとかしてください」と頼むのでもない、ありのままを大切にした一茶の一句。

ともなくもあなた任せのとしの暮」(人生、つらいことばかりであるが、ともかく一切を阿弥陀仏にお任せして年の暮れを迎えよう)(p. 225)

これらの句を読み、一茶の精神で生きたい、と感じた。

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争いと共同

『アイヌ神謡集』の中に、編訳者・知里幸惠さんの実弟・知里真志保氏(言語学者)の論文「神謡について(一)」が掲載されていた。そこには、神謡やユーカラの歴史について書かれているのだが、その内容を読み少し驚いた

なぜなら、アイヌ民族は初めから一致団結していたわけではなく、大陸からの異民族が侵入してきたことがきっかけで一つの民族となった、と書いてあったからである。

「大陸の方から押しかけて来た渡来の異民族と戦うために、北海道根生いの民族は、各地の酋長を集めて、族長会議をやっている。この頃は、もう・が孤立していたのではなく、異民族の侵入に対して、本土の連中が一致団結して連合というようなものを作り、総指揮者をおし立てているのである。そして、そのような共通の敵に対する団結を通して、同族意識を高揚し、自覚し、そこに、後世のアイヌという一つの民族を形成する地盤が作られてゆくのである」(p. 169)

この部分を読み、少し複雑な気持ちになった。というのは、「同族意識を持つためには戦争や争いが欠かせない」ともいえるからである。つまり、「争い」と「共同」は表裏一体である、といえる。

よく考えてみると、企業も、競争があるからこそ、組織内部で共同体意識が芽生える。逆に、外部との競争がないと、組織内がバラバラになる。実際、今行われているオリンピックでは、国同士が競い合っているからこそ、日本人という共同体意識が高まっている。

「争い」と「共同」のバランスをいかに適切に保つかが重要なのだろう。



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思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。
(ローマの信徒への手紙11章20節)



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『アイヌ神謡集』(読書メモ)

知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』岩波文庫

アイヌ民族の間に伝えられてきたユーカラを訳したものが本書。

訳者の知里幸惠さんは、この本が完成した半年後に、19歳という若さで亡くなっている。まず驚かされるのは、幸惠さんが書いた序文の美しさ。

「アイヌに生まれアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集まって私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極小さな話の一つ二つを拙い筆に連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族先祖と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます」(p. 4-5)

ここに掲載されている神謡は、動物の神が歌う形のものが多い。例えば「梟の神の自ら歌った謡」「兎が自ら歌った謡」「小狼の神が自ら歌った謡」など。本書を読むと、アイヌの方々が、動物を神様からの贈り物として大切に扱っていることが伝わってくる。「梟の神の自ら歌った謡」の一部を紹介しよう。

「私はそれを聞いてから川ガラスの若者に
讃辞を呈して、見ると本当に
人間たちは鹿や魚を
粗末に取り扱ったのであった

それから、以降は、決してそんな事をしない様に
人間たちに、眠りの時、夢の中に
教えてやったら
、人間たちも
悪かったという事に気が付き、それからは
幣(ぬさ)のように魚をとる道具を美しく作り
それで魚をとる。鹿をとったときは、鹿の頭も
きれいに飾って祭る
、それで
魚たちは、よろこんで美しい御幣をくわえて
魚の神のもとに行き、鹿たちは
よろこんで新しく月代をして鹿の神
のもとに立ち帰る。それを鹿の神や
魚の神はよろこんで
沢山、魚を出し、沢山、鹿を出した

(p.103-105)

自然に感謝しながら生活しているアイヌの方々のスピリットを感じた。こうした精神は、現代に生きる私たちにも必要になる、と思った。



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『イブ・サンローラン』(映画メモ)

『イブ・サンローラン』(ジャリル・レスペール、2014年)

イヴ・サンローラン(ピエール・ニネ)は、クリスチャン・ディオールの後継者としてファッション界にデビューし、フランスを代表するデザイナーとなる。

しかし、デザインの天才ではあるが、神経質で感じやすいイヴは不安定。何度も精神病院に入院する。そんな彼をマネジメント面で支えたのが同性愛のパートナーでもあるピエール・ベルジェ(ギヨーム・ガリエンヌ)である。

しかし、会社を経営するためには厳しいことを言わなければならないため、ピエールはスタッフから嫌われてしまう。

パートナーであるイヴからも「寄生虫!」となじられる始末。まるで、尽くしている奥さんが夫から罵声を浴びせられるように。

そんな屈辱の中で、なぜピエールはイヴをサポートし続けたのか

イヴへの愛もあったろうが、たぶん「イヴの才能」にほれ込んだからだろう。

企業の成長は、複数メンバーによるリーダーシップによって築かれることが多い。本田宗一郎に藤沢武夫が、松下幸之助に高橋荒太郎がいたように、イヴにはピエールがいたからこそ、会社としてのイヴ・サンローランは大きくなったのだ。これを経営学では「共有型リーダーシップ」という。

この映画を見て、共有型リーダーシップを発揮するのも簡単ではないな、と思った。





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あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか

あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか
(ローマの信徒への手紙2章21節)


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『ことり』(読書メモ)

小川洋子『ことり』朝日文庫

切なく、悲しく、そして美しい小説。天才・小川洋子の傑作である。

読んでいるうちに胸が締めつけられ、辛くなったけれど、それでも読みたくなり、読了した。

幼稚園の鳥小屋をボランティアで管理する「小鳥の小父さん」は、ゲストハウスの管理人。11歳から人間の言葉を話さなくなった兄と暮していたが、その兄も亡くなり独りぼっちになる。小さな恋もあったがかなわず、幼児虐待の疑いをかけられ、鳥小屋のボランティアも取り上げられてしまう。

孤独な老人が、すべてを奪われ、生きている理由がわからなくなるプロセスが丹念に描かれ、読んでいる方が苦しくなる。しかし、とても美しいラストに救われた。

本書で最もインパクトがあったのは、最後のほうで出てくる「鳥の鳴き合わせ会」。鳥の鳴き声を競い勝負するイベントである。この会に無理やり連れてこられた小鳥の小父さんは、たまらなくなり、家に帰り、自分が世話している小鳥と共に幸せな時を過ごす。

小鳥の声に耳をすまし共に過ごすことが大事であるとわかっているのに、いつのまにか「鳴き合わせ会」で他者と競ってしまう私たち。

この本を読み、誠実に生きたいと思っていても、知らず知らずのうちに世の中の競争に巻き込まれている人が多いのではないか、と感じた。


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『ココ・シャネル』(映画メモ)

『ココ・シャネル』(2008年、クリスチャン・デュゲイ監督)

映画としてはイマイチだったけれども、ココ・シャネルの評伝としては面白かった。

母親が亡くなった後、父親に捨てられ、孤児院で育ったココ(本名はガブリエル)は、お針子として働いていたが、お金持ちのパトロンの支援で帽子屋を開業し、やがてフランスを代表するファッションデザイナーとなる。

その後、15年間の沈黙を破ってファッションショーを開いたものの、時代遅れのレッテルを貼られてしまう。

もう引退したほうがいい」というアドバイスを受けるが諦めないココ。そして、翌年のショーでは大成功をおさめ、ファッション界での地位を不動のものとする。

「人間は成功でなく、失敗で強くなるの」「デザイナーは主張のあるものを作らなければいけない」というセリフが響いた。

ちなみに、復帰を果たした1954年には70歳を超えていたことを考えると、信じられないバイタリティの持ち主である。

映画を通して「創造者の執念」のようなものを感じた。


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