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試練に耐える人は幸いです

『試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。』
(ヤコブの手紙1章12節)
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『震度0(ゼロ)』(読書メモ)

横山秀夫『震度0(ゼロ)』朝日文庫

以前読んだ『半落ち』がイマイチだったのであまり期待せずに読んだが、とても面白かった。単なる推理モノを超えた深い作品である。

男たちの欲望と、女たちの嫉妬が絡み合って、人間の醜さを浮かび上がらせている。特に、有能なキャリア官僚とダメキャリア、地元ノンキャリア幹部の権力争い、準キャリアの苦悩、警察官の妻たちの暗闘、夫婦の関係が迫力をもって描かれている。

著者の横山さんは元新聞記者だけあって、とてもリアルに警察の内幕を描いている(ように思える)。

組織の中で正直に生きること、人間としてまっすぐに生きることの難しさを痛感した。
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会社の文句を言う会

段ボール製造機メーカーとして世界で五本の指に入るというISOWA(イソワ)には、「会社の文句を言う会」というものがあるらしい。

磯輪英之氏が4代目社長に就任した2001年、さまざまな経営改革を実施したが、社員は動いてくれなかったという。そのときから、磯輪社長は、表舞台に極力出ず演出家に徹することを決心する。

そして、「世界一風通しの良い会社」になることを目指し、「会社の文句を言う会」を設立した。この会では、30代の中堅社員がファシリテーターとなり、7人のメンバーを選出する。そして、会議室で会社への不平・不満を言いまくるのである。

悪口を言い続けていた若手社員たちは、しばらくすると、「自分たちがどう動くべきか」という話し合いに移り、「仕事に誇りが持てて、給料があがる」という目標と行動計画を立てるようになったという。社長は彼らの行動を支援し、結果的に工程の見直しとリードタイムの大幅短縮につながる。

日ごろ感じている本音をぶちまけることは、仕事の後の飲み会などでも行われている。そうした場での結論は「社長が悪い」「部長を替えろ」といったもの。たいていは、上の責任にして終わりである。

「文句を言う会」が単なる「ガス抜き」と違うのは、

1)会社の問題点を本音でぶちまけた後
2)自分たちに何ができるかを自律的に考え
3)それを経営者が支援している

ところだろう。

同社では、メンバーを変えながら、定期的に会を継続し、カイゼン活動につなげているという。

この会、いろいろな職場で応用できそうである。

出所:「ISOWA:社員の文句を評価する会社」日経ビジネス2009.3.30, p46-47.
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本当に一皮むける

先日、日本看護管理学会で講演する機会に恵まれた。タイトルは「経験から学ぶプロセスを可視化する」である。

その中で、神戸大学の金井壽宏先生が提唱されている「一皮むけた経験」(ぐっと成長するきっかけとなる経験)の説明をしたとき、座長の井部敏子先生(聖路加看護大学の学長)から面白い話を聞いた。

井部先生が、ある学生(女子学生)の論文を指導したとき、学生の力が急激に伸びた時期あったという。つまり、論文を書くという経験を通して、その学生は「一皮むけた」のである。

井部先生いわく「そのとき、彼女の顔や手の皮膚がむけたんですよ」。

人が一皮むけた経験をするとき、本当に皮がむけることもあることを知って驚いた。
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わたしはあなたの祈りを聞いた

『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙を見た。見よ。わたしはあなたをいやす。』
(第2列王記20章5節)
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『看護のなかの死』(読書メモ)

寺本松野著『看護のなかの死』日本看護協会出版会

2001年にナイチンゲール賞を受賞した看護師、寺本松野さんが、これまで看取った患者さんの記録である。自慢話をするでもなく、自身の経験を淡々と綴っている。

はじめからおわりまで、すべて死にゆく人々の記録なので、読んでいて少し苦しくなった。しかし、多くの方の臨終の様子を読むにしたがい、「生きることとは何か」を考えさせられた。

ここに出てくる患者さんに共通していることは、病床の中で家族や肉親の愛を感じることができた人は幸せな死を迎えている、という点である。「生きる」ということは、「人とつながる」ことと同義なのかもしれない。

もうひとつ印象深かったのは、看護師の方々の働きである。死を前にした患者さんにできることは限られているが、看護師さんたちは、患者さんに寄り添い、共に祈ることで、看護を学び、そして、死にゆく人々に平安を与えている。

寺本さんは「病人に学ぶ」という節で、次のように述べている。

「わたしたち自身の、人に学ぶ姿勢と他者を受け入れる心の広さによって、病人からの学びの深さは決まる。自分の心の貧しさを知る者は他者から多くのものを受けることができるが、自分の心にいつも自己のみを充満させている人は学びとることも少ない。」

「自分の心の貧しさ」を知ることの大切さがわかると同時に、自分の心のなかに自己が充満していることに気づかされた。
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生きているのが不思議

デジタルカメラの爆発的な普及により、ここ8年間で、3万店あったDPE(写真現像)店は1万3千店にまで減ってしまったという。

そんな中で頑張っているのが、写真専門店チェーンの「キタムラ」だ。同業他社を次々と買収して規模を拡大し、売上高は1600億円弱。不況の中でも9億円の純利益を確保している。

過去10年間の業界の変化について、社長の武川氏は次のように述べている。

生きているのが不思議なほどのすさまじい変化」

なぜキタムラはこのすさまじい変化に対応できたのか?それは、自社の事業ドメインを「デジタル対応の写真専門店チェーン」へと修正したからである。自宅で写真をプリントするより「便利で、簡単で、楽しい」サービスを提供することで生き残りをはかっている。

同社が力を入れているのが、デジカメで撮った写真を印刷して本のように綴じた冊子である「フォトブック」。「記憶」に残るデジカメ写真を提案することで利益を上げようとしている。

そのためのカギは、店頭における「接客力、提案力」を高めること。

キタムラは、社員が自分で作ったフォトブックを競うコンテストを開いたり、接客方法を教える「フォトブックOJT研修」を実施したり、社員からの問い合わせに答える社内向けのコールセンターを作ることで、現場社員の提案力を高めている。

また、同社は「キタムラ学校」という教育機関をたちあげ、社員を鍛えている。そこでは、単なる講義ではなく、ディスカッションやロールプレイングを用いて、「経営者発想ができる自立した社員」を育てることを目指す。店長だけでなく、アルバイトにも「経営」を意識させているところがすごい。

変化の時代を生き残るカギは「自分で考えることができる社員」を育てることにある。

出所:日経ビジネス2009.1.12号, p46-48「売りにくさを接客で突破」
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ヤル気の6分類

人はなぜ学ぶのだろうか?

東京大学の市川伸一先生は、大学生に「自分はなぜ勉強してきたのか」という問いを投げかけ、その答えを整理したところ、次の6つに分類できたという。

1)充実志向(学習自体が楽しい)
2)訓練志向(知力を鍛えるため)
3)実用志向(仕事や生活に生かす)
4)関係志向(他者につられて)
5)自尊志向(プライドや競争心)
6)報酬志向(報酬を得るため)

心理学では、動機づけを、活動そのものによって動機づけられる「内発的動機づけ」と、外からの報酬によって動機づけられる「外発的動機づけ」に分けている。市川先生の分類では、1)が内発的動機づけ、6)が外発的動機づけにあたる。

しかし、この6分類が面白いところは、単に「内」と「外」だけでなく、その間にある動機づけ要因がわかるところだ。いくつかの要因が組み合わさって「ヤル気」につながっているケースも多いと思う。

管理職の場合には、部下が何によって動機づけられているかを把握することで、やる気を引き出すことができるだろう。また、この分類を用いて、自分がやる気になっている状態を分析することで、自分のモチベーションをマネジメントすることも可能である。

出所:市川伸一『学ぶ意欲とスキルを育てる』小学館
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人の歩みは主によって確かにされる

『人の歩みは主によって確かにされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒れはしない。
主がその手をささえておられるからだ。』

(詩篇37章23節)
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『「天才」の育て方』(読書メモ)

五嶋節『「天才」の育て方』講談社現代新書

五嶋みどり、五嶋龍という二人のバイオリニストを育てた五嶋節さんが書いた本である。ちなみに、タイトルは編集者が考えたもので、節さんは二人の子供を天才だとは思っていないようだ。

10歳のみどりさんを連れてニューヨークに渡り、1年後にニューヨーク・フィルと共演して話題になる。そのとき、日本のマスコミから「あんな小さな子どもに、あんなことをさせるなんて、サル回しのサル」と批判されたらしい。

本書の中で教えられたのは次の2点。

まず、上達するには「サル真似」から入るべし、ということ。ただし、ただ真似するだけでは不十分である。節さんは次のように言う。

「大事なことは、「サル真似」を通して自分で疑問を持つこと、「サル真似」の結果、自分で考えるようになることだと思います。(中略)練習を繰り返しやることも大切ではあるのですが、なぜここはどうしてもうまく弾けないのか、こうしたほうがいいのか、ああしたほうがいいのか、どうしたらいいのかと、自分で疑問を持ち、考え、試行錯誤して練習し、わからないときは先生に質問すべきです」(p.84-85)

もうひとつ印象に残ったのは、節さんが考える「一流のプロになるための条件」。

「「表現する」という意識があるかないか、というのが、プロとアマチュアの大きな分かれ目だと、先ほどいいました。(中略)技術の進歩が「天才的に」早い子どもでも、また、不器用だけれども努力する子どもでも、何かを表現しようという意識、もっともっと表現したいという態度、そういう雰囲気が感じられない子どもは、プロに向いているとはいえません。」(p.154)

優れた人を手本にしながらも、疑問を持ちながら練習(仕事)し、「自分を表現したい」という意識を持つとき、どんな分野においても一流に近づくことができるのだろう。


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