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『津田梅子:女子教育を拓く』(読書メモ)

高橋裕子『津田梅子:女子教育を拓く』岩波ジュニア新書

新しい5千円札の肖像となる津田梅子の評伝である。

梅子は7歳のときに、女子留学生(3名)に選ばれ米国に渡り、ホストファミリーであるランマン家で育てられ、18歳で帰国する。華族女学校の教授になった後、再び米国に留学しブリンマー大学を卒業して、36歳のときに津田塾大学の前身となる学校を開設。生徒は10名だったという。

まず驚いたのは、小さい女の子を長期間留学させるという国の方針。これは、留学を企画した森有礼や黒田清隆が「米国の生活習慣や価値観の総体」(p.31)を身に着けさせようと考えたため。

しかし、帰国した梅子は日本語をすっかり忘れてしまい、家族ともコミュニケーションできなくなってしまった。完全に米国人になっていた当時の梅子は「移植された木のようで変な感じがします」(p.75)と言っている。

少し考えればわかりそうなものなのだが、中途半端な教育では意味がないということかもしれない。

なお、梅子の活動を支えたのは、愛情を注いで育てたランマン夫妻、盟友アリス・ベーコン、女性学者のロールモデルとなったブリンマー大学のトマス先生である。

本書を読み、「親、友、師」の影響力の大きさを感じた。
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どんなことでも、思い煩うのはやめなさい

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい
(フィリピの信徒への手紙4章6節)

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『君に読む物語』(映画メモ)

『君に読む物語』(2004年、ニック・カサベテス監督)

老人ホームに住む老婦人(ジーナ・ローランズ)に物語を読み聞かせる男性(ジェームズ・ガーナー)。

その内容は、お金持ちの女の子アリー(レイチェル・マクアダムス)と、肉体労働者のノア(ライアン・ゴズリング)の間に燃え上がる恋物語

アリーの両親から反対され、引き裂かれそうになりながら、惹かれあう二人。果たして結ばれるのか?

読み聞かせの場面と、実際のストーリーが交互に映し出される構成である。

「純愛の裏で傷つく人」がいるなかで、「君はどうしたいのか?」というノアの問いかけが印象に残った。

ややわざとらしさはあるものの、ラストシーンは良かった






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人の生涯は草のよう

人の生涯は草のよう
(詩編103章15節)

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『葉隠入門』(読書メモ)

三島由紀夫『葉隠入門』新潮文庫

武士道というは、死ぬ事と見付けたり」で有名な『葉隠』を三島由紀夫が解説した書。

ちなみに、『葉隠』は江戸中期、佐賀藩の山本常朝によって口述筆記された武士道の本。

過激な内容かと思いきや、『葉隠』自体も、三島の解説もバランスのとれた深い内容だった。

なぜなら、「いつでも死ぬ覚悟を持って生きろ」というだけでなく、「1回だけの人生なんだから、楽しめ」とも言っているからである。

「『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』は第一段階であり、『人間一生誠に纔(わずか)の事なり。好いた事をして暮らすべきなり。』という理念は、その裏であると同時に奥義であり、第二段階なのである。『葉隠』は、ここで死と生とを楯の両面に持った生ける哲学としての面を明らかにしている」(p. 38)

この他にも、「死に物狂いで取り組め」「毎日死ね」という言葉もあれば、「15年先を考えよ」「部下をほめよ」といったことも書いてある。

後半には、葉隠の現代語訳(抜粋)があり、これが面白かった。

普通のサラリーマンが読んでも参考になる処世術も書いてあり、『葉隠』に親しみを感じた。
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日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません

日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません
(エフェソの信徒への手紙4章26節)

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『ネブラスカ:ふたつの心をつなぐ旅』(映画メモ)

『ネブラスカ:ふたつの心をつなぐ旅』(2013年、アレクサンダー・ペイン監督)

モンタナ州に住むウディ(ブルース・ダーン)は、100万ドルが当たったという怪しい手紙を信じて、ネブラスカ州リンカーンへ行こうとする。

諦めさせようとする息子デイビッド(ウィル・フォーテ)だが、仕事を休み、車に乗ってネブラスカに向けて旅をするという物語。

白黒の映像がカッコいい。

旅の途中で、自分が知らなかった父の秘密が少しずつ明らかになり、二人の距離が縮まるところがよかった。

親子であっても、知らない世界がある。それを知ることで、絆が強くなっていく。

渋い映画である。
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『完全なる人間:魂のめざすもの【第2版】』(読書メモ)

アブラハム・H・マスロー(上田吉一訳)『完全なる人間:魂のめざすもの【第2版】』誠信書房

欲求階層説で有名なマスローの本。

理論書というより哲学書に近い内容だった。

意外なことに、経営学や心理学のテキストに出てくる「5段階の欲求階層説」についてはあまり書かれていない(少しだけ書かれてあるが)。

むしろ、「安全の欲求が満たされないと、自己実現できない」といった2段階の階層説が強調されている。

安全性がが確かめられると、より高い欲求や衝動を発現させ、優勢にする。安全が脅かされると、とりもなおさず、一段と基本的な基礎に退行する(中略)安全欲求は成長欲求よりも優勢なのである」(p.63)

これは、今流行りの「心理的安全」の考え方である。

もう一つ驚いたことは、自己実現の考え方。

「わたくしの見出したところでは、自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである。それは、不動、非人格的、無欲、無私で、求めずして超然たるものである。自我中心ではなく、むしろ対象中心である」(p. 99)

ここまで来ると「悟り」の状態に近い。

ただ、違う箇所では、次のように説明されている。

「自己実現はさまざまなかたちで規定されるが、確たる一致点もみられる。すべての定義には、(a)精神的な核心あるいは自己を受け容れ、これを表現すること、すなわち、潜在的な能力、可能性を実現すること、「完全にはたらくこと」、人間性や個人の本質を活用すること、の意味が含まられている」(p. 249)

こちらの説明のほうがわかりやすい。

しかし、次の一節には驚かされた。

「自己実現は、原理的には容易であるとしても、実際には、ほとんどおこるものではない(わたくしの基準では、大人の人口の1パーセントにもきたないことは確かである)」(p. 258)

そこまで難易度を高めなくていいように思うが、自己実現する人の創造性についての次の説明は良かった。

無教養で貧しく、終日家事に追いまわされている母親である一婦人を例にとると、彼女はこれらの慣習的な意味での創造的なことは、なにもしていなかった。にもかかわらず、素晴らしい料理人であり、母親であり、妻であり、主婦なのである。わずかのお金で、その家はともなくもつねに小綺麗であった。彼女は完全なおかみさんなのである。彼女の作る食事は御馳走である。彼女のリンネル、銀食器、ガラス食器、せともの、家具に対する好みは、間違いがない。彼女はこれらすべての領域で、独創的で、斬新で、器用で、思いもよらないで、発明的であった。わたくしはまさに彼女を、創造的と呼ばざるを得なかったのである」(p.172-173)

この例を見て、マスローが言いたかった自己実現の意味がわかったような気がした。

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彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた

彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた
(歴代誌下26章5節)

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『フォレスト・ガンプ』(映画メモ)

『フォレスト・ガンプ』(1994年、ロバート・ゼメキス監督)

フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)は、少し知的障害はあるが、素直で本質を見抜くことができる人。

シングルマザーのお母さん(サリー・フィールド)からポジティブに育てられたフォレストは、足の速さを生かして、大学で有名フットボール選手となり、ベトナム戦争で勲章を受けるなどの大活躍をする。

しかし、名誉やお金には関心がないく、人を大事にするフォレスト。

なお、お母さんの名言が印象的である。

一番心に残ったのは次の言葉。

自分の人生は自分で決めるの。神様の贈り物を生かして

このセリフを聞いて、自己決定と神様の導きのバランスが大事だと思った。

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