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人間にはできないことも、神にはできる

人間にはできないことも、神にはできる
(ルカによる福音書18章27節)

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よいにんげんになりたいな

先日、ある大学の先生が「同志社小学校の校歌がすばらしい」とおっしゃっていたので、さっそく調べてみた。

かんじる、ゆめみる、といかける
こころはふしぎなおおきなへや
もりのみどり、うみのあおへと、どこまでもすきとおる
せかいはとってもうつくしい

かんじる、つたえる、おもいやる
からだはやさしいちいさなうちゅう
ひとのいたみ、かなしみみつめ、ほほえんでてをつなぐ
あすをねがっていのるきょう

えらいひとになるよりも、よいにんげんになりたいな
どうししゃしょうのわたしたち


(谷川俊太郎作詞)

えらいひとになるよりも、よいにんげんになりたいな」というところがポイントである。進学熱心な親の中には「偉い人になってもらわないと困る」と文句を言う人もいるかもしれない。

少し前にBBCのHard Talkというインタビュー番組で、ある有名フォトグラファーが、「成功しなくてもいいから、良い人間になりなさい(Be a good person)」と言われて育てられた、ということが紹介されていたのを思い出した。

ここまで言い切れていない自分に気がついた。

出所:http://www.doshisha-ele.ed.jp/introduction/img/intro/kouka.pdf
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『人生余熱あり』(読書メモ)

城山三郎『人生余熱あり』光文社文庫

定年後に何をするか?という問いは、50代に入ると意識せざるをえない問題である。

定年後の生き方には、仕事を続けるという選択肢と、趣味を中心にのんびり暮らすという選択肢がある。この本は、前者を選んだ人々のルポルタージュである。読んでいて、城山さんの作品『毎日が日曜日』を思い出した。

本書のメッセージは、次の点に集約できる。

「「第二の人生」とか「老後」とかいったきまりきったとらえ方が視野から消えてしまうような飛翔を。むしろ、これこそ「第一の人生」ではないかと思わせる飛翔を」(p.41-42)

化学品メーカーを退社後、中国で技術指導する下村さん。花王を退職後に、フィリピンで石けんを作る林さん。家族でザンビアに住み、パンづくりをする片岡さん。マレーシアで農業指導をする半田さん。

人生を仕事に捧げるという価値観は、とても日本人らしい。城山さん自身が、そのように生きてきたということもあるだろう。

しかし、「そこまで走り続けたら疲れるな」と思ってしまったのも事実である。

仕事と人生の関係について考えさせられる本であった。




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過去のあなたは小さなものであったが 

過去のあなたは小さなものであったが 未来のあなたは非常に大きくなるであろう
(ヨブ記8章7節)
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『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(読書メモ)

樋口一葉(松浦理英子他訳)『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』河出文庫

若くして亡くなった天才・樋口一葉の作品を現代語に訳したもの。「たけくらべ」「やみ夜」「十三夜」「うもれ木」「わかれ道」が収録されている。

全作品に共通しているのは、「暗い終わり方」をしている点。樋口一葉の世界観を表わしているような気がした。

「たけくらべ」はイマイチだったが、その他の作品はとても良かった。最も印象に残ったのは「うもれ木」である。

腕は確かだが、偏屈者のために貧困にあえぐ絵付け師が主人公。金持ちになった昔の弟弟子が現われたのをきっかけに状況が好転し、素晴らしい作品を造り上げるものの、悲劇が訪れる。

仕事に魅入られすぎて大切な人を失うというストーリーから、芥川龍之介の『地獄絵』を思い出した。

明治の薄暗さが漂う樋口一葉の作品群には、独特の味わいがあった。

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偶然を受け入れ、自分らしさを大切にする

アクセサリー・デザイナーの清水憲治さんは、芸大受験に失敗した後、露天でアクセサリーを売るようになる。そのうち、買い付けたものより、自分が作ったアクセサリーが売れることに気づいて、自作アクセサリーブランドを立ち上げる。

清水さんは言う。

「振り返るとかなりちゃらんぽらんな人生だけど、自分がやりたいことに忠実に生きてきたという自負はある。絵を描き続けたいという思いがずっとあって、少しずつ修正しながら、自分が楽しめる方向でやってきたら今があったという感じ」

「みんな、日本人は特にそうだけど、ガマンして仕事して休暇とってその時だけは"パラダイス"を満喫するっていう人が多いでしょう。でも僕は今、生きているこの場所を"パラダイス"にしていくことのほうがずっといいと思う。偶然を受け入れ、自分らしさを大切に生きていくことが人生を楽しむ秘訣じゃないかな」

「偶然を受け入れ、自分らしさを大切にする」という点に、人生の極意があるような気がした。

出所:ビッグイシュー日本版Vol.240, p.3


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時と機会はだれにも臨むが

時と機会はだれにも臨むが、人間がその時を知らないだけだ
(コヘレトの言葉9章11-12節)
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『心に残る人々』(読書メモ)

白洲正子『心に残る人々』講談社文芸文庫

小林秀雄、青山二郎、梅原龍三郎、岡本太郎、犬養道子など、さまざまな著名人を白洲正子さんが取材した記録である。

そうそうたる人々の中で最も印象に残ったのは、正子さんのお能の先生である梅若実氏。ちなみに正子さんは、4才のときから梅若実さんの下で能を習い始め、50才で免許皆伝を授かっている。

なお、正子さんが11才のとき、梅若実氏の稽古場に通う一方で、自宅でも長男・六郎氏から能を習っていたらしい。お父さんの実氏は教えるのが下手だったのに対し、息子の六郎さんは教え上手であったという。

「実さんは人に教えるにしても決して巧くない、筋道だった理論というものもない、ありったけの自分の持物を、そのまま未熟なものに性急に与えようとするところから、こちらは(それだけの力がないので)めちゃくちゃになり、先生の方は癇癪をおこしてしまう。そんな時六郎さんに解決を求めると、見事に割り切って説明して下さったものです。まことに重宝で完璧な先生であることは、新しいお弟子さん達がすぐ巧くなるのでも証明されますが、いまから考えてみると、そこから貰ったものは「技術」にすぎず、お能の美しさを私に教えたのは、やはり実さんの教え方のまずさであった」(p.78)

この箇所は深い。

価値や神髄」を伝えるには、教え方だけでなく、「情熱」のようなものが必要なのであろう。そういえば、小中高の先生で覚えているのは、教え上手の先生よりも、熱い先生である。

「教え方」を越えて「生き方」が問われるような気がした。

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『哀れな人々』

『貧しい人々』の訳者である安岡治子さんの解説を読んでいたら、次のような箇所があった。

「「貧しい(ペードヌィ)」という形容詞は、英語のpoorと同様、「哀れな、可哀想な」という意味ももつ。従ってこの小説のタイトルは、「哀れな人々」とも読めるのである。」(p.314)

貧困にあえぐ中で若い女性に恋をしたマカールと、金持ちと結婚せざるをえなくなったワーレンカ。多少意味は違うが、両人とも「哀れな人々」である。あるいは、不遇な人々、気の毒な人々、やりきれない人々、ともいえるかもしれない。

われわれの人生には、多かれ少なかれ、何らかの「やりきれなさ」が存在する。ドストエフスキーの『貧しい人々』は、たしかに、そうした「人生の切なさ」を描いた小説であった。

出所:ドストエフスキー(安岡治子訳)『貧しい人々』(光文社古典新訳文庫)
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弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった

弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった
(マルコによる福音書14章50節)


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