goo

能動的惰性

環境が変化しているのにもかかわらず、過去に成功した手法に頼り、それをさらに強化して対処しようとする性向を、ロンドンビジネススクールのサルとホールダ―は「能動的惰性」と呼んでいる。

昔は通用したが今は硬直化してしまっている成功体験にとらわれてしまうことを、組織学習の研究では「成功の罠」というが、同じことが個人にも当てはまる。

個人の仕事の方法や考え方は、30代から40代の前半でほぼ固まるのではないだろうか。それ以降は、一生懸命やっているけれども、どこか「惰性」で仕事をている人が多いように思う。

過去に学習したものを棄却することをアンラーニングと呼ぶが、なかなかガラッとアンラーニングすることは難しい。

では、どうすればいいのか?

現実的には、一気に新しいやり方を導入するのは無理があるので、自分のやり方をいくつかのパーツに分けて、パーツの一部を新しいものに変えたり、パーツの組み合わせを変えることで「能動的惰性」から脱却できるのではないか。

そのためにも、自分の持論やノウハウを文書化・視覚化し、自分がどのような仕事の進め方をしているのかを客観的に分析する必要があるだろう。

出所:ドナルドN.サル、ドミニク・ボールダー「理想と現実のギャップを埋めるコミットメントの自己理術」Diamond Harvard Business Review July 2005, p25-41.
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あなたの僕を驕りから引き離し

あなたの僕を驕りから引き離し 支配されないようにしてください
(詩編19章14節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日二時間の集中

フロリダ州立大学教授のアンダース・エリクソンは、熟達研究の巨匠である。

彼がスポーツ選手、小説家、音楽家など各界のエキスパートを調べたところ、4時間から5時間連続して練習に集中できる人はいなかったという。

教育の専門家や科学者の場合、新たなアイデアを考えるような頭脳労働に費やされていたのは午前中の二時間だけであった。

ある高名なバイオリンの教授は、「何時間練習すればいいのでしょうか」と聞かれたとき、「時間は関係ありません。指を動かしているだけなら、練習しても無駄です。頭を使って練習するならば、二時間で十分です」と答えたらしい。

自分を振り返ってみると、長時間仕事をしているようでも、本当に集中している時間は意外と少ない。

逆に言えば、どんなに忙しい人でも、一日二時間集中する時間があれば、熟達することが可能である。

誰にも邪魔されない二時間を作りだし、集中して仕事をすることができるかどうか。それが、成長のカギを握っているといえる。

出所:K.アンダース・エリクソン、マイケルJ.プリーチュラ、エドワードT.コークリー「反復練習がカギ:一流人材のつくり方」Diamond Harvard Business Review March 2008, p.44-54.


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『一握の砂』(読書メモ)

石川啄木『一握の砂』朝日文庫

以前紹介した『天才の世界』で湯川先生が「啄木の作品の中には、誰もが好きになる歌が必ずある」とおっしゃっていたので、読んでみた。

詩や短歌は苦手なのだが、四首見開きで三行詩というスタイルなので、まるで小説のように読めた。

この歌集は五部構成であるが、良かったのは第一部の「我を愛する歌」。

たとえば以下の歌が印象に残った。

こころよく
人を讃めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ

燈影なき室に我あり
父と母
壁のなかより杖つきて出づ

手も足も
室いつぱいに投げ出して
やがて静かに起きかへるかな


ところで啄木は、ある時期に突然良い歌を量産するようになったらしい。

なぜか?

当初、啄木は自分は天才だと信じて小説を書きまくっていた。しかし、出版社は相手にしてくれず、まったく売れない。焦りと不安の中、急に短歌が湧き出して止まらなくなったという。こうした状態の中、二日で254首をつくり、ビッグバン状態となる。

解説によれば

「啄木は真面目な勤め人に変わった。借金もしなくなった。何よりも重要なのはこの世のあらゆることを直視する人間に変身したことであった。」「天才を捨てた時、真の「天才啄木」が誕生したのである」(p.310)

自分の思いにとらわれすぎると、人は持って生まれた力を発揮することができない。素直な気持ちで自分と向き合い、自然体になるとき、天から与えられた才能が花開くのだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大切なのは、新しく創造されることです

大切なのは、新しく創造されることです
(ガラテヤ信徒への手紙6章15節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

諦めない気持ち

先日紹介した『TSUNAMI津波』の中で、原子力発電所内の炉心温度を下げるために、発電所職員が原子炉建屋に入っていく場面が出てくる。

放射能濃度が高い室内では、防護服を着ていても滞在できる時間は限られている。目がかすみ吐き気を抑えながら懸命に作業を続ける職員は心のなかで次のように叫ぶ。

ここで俺が諦めたら 日本はどうなる

今、原発で格闘している電力会社、消防、自衛隊の方々は同じ思いで仕事をしておられることと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『TSUNAMI 津波』(読書メモ)

高嶋哲夫『TSUNAMI 津波』集英社文庫

1年前に読んだ本だが、「こんなことが本当に起こるのか?」と、そのときはピンとこなかった。しかし今、ここに書いてることとがほぼそのまま起こっている。

この小説では、東海地震によって、中部・関西地域を津波が襲い、街が破壊されていく場面が描かれている。

「津波はただの海水が襲ってくるのではない。海底の土砂や岩を巻き込み、陸上にある家、道路、車・・・・あらゆるものを砕いて飲み込んで襲ってくる。」(p.404)

原子力発電所でメルトダウンが起こるという部分も現実と同じ。ちなみに、著者の高嶋氏は原子力の研究者である。小説の中でも、現場を軽視した本社や行政のあり方が批判されている。

「原子力発電所は技術と人と行政がそろって、初めて安全な運転ができる。現在、もっとも不備が目立つのは、人と行政の部分だ。日本の原発事故といわれるものの大部分は、人為的ミスで起きている。運転手順のミス、装置管理の不手際、検査の省略、データの捏造・・・・数え上げればきりがない。そして、それをチェックする行政機能の不備と甘さ。日本の政治体質に通じるものだ。」(p.192)

そして、本書で強調されているのは、防災の大切さ。

「最近は地震は起こるべきものと考え、もっと防災、減災に取り組むべきだという考え方が強くなっている。死者、行方不明者22万人という史上最悪の結果となったスマトラ沖地震でも、「津波」に関する知識がもっと広く住民に行き渡っていたら、死者の数は何分の一にも軽減できただろう」(p.38-39)

他国に比べたら日本の防災体制は優れているといえるかもしれない。しかし、この小説では、市役所の防災担当職員が、防災活動をなかなか理解してもらえない場面が出てくる。自分を振り返っても、防災に対する意識が欠落しているのがわかる。

今回の地震は、組織や行政の在り方とともに、われわれ住民一人一人の意識改革を迫っているように思った。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

神よ守ってください

神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを
(詩編16章1節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あなたの慈しみに依り頼みます

あなたの慈しみに依り頼みます
(詩編13章6節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『棟梁』(読書メモ)

小川三夫『棟梁:技を伝え、人を育てる』文春文庫

著者の小川さんは、伝説の宮大工である西岡常一さんの弟子。宮大工の集団である鵤工舎の代表を務めてきた人である。

この本には、人が育つ、人を育てる上で大切なことがたくさん書かれているが、その中でも一番心に響いたのは「任せる」ことの重要さ。

「任せて」人を育てるためには、いくつかの条件が必要となる。

まず、任せる現場があること。ここでいう現場とは、神社仏閣の建築現場である。

「現場は弟子育成には欠かせない場所だ。現場がなかったら絶対弟子は育たない。その現場を任せるのや。」(p.109)

つぎに、任せる時期やタイミング。これがポイントである。小川さんは次のように言う。

「任された者も早すぎたらつぶれるし、施主さんに迷惑がかかる。それは絶対してはならないことや。しかし、任せる時期が遅かったら人は腐るで。」(p.110)

では、ちょうどよいタイミングとは?

「その人が完成してから任せたらだめなんだよ。未熟なうちに任せなくちゃだめなんだ。できないということをわかっていて親方は任せて、そいつは引き受けたからには、何としてでも、とにかくやる方法を考えるんだ。それだから、これは物になるっていうやつには、未熟なときに任せなくちゃ。」(p.187)

つまり、物になりそうな人、潜在能力を持っていそうな人を見極めて、背伸びした仕事を任せるということだろう。

小川さんは、任せることの難しさを次のように語っている。

「任せることを人に教えるのは恐ろしいわ。そんなの言えねえよ。無理があったらあかんのや、何でもな。任せる方だって無理しちゃあかんわ。突然そういうことをやろうとしても無理や。そうなるように長い時間を掛けてやって、自然に任せれる形になってきたんだな。」(p.185-186)

未熟なうちに任せることは大事だが、無理をしてはいけない。やみくもに任せるのではなく、普段からよく人を見て、鍛えた上で任せる必要がある、ということだ。

そして、小川さんが強調しているのは「前にいる先輩という壁を取り払ってやる」ということ。

いつまでも上に実力のある先輩がいたのでは、なかなか大きな仕事が回ってこない。本書には「立場が人を作る」という言葉が何回も出てくるが、先輩の仕事を後輩に譲ることも指導者の大切な役割である。

最後に、感銘を受けた一言を紹介しておきたい。

「俺は「真摯な、そして確実な建物を建てること。それが唯一、弟子を育てる手段」やと思っているんだ」(p.90)

やりがいのある仕事を確保し、真摯な気持ちで一緒に仕事をする中で、若手を鍛え、成長の準備状態やタイミングを見計らって「任せる」。これが任せて育てることの鍵なのだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ