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『医療のこと、もっと知ってほしい』(読書メモ)

山岡淳一郎『医療のこと、もっと知ってほしい』岩波ジュニア新書

ジャーナリストの山岡さんが、救急医療、地域医療、医療保険について取材・解説した本である。

一番インパクトがあったのは、第3章「なぜ医者になるの?」で紹介されている、フィリピン国立大学医学部レイテ分校(School of Health Sciences, 略称SHS)の事例。

SHSの学生は、生まれた町や村の推薦を受け、奨学金をもらいながらSHSにやってくる。まず、2年かけて、助産師資格を持つ地域健康指導員となり、勉強を続けたい人は、正看護師コースへと進み、その上で、3~4年かけて医師になるという仕組みなのだ。

いきなり医師を目指す日本の大学と異なり、ステップバイステップ方式である。

SHSを訪問した日本の医学生は次のように語っている。

「SHSのシステムをそのまま持ち込むのは無理だけど、たとえば日本の大学でも早い時期に医学生がひと月でいいから看護実習できれば、患者さんとの接し方が変わりますよ。もっと患者さんとうまく触れあえるはずです」(p. 132)

少し調べたら、医学生による看護実習を取り入れている医大もあるようだ。

こうした取り組みが広がると、患者に寄り添うことができる医師が増えると感じた。




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人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい

人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい
(ルカによる福音書6章31節)

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『壁を破る言葉』(読書メモ)

岡本太郎『壁を破る言葉』イースト・プレス

芸術家・岡本太郎の格言集である。

やはり、岡本さんの言葉は力強い。

まっさらな目をもて!そして目的を捨てよ」(p. 14)

なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ」(p. 15)

きみはあなた自身を創造していると思いなさい」(p. 22)

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ」(p. 29)

人に理解されたり、よろこばれようなんて思うな。むしろ認められないことを前提として、自分を猛烈につき出すんだ」(p. 41)

芸術はいつでもゆきづまっている。ゆきづまっているからこそ、ひらける」(p. 66)

他人のものはもちろん、たとえ自分の仕事でも、なぞってはならない」(p. 68)

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない」(p. 136)

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ」(p. 145)

という感じで、本質をついた言葉のオンパレードである。

たぶん、岡本さんは、こうした言葉を、自分に対して語っていたのだろうな、と感じた。

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『永遠のジャンゴ』(映画メモ)


『永遠のジャンゴ』(2017年、エチエンヌ・コマール監督)

時は第二次世界大戦中、ナチスが侵攻したフランス。ジプシー出身でギターの名手ジャンゴ(レダ・カテブ)は、ドイツ講演を頼まれるものの、ジプシーを迫害しつつあったナチスを恐れ、スイスへと逃れようとする。

ちょうど、フランスからスイスへと逃亡するユダヤ少女の物語『ファニー:13歳の指揮官』(岩波書店)を読んだばかりだったので、少し驚いた。

なんといっても、ジャンゴの演奏シーンが素晴らしく、ひき込まれた。戦時下の危機的状況と切ないメロディーがマッチしているのである。

ユダヤ人だけでなくジプシーも標的としていたナチス。マイノリティを根絶やしにしようとする思想の恐ろしさが伝わってきた。






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人は目に映ることを見るが、主は心によって見る

人は目に映ることを見るが、主は心によって見る
(サムエル記上16章7節)

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『新訳 経営者の役割』(読書メモ)

C.I. バーナード(山本安次郎他訳)『新訳 経営者の役割』ダイヤモンド社

経営学の基礎となっている『経営者の役割』を改めて読み直してみた。

著者のバーナードは学者ではなく実務家なのだが、非常に(異常に)論理的である。経営者としての経験を理論に落とし込む力が半端ではない。

組織成立の条件は、いまだにバーナードの定義が用いられている。

すなわち、組織は
①相互に意思を伝達できる人々がおり(コミュニケーション
②それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって(貢献意欲
③共通目的の達成をめざすときに(共通目的
成立する(p. 85)

そのほか、誘因の経済、権威の理論、リーダーシップについて深く本質的なことが書かれているのだが、一番インパクトがあったのは付録としていついている講演録「日常の心理」。

一言で言うと、精神過程には「論理的過程」と「非論理的過程」があるが、このうち「非論理的過程が軽視されているけれども大事だよ」という話である。

論理的過程とは、「分析的」に物事を考える左脳的な思考であるのに対し、非論理的過程とは、「直観的」に物事をとらえる右脳的な思考を指す。

非論理的過程は、心理学においても、ヒューリスティックスや感情的知能といった形で注目されているが、この講演が行われた1936年の時点で指摘しているのがすごい。

面白かったのは、仕事内容によって「論理的過程」と「非論理的過程」の重要性の比重が違うという指摘。

例えば、「有能で偉大な科学者は、すべて非論理的にして、高度に直観的な精神過程をもっているように思われる」(p. 335)という箇所を読み、天才数学者である岡潔さんが「数学者にとって感情が大事」と言っていたのを思い出した。

また、同じ弁護士であっても、法廷専門弁護士には「非論理性」が、上訴弁護士には「論理性」が、顧問弁護士には「論理性と非論理性のバランス」が求められるという。

要は、人を動かしたり、発見・創造の仕事には「非論理的思考」が必要であり、物事を正確・的確に処理する仕事には「論理的思考」が必要なのだろう。

仕事をしているときに、自分がどちらの脳を使っているか意識することが大事だと思った。


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『アイ・フィール・プリティ』(映画)

『アイ・フィール・プリティ』(2018年、アビー・コーン、マーク・シルヴァースタイン監督)

ぽっちゃり系のレネー(エイミー・シューマー)は、自分の容姿に自信がもてず、美人でスタイル抜群の女性にあこがれを描いている。

あるとき、フィットネスジムで頭を打ったレネーは、自分が「美人でスタイル抜群の女性」に変身したことに気づく(ちなみに、実際には何もかわっていない)。

自信満々のレネーは、化粧品会社の受付として採用され、カリスマ女性経営者に認められ、そして、素敵な彼氏(素朴系)ができ、いいことづくめ。

ところが、再び頭を打って気絶したレネーは、自分が元に戻ってしまったことに気づき、さあ大変、という物語。

正直なところ、DVDのパッケージを見て「この映画借りる人いるのか?」と思っていた作品だが、めちゃくちゃ面白かった(最後は感動)。

私であることを誇りに思う」というセリフにもグッときた。

「自分らしく生きる」ことの大切さに気付かせてくれる映画である。

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どうか、あなたのお住まいである天から耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください

どうか、あなたのお住まいである天から耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください
(歴代誌下6章21節)

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『戦争と平和』(読書メモ)

トルストイ(工藤精一郎訳)『戦争と平和(一)~(四)』新潮文庫

第1巻の途中で挫折したのが数年前。一念発起し、根性で4巻を読み終えた(全部で2774ページ)。

舞台は19世紀初頭。ナポレオンによるロシア侵攻を背景に、ピエール、アンドレイ、ニコライ、マリア、ナターシャといった若いロシア貴族の成長を描いた物語。

登場人物の人間模様が感動的に描かれているのに対し、歴史論(歴史は一握りのリーダーではなく、それに関わる人々の全体的な動きによって説明できるという説)を読むのが、ほぼ苦行である(同じことが繰り返されるので)。

印象的だったのは、「こういう生き方をしてはダメだよ」という貴族たち(ワーシーリー公爵一家をはじめとした、地位や名誉のために活動する人々)と、「理想の生き方(神を信じ、精神性を重んじて生きる人々)」を体現する貴族や庶民が明確に描き分けられている点。

訳者の工藤先生による解説では、ピエール(優しくて純粋だがボーっとしている青年)とアンドレイ(頭が切れるが、冷徹な青年)はトルストイ自身がモデルであるらしい。

もっとも感動したのは、アンドレイが戦場で倒れ、死にそうになったときの場面(第1巻)。

「彼の頭上は、空のほかは、― 灰色の雲がゆるやかにわたっている、明るくはないが、やはり無限に深い、高い空のほかは、もう何も見えなかった。『なんというしずけさだろう、なんという平和だろう、なんとう荘厳さだろう、おれが走っていたときとは、なんという相違だろう』とアンドレイ公爵は考えた。(中略)どうしておれはこれまでこの高い大空に気づかなかったのか?やっとこの大空に気づいて、おれはなんという幸福だろう」(p. 647)

最終巻でもアンドレイはまた一皮むけるのだが、そこもまたよい。

なお、「社会の成功や失敗が特定のリーダーに帰属されやすい(けど違うよ)」というトルストイの歴史観は、組織マネジメントにも適用できると感じた。

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『ストリートオーケストラ』(映画メモ)


『ストリートオーケストラ』(2016年、セルジオ・マチャド監督)

舞台はブラジル。才能豊かだが、オーディションでは力が発揮できないラエルチ(ラザロ・ハーモス)は、食べていくためにスラムにある学校の音楽教師になる。

子供たち(中学生くらい)によるオーケストラを指導するのだが、そのなかにはギャングに追われる子供もいたりして、大変な状況である。それでも、子供たちは徐々に音楽にのめりこむようになり、その過程でラエルチも成長していくという物語(実話)。

ダメ学校の生徒をバスケで成長させる『コーチ・カーター』に近いが、生徒に背中を押されて教師が(大リーグに)挑戦するという意味では『オールド・ルーキー』に似ている。

生徒と教師が共に学び・成長することを「共育」と言うらしいが、まさにそんな感じの映画である。

教えることを通して学ぶ」ことの大切さが伝わってきた。
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