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『流れる星は生きている』(読書メモ)

藤原てい『流れる星は生きている』中公文庫

著者は、作家・新田次郎の妻、藤原てい
(ちなみに、次男は『国家の品格』を書いた藤原正彦氏)

終戦後、三人の幼い子供を抱えながら、中国・新京から日本への引き上げてくる過程を描いたノンフィクションである。「何としても子どもを守る」という母親の気迫に圧倒された。

極限の中に置かれた日本人たちは他人のことを気にする余裕はない。「自分や家族だけが助かりたい」という個人主義がはびこる中、本当の人間性が出てくる。

感動したのは、当時7歳の長男・正広くん。ひもじい中でやっと芋を買ったのだが、くいしんぼうの正彦くんはお母さんの分も食べてしまう。そのとき、正広くんは次のように言った。

「お母さん、僕のをお母さんに上げるよ、お母さんお腹がすいておっぱいがでないでしょう」

人間性に歳は関係ないんだな、と思った。

また、ときどき出てくるやさしい朝鮮の人々も印象に残った。まったくお金がなくなってしまった「てい」さんは、物乞いをする。その箇所を紹介したい。

「門のないその家は、いきなり庭になっていた。すぐ白い着物(朝鮮服)を着た主婦が出て来た。その姿を見ると私は言葉につまった。「あの・・・・何か下さい」そう言えば通ずるはずであるのだが、「何か下さい」という言葉が喉の奥でかすれて消えてしまった。主婦は、その私の態度を察したように「何も言うな」と、手を振った。そして、「日本人、ほんとうに気の毒だと思っています。だが、今あなたにものを上げると、私は村八分にされます。今まで私たちが苦労していたのは日本の政治が悪かったからだと、日本人をみんな恨んでいます。でも、あなた方にはなんの罪もありません。今、私がものを捨てますから、あなたは、それを急いでお拾いなさい」(p.157)

本書を読むことで、「生きるとは何か」と「人間とは何か」について強烈に考えさせられた。

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なぜ、あなたは神と争おうとするのか

なぜ、あなたは神と争おうとするのか
(ヨブ記33章13節)

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顧客の声を吸い上げる係

2010年度の売り上げでパルコを抜いたルミネ。その原動力は販売員の技術強化である。

全国14館に約3万人のテナント販売員がいるそうだが、その中で接客に優れた100名を、顧客の声を吸い上げる係「エルジェニック」に指名したらしい。

彼らは接客しながら気付いたことをメモし、その内容を館全体で共有するというしくみだ。

例えば、「今年、浴衣を着ていく機会がない」という来店客の一言を聞きつけたエルジェニックの報告がきっかけで、浴衣姿の女性が参加するお祭り「ガーデンパーティナイト」が実現した。

販売員一人一人が顧客の声をメモして会社に報告する「ウオンツスリップ」という制度は昔からあるが、そうした役割を技術の高い販売員に限定して持たせることは有効だと思った。

全員で取り組むと、どうしても「やらされ感」や「マンネリ」に陥ってしまうが、特別にそうしたミッションが与えられればモチベーションが上がるだろう。

いろいろなところで応用できそうなしくみである。

出所:日経流通新聞2011年8月24日
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『書を楽しもう』(読書メモ)

魚住和晃『書を楽しもう』岩波ジュニア新書

書は心の画なり」という言葉があるように、書かれた字にはその人の性格や精神状態が表われる。

この本を読み、中国から学びながらも、日本独自の文字が生み出されていく過程がよくわかった。

最も印象に残ったのは良寛の書について解説しているところ。

「書道を究めようとする人は、ひたすら技巧を追求します。歴史に学び、流儀に打ち込み、もてる力量を駆使して一作をつくりあげることに励みます。つまり、「有」の増量をひたすらにはかっているのです。(中略)ところが、そうした書道の達人がひとたび良寛の書にふれると、どんな技巧をもってしてもかなうものではないと感服するのです。書くことにこれでもかこれでもかと「有」の増量に終始している人にとっては、良寛の書はあたかも空気のように見えることでしょう。」(p.148)

禅宗の御坊さんである良寛の書の魅力は「」にある、と著者は語っている。本書の表紙には、良寛の書いた「一」という書が掲げられているが、これは凄いと思った。

ただ、そんな良寛にも、書のお手本があったらしい。自分の気に入った書家が書いたものを真似て、その上で自分のオリジナリティを出していたのだ。

まさに、守・破・離の世界である。

本書を読むうちに、墨と筆と半紙を買ってきて、書をしたくなった。

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あなたがたの富のあるところに

あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ
(ルカの福音書12章34節)

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『想い出の作家たち』(読書メモ)

文藝春秋編『想い出の作家たち』文春文庫

江戸川乱歩、横溝正史、山本周五郎、井上靖など、日本を代表する13人の作家について、彼らの奥さんや娘・息子さんにインタビューした記録である。

13人の作家たちは、誰もが相当の変わり者。というか、ほとんど子供である。よくこんな人たちと一緒に暮らしていたなと感心する。

一番印象に残ったのは新田次郎(ただ、彼はかなりまともな方)。奥さんは作家の藤原てい。彼女が書いた中国からの引き上げ記録『流れる星は生きている』が百万部を超えるベストセラーになったという意味で、先に文壇にデビューしたといえる。

気象台に勤務していた新田次郎は、どうも、この奥さんに刺激を受けて小説を書き始めたようだ。内緒で書いた『強力伝』が昭和30年に直木賞を受賞する。

少し引用してみたい。

「気象庁から帰宅すると、夕飯のあと、酒好きの男が一滴も飲まないで、濃いコーヒーを一杯飲んで二階の書斎へ上がっていくんです。階段を昇りながら「戦いだから、戦いだから」と声を出して昇っていくんです。」(p.286)

「新田が本格的に小説を書きはじめた頃から、私は次第に彼の小説を読まなくなりました。新田は「おまえも読め」とよく命令しましたが、読むと「ここはこういうふうに書いた方がよかった。あそこはこうすべきだったんじゃない?」とついストレートに口を出してしまうのです。それを言うと新田はものすごく怒るんです。「何を言うか。このドン百姓!」(笑)サムライの出のあなたとちがって、私の家は百姓です、と初めから言っていたのですが、いつの頃からか、百姓の上にドンがつくようになった(笑)。」(p.287)

この他、ほぼすべての作家が魅力的な人たちだった。

本書を読むにつれ、小説というものは作家だけでなく、奥さんや子供が一緒に創っているんだな、と思った。

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数値化

日経のアフターサービスランキングにて、薄型テレビ、DVDレコーダー、スマートフォン、エアコン、洗濯機分野で一位を獲得したのがシャープ

シャープは、なぜ優れているのか?

その秘訣はシンプルである。

翌日以内完了率」(商品の修理を受け付けてから翌日以内に作業を完了させた割合)
再購入意思率」(顧客への調査でシャープ製品を再度買いたいと思うかどうかの比率)
処理日数満足度」(修理依頼を受け付けてから作業完了に要した日数への満足)

などを月次で算出し、人事評価や給与と結びつけているらしい。

やはり、ただなんとなく顧客満足を高めようと思っても「やっているつもり」で終わってしまうし、どのくらい進歩したかもわからない。

現状を把握し、目標を定めて、業務を改善していく。このサイクルを回すためには数値化された指標が欠かせないといえる。

もちろん数値化の弊害もある。適切な指標を定めないと、本質からずれた改善活動に陥る危険性もある。指標の選択や修正も含めて数値化の作業をしていくことが大切だと思う。

出所:日経ビジネス2011年7月25日号、p29-30

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蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい

蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい
(マタイによる福音書10章16節)

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『あの日にドライブ』(読書メモ)

荻原浩『あの日にドライブ』光文社文庫

「もしあのとき、違う会社に入っていたら」「もしあのとき、彼女と結婚していたら」今より良い人生を歩めたに違いない。だれしも過去の選択を振り返り、別の人生を思い描いたことがあるのではないか。

一流大学を出て、エリート街道まっしぐらだった主人公・伸朗(43歳)は、ふとした一言がきっかけで都市銀行を辞めることになる。腰かけのつもりでタクシードライバーになったものの、収入も激減し、家族からもバカにされ、タクシードライバーとしても半人前の伸朗は、妄想の世界に逃げ込む。

昔つきあっていた彼女を探したり、入社したいと思っていた出版社を訪ねたり、大学時代に住んでいたアパートに行ってみたり、伸朗は思いっきり現実逃避する。

しかし、昔の彼女は嫌なヤツであることがわかったり、昔入りたいと思っていた出版社がしょうもない会社になっていることがわかると、徐々に現実を直視するようになる伸朗。

一番良かったのは、タクシードライバーとして成長していくところ。成績のよいベテランドライバーの後をつけて勉強しているうちに、だんだんとツボがわかってくる。どうしようもないと思っていた妻や子供たちにも愛情がわいてくる。

目の前にある仕事にどのように取り組むか、目の前にいる人々とどのように向き合うかによって、人生の意味が変わってくる。そのことがよくわかる小説だった。

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『小さな哲学者たち』(映画メモ)

『小さな哲学者たち』(監督:ジャン=ピエール・ポッツィ、ピエール・バルジエ)

観る予定の映画の上映時間を間違えて「どうしようか」と考えていた時、「本日最終日」という張り紙につられてを観たのがこの映画。

舞台は、フランスの幼稚園。3~5歳児に対して2年間行われた「哲学の時間」を撮ったドキュメンタリーである。

はたして、3,4歳の子供に哲学なんてできるのか?

映画を観ているうちに、彼らが幼稚園児であることを忘れてしまったくらいだ。「愛とは何か?」「友達と恋人は違うのか?」「死とは何か?」「幸せとは何か?」というテーマについて幼稚園児たちが激論を交わす。

ただ、彼らが初めからディスカッションできたわけではない。出だしこそよかったものの、その後は、関係ない話をする子供、寝てしまう子供などがいて、なかなか集中できない。

しかし、徐々に「その意見には反対だわ」「ちょっと人の話を聞いて」「私は賛成、なぜなら…」などと、議論ができるようになる。はじめのうちは先生が主導権を握っていたが、慣れてくると勝手に自分たちで会話のキャッチボールを始める。

いろいろな人種の子供たちがいる中で、ときに「私は黒人より白人が好き」という発言がとびだし、緊張した雰囲気になることも。「ママはパパとケンカすると、離婚すると叫ぶの」という子がいたり、「貧しい人に恵んであげることは大事」「いや、自分で稼ぐべきだ」という対立があったりする。

よく見ていると、発言する子としない子がいる。この違いは何なのか?頻繁に発言する子は、家に帰った時に親と哲学についてディスカッションしていることがわかった。

「哲学=小難しい」というイメージがあったが、この映画を見て、「哲学とは、社会や人の生き方について考えること」であると理解できた。

また、「大人こそ哲学が必要であるのに、哲学していない」こともわかった。



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