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3種類の「知」

プラントンによれば、3種類の「知」があるようだ。『メノン』の訳者である渡辺邦夫氏は、次のように説明している

第1は、「エピステーメー」であり、「知識」や「学問」と訳すことができるもの。

第2は、「ヌース」であり、「知性」や「理性」に近い。

第3は、「フロネーシス」であり、「思慮深さ」や「賢さ」を意味している。

エピステーメーが人から人へと教え伝えることができるのに対し、ヌースやフロネーシスは、経験や実践の中で、自分でよく考えて行動することを通してしか学ぶことができないという。

そして、ソクラテスやプラトンによれば、「徳(アレテー)」とは「フロネーシス」に近いものである。

経験を通して「思慮深さ」を学習することの大切さと難しさを感じた。

出所:プラトン(渡辺邦夫訳)『メノン:徳について』光文社

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ケースメソッド

ビジネススクールの教育方法の定番は「ケースメソッド」。具体的な事例を検討することを通して、分析能力や意思決定を訓練する。最近では、このケースメソッドが、農業経営にも用いられているらしい。

なぜか?

農業生産法人・グリンリーフの澤浦社長は次のように説明する。

「農業はほかの製造業とは異なり、トライ・アンド・エラーのサイクルが長い。30年農業をやっていても、試行錯誤できる回数はわずか30回。だから先人や仲間たちの成功や失敗の体験を学ぶことが非常に大切だ。」

ケースメソッドの利点は、なかなか経験することのできない事を疑似体験できること。他者の経験から間接的に学び、それを自分の経験に生かすことがポイントである。

しかし、ビジネススクールの学生さんを見ていると、ケースメソッドで学んだことを自分の職務に生かしている人と、ケースメソッドが単なるゲームで終わってしまい、自分の仕事に生かし切れていない人がいるように思う。

その点、農業経営塾等で学ぶ人は、前者の方が多いような気がする。

気をつけなければいけないのは、ケースメソッドは単に成功事例、失敗事例を学ぶためのものではないということ。「自分であればどうするか」という当事者意識をもって事例に取り組むことではじめて成果が出るといえる。

本気で学ぼうとする人たちが、正しく使えば、ケースメソッドは効果的なツールになるだろう。
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手はかけないが、目はかける

「自分が大きく成長するきっかけとなった指導」を思い出してくださいという調査をするとダントツで一位になるのが「任せてもらった経験」である。

先日、ある省庁の管理職を対象として「育て上手の管理職調査」を実施したところ、育て上手のマネジャーはつぎのような特徴を持っていた。

「部下に任せるが、業務の進捗状況は常に把握している」

一方、育て下手の管理職の特徴は

事案を丸ごと部下にまかせつつ進行状況をフォローする」

というもの。

この二つの方法、かなり似ているが、育て下手の管理職はどうも業務を「まる投げ」しているように思える。自分ではフォローしている「つもり」だが、部下にしてみれば放ったらかしなのだろう。

「任せつつ、常に進捗を把握する」

これが人材を育成する際に重要なスキルである。以前、育て上手のマネジャーにインタビューしたときの「手はかけないが、目はかける」という言葉を思い出した。

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能動的惰性

環境が変化しているのにもかかわらず、過去に成功した手法に頼り、それをさらに強化して対処しようとする性向を、ロンドンビジネススクールのサルとホールダ―は「能動的惰性」と呼んでいる。

昔は通用したが今は硬直化してしまっている成功体験にとらわれてしまうことを、組織学習の研究では「成功の罠」というが、同じことが個人にも当てはまる。

個人の仕事の方法や考え方は、30代から40代の前半でほぼ固まるのではないだろうか。それ以降は、一生懸命やっているけれども、どこか「惰性」で仕事をている人が多いように思う。

過去に学習したものを棄却することをアンラーニングと呼ぶが、なかなかガラッとアンラーニングすることは難しい。

では、どうすればいいのか?

現実的には、一気に新しいやり方を導入するのは無理があるので、自分のやり方をいくつかのパーツに分けて、パーツの一部を新しいものに変えたり、パーツの組み合わせを変えることで「能動的惰性」から脱却できるのではないか。

そのためにも、自分の持論やノウハウを文書化・視覚化し、自分がどのような仕事の進め方をしているのかを客観的に分析する必要があるだろう。

出所:ドナルドN.サル、ドミニク・ボールダー「理想と現実のギャップを埋めるコミットメントの自己理術」Diamond Harvard Business Review July 2005, p25-41.
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一日二時間の集中

フロリダ州立大学教授のアンダース・エリクソンは、熟達研究の巨匠である。

彼がスポーツ選手、小説家、音楽家など各界のエキスパートを調べたところ、4時間から5時間連続して練習に集中できる人はいなかったという。

教育の専門家や科学者の場合、新たなアイデアを考えるような頭脳労働に費やされていたのは午前中の二時間だけであった。

ある高名なバイオリンの教授は、「何時間練習すればいいのでしょうか」と聞かれたとき、「時間は関係ありません。指を動かしているだけなら、練習しても無駄です。頭を使って練習するならば、二時間で十分です」と答えたらしい。

自分を振り返ってみると、長時間仕事をしているようでも、本当に集中している時間は意外と少ない。

逆に言えば、どんなに忙しい人でも、一日二時間集中する時間があれば、熟達することが可能である。

誰にも邪魔されない二時間を作りだし、集中して仕事をすることができるかどうか。それが、成長のカギを握っているといえる。

出所:K.アンダース・エリクソン、マイケルJ.プリーチュラ、エドワードT.コークリー「反復練習がカギ:一流人材のつくり方」Diamond Harvard Business Review March 2008, p.44-54.


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ジョブ・クラフティング

「仕事が面白くない」「行き詰っている」「やらされ感がある」というビジネスパーソンは多いのではないだろうか。

そんな人たちにために、エール大学のレズネスキーらが提唱しているのが「ジョブ・クラフティング」という手法。

この手法は、「仕事はいくつかの基本単位で構成されており、それらを自分で組み立てなおすことで充実した職務環境を作ることができる」という考え方に基づいている。

第一歩は、自分の仕事を見直して、どのような仕事にどのくらい時間をかけているかを分析すること。「ミーティングの準備」「問い合わせ対応」「予算関連の書類作成」などのテーマ毎に四角で囲み、時間がかかっているものは大きく書いて視覚化する。

次に、自分の強みを生かすことができ、情熱を燃やせる方向で、仕事の構成をみなす。そのときのポイントは
・業務の数や範囲の調整
・実施方法の変更
・人間関係の性質や範囲の変更
である。

たとえば、今まで時間をかけていた仕事の中で、業績と関係の弱いものを効率化・簡素化することで時間を生み出し、新しい仕事を開始したり、今までと違う仕事の実施方法を採用したり、違う人たちとの関係を強化したりすることで、仕事を再構成できる。

転職や配置転換ができない場合でも、ジョブクラフティングによって、自分の仕事を充実したものに変換することができるという。このとき大切なのは、自分の強みを生かすことと、協力してくれそうな他者を探すこと。

この手法は、与えられた経験を再設計する手法の一つとして有効であると感じた。

出所:レズネスキー、バーグ、ダットン「「やらされ感」のある仕事をやりがいある仕事に変えるジョブ・クラフティング法」Diamond Harvard Business Review March 2011, p.58-66.

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発信力

最近、現場のマネジャーや、人材育成部門のマネジャーにヒアリング調査を行っている。テーマは「経験から学ぶ力」。

そこで必ず出るのが「他者から学ぶ力」である。

他者から学ぶためには、他者と関係を作らなければならない。人はロールモデル(手本)に習い、ライバルと切磋琢磨し、メンターからアドバイスをもらい、後輩を育てながら育っていく。経営学では、成長をうながすネットワークを「発達的ネットワーク」と呼ぶ。

では、他者と関係を作るにはどうしたらいいか?

答えは「発信力」である。なんだかんだいって人と人の関係は「ギブ&テイク」なので、何かを与えないと、何にももらえない。他者のためになる何かを発信するとき、誰かから何かが返ってくる。

「発信」というと大げさだが、要は何かを伝えることだ。はじめは小さなことでもいい。自分の考えていることや、自分が興味を持った情報を他者に伝えるとき、少しずつ発達的ネットワークができてくる。

ただ、注意しなければならないのは、発達的ネットワークには「深さ」と「広さ」があるということ。広いが浅い関係ばかりだと、なかなか成長できない。「深い」関係を作るには、共通の関心や思いが必要になる。

「思い」をこめて発信するとき、深い関係ができてくるのではないか。
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私の存在

昨日紹介した『半生の記』の中で、松本清張氏は軍隊生活を、次のように振り返っている。

「この兵隊生活は私に思わぬことを発見させた。「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」という通り、新兵の平等が奇妙な生甲斐を私に持たせた。朝日新聞社では、どうもがいても、その差別的な待遇からは脱けきれなかった。歯車のネジという譬はあるが、私の場合はそのネジにすら価しなかったのである。ところが、兵隊生活だと、仕事に精を出したり、勉強したり、又は班長や古い兵隊の機嫌をとったりすることでともかく個人的顕示が可能なのである。新聞社では絶対に私の存在は認められないが、ここではとにかく個の働きが成績に出るのである。私が兵隊生活に奇妙な新鮮さを覚えたのは、職場には無い「人間存在」を見い出したからだった。」(p.97)

軍隊というと非人間的なイメージがあるが、清張氏から見れば、逆に企業の方が非人間的であった。

「私の存在」が認められることこそ、やりがいや生きがいの源泉なのだろう。

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経験の紙芝居

東京大学の中原淳先生が実施するワークショップはとてもユニークである。その中でも面白いのは「自分が最も成長したと思えるプロジェクト」という内容の紙芝居を作ってもらうワークショップ。

ポイントは、紙芝居の最後にエンドロールを書いてもらうところ。エンドロールとは、映画の終わりに出る、製作者・監督・小道具係などの名前を列挙した一覧のことである。

マネジャーは、エンドロールを書くことで、多くの人が自分の仕事を支援してくれたことに気づくようになるらしい。

僕も本を執筆する際に、最後(「おわりに」の項)でお世話になった人の名前を挙げるのだが、その数の多さにいつもびっくりする。自分一人で本を書きあげたと思っていたのに、それが間違いであることに気づく瞬間である。

このワークショップは、紙芝居を作る過程でもいろいろなことに気づくし、紙芝居を見た人からの質問によって経験の意味を掘り下げることができるという点で、かなり優れたリフレクションの方法である。

どこかで一度やってみたいと思った。

出所:中原淳・金井壽宏『リフレクティブ・マネジャー:一流はつねに内省する』光文社新書.
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芸術とゆがみ

日曜日に芦屋市の「谷崎潤一郎記念館」に行ってきた。今、『細雪』を読んでいるので、谷崎潤一郎について知りたくなったからである。

ちょうど「恋文:文豪は、いかに愛をささやいたか:谷崎潤一郎 佐藤春夫」という特別展をやっていた。内容は、谷崎潤一郎と佐藤春夫の間に生じた「小田原事件」が中心。

谷崎潤一郎が小田原に住んでいたときのこと。彼は妻千代さんが好きではなかった。なぜなら彼女が家庭的だからである。そのかわり、潤一郎は千代さんの妹のせい子さんにのめりこみ、千代さんを虐待するまでになっていた。

千代さんの相談に乗っていた佐藤春夫だが、同情が次第に愛へと変わる。せい子さんとの結婚をもくろんでいた潤一郎は「千代をもらってくれ」ともちかける。一件落着かと思いきや、せい子さんに拒絶された潤一郎が土壇場で「やっぱダメ」と前言を翻す。怒った佐藤春夫と潤一郎は絶交する。これが小田原事件である。

ちなみに、マゾヒストの潤一郎は、いろいろな女性に恋文を送っていた。その内容はいつも同じで「あなたの崇拝者として、死ぬまで仕え、支配されたい」というもの。記念館でもらった解説書によれば、

「谷崎は、みずから好む愛のかたちを、演出し虚構していこうとしたのです。恋文は、そのための小道具でした。宛名となった女性たちは、文面どおりに振る舞い、谷崎を支配することを強いられます。その「遊び」を理解しえない女性は、谷崎の視界から遠ざかっていったのです。谷崎の仕掛けるエゴイスティックな遊戯は、創作の土壌となり、虚構の愛は傑作へと昇華されていきました。」

うーん、ゆがんでいる

はっきりいって、かなり変な人である。しかし、よく考えてみたら、常識人は芸術を生み出すことはできないのかもしれない。音楽家や画家にも自己中心的な変人が多いらしいし。常人とは違う「ゆがみ」が新しいものを生み出す原動力となるのだな、と思った。
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