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体験の言語化

九鬼周造は、『いきの構造』(大久保喬樹編・角川ソフィア文庫)の中で、学問の意義について次のように語っている。

「体験と概念的認識との間には超えることのできない隔たりがあることをはっきりと意識しつつ、それでもなお、体験を論理的な命題として言語化することを課題として追求しつづけることにこそ、まさに学問の意義はあるのである」(p.145)

体験を言語化すると「あたりまえのことを言っている」と思われがちだが、むしろ、そのあたりまえを言語化することで、自分の体験をより明確に意識化できるようになるところに学問の意義があるのだろう。
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わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである
(マルコによる福音書2章17節)


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『いきの構造』(読書メモ)

九鬼周造(大久保喬樹編)『いきの構造』(角川ソフィア文庫)

「いきな計らい」「いきな兄さん」「いきな仕草」などなど、私たち日本人の美意識のひとつに「いき」がある。その構造を哲学的に紐解いたのが本書。

「いき」とはもともと男女間の「つかず離れず」の関係に見られる「媚態」から出た言葉だが、その特徴は、「意気地」と「諦め」の二元性から成る。

「意気地」とは、「自分への誇り」であり、「武士は食わねど高楊枝」など武士道の理想主義に基づくもの。

「諦め」とは、運命を受け入れて執着を断つことであり、仏教思想に裏打ちされる。

「自分の誇りを大切にするが、執着しない」という緊張感のなかに「美しさ」があるという考え方に感銘を受けた。吉田兼好も『徒然草』の中で、「自分のやりたいことをやれ」しかし「世の中に執着しすぎるな」というようなことを言っている。

自我を通そうとする気持ちと、執着してはいけないという気持ちの間で揺れ動くことが多いのだが、本書を読み「それでいいのだ」と思えた。

ちなみに、本書は編者の大久保氏のおかげでとても読みやすくなっている。



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『ハーフ・ネルソン』(映画メモ)



『ハーフ・ネルソン』(ライアン・フレック監督)

渋い映画である。

優れた教師であるにもかかわらず薬物から抜け出せないダン。黒人女生徒ドレイがドラッグ売人の仲間に入るのを阻止しようとするのだが…

子供たちのおかげでまともでいられる」という言葉が心に残った。

ちなみに、ハーフ・ネルソンとは「羽交い絞め」のようなレスリングの技のこと。

状況に羽交い絞めにされているダンとドレイが、支え合いながら前に進もうとする姿に小さな希望を感じた。

映画が終わってから流れるエンドロールを最後まで見たのはひさしぶりである。

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彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた

彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた
(歴代誌下26章5節)

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他人におぶさる力

奥さんの死から立ち直る過程について、倉嶋さんは次のように述べている。

「ここまでくるのには時間が必要でした。そして、もうひとつ必要だったのは、周囲からの手助けです。だから、困ったときはSOSをどこへでも出せばいいと私は思います。「どうしたらいいんだかわからない」「まいってるんだよ」と。(中略)私は弱いものだから、妻に頼っていたぶんを、そのままそっくりまわりのみんなに頼ってしまいました。そうやって他人におぶさることができたので、ようやく暗いトンネルを抜け出すことができたのだと思います」(p.209)

他人におぶさる力の大切さがわかった。

出所:倉嶋厚『やまない雨はない:妻の死、うつ病、それから…』文春文庫

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『やまない雨はない:妻の死、うつ病、それから…』(読書メモ)

倉嶋厚『やまない雨はない:妻の死、うつ病、それから…』文春文庫

気象庁を退職後に、NHKお天気ニュースのキャスターを務めた倉嶋さん。本書には、奥さんを亡くした後に、うつ病で苦しみ、そこから抜け出すまでの経過が書かれている。

末期がんと宣告された奥さんは数週間で逝ってしまうのだが、仕事をしながら看病していた倉嶋さんは後悔の念に悩まされる

「「俺が殺しちゃった…」いつしかそんな思いに囚われていました。(中略)突然罪の意識が容赦なく私を襲ってきました。私は仏壇の前で、号泣しながら、「堪忍してほしい」と謝り続けました。それからは、過去を悔やんでばかりの毎日です」(p.144-145)

ある意味で奥さんに依存していた倉嶋さんは、次のように振り返っている。

「妻が逝って一人残されたあと、思い知ったことがあります。私たち夫婦は“足し算”ではなく、“掛け算”だったということです。どんな数字でも、ゼロを掛けると答えはゼロです。ひと組の夫婦が「1+1」だとすると、一人がいなくなっても一人が残れば、答えは「1」。「1×1」の場合は、一人が「0」になってしまいます」(p.120)

この部分を読み、奥さんの死後に廃人のようになってしまった城山三郎さんを思い出した。

その後の倉嶋さんの苦しみは半端ないのだが、どのように立ち直ったのか?

「今でも妻には申し訳ないことをしたと思っているけれども、人にはその人の器量というものがあります。そのなかで精一杯やってきたのです。それで足りなかったとすれば、要するに人間が小さかったということ、それが自分の限界ということです。つまり、「俺は俺なりにやったんだぜ」ということです」(p.207)

この箇所を読み、何事においても、苦しむだけでなく「自分を認めてあげる」ことも大切になるな、と感じた。







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あなたがたにできないことは何もない

あなたがたにできないことは何もない
(マタイによる福音書17章19節)

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『ワンチャンス』(映画メモ)

『ワンチャンス』(デヴィッド・フランケル監督)

ブリテンズ・ゴット・タレント(Britain's Got Talent)をよくユーチューブで見ているが、その中でも強烈に記憶に残っているのがポール・ボッツ

携帯電話の販売員をしているというポッツは、冴えない風貌で自信なさげ。しかし、歌い出すとみんなビックリして大拍手というお決まりのパターン。この番組をきっかけにポッツは世界的なオペラ歌手になる。

このポッツがゴット・タレントに出るまでの生活を描いたのがこの映画。

映画の作り方自体はどこかチープなのだが、ポッツと奥さんの夫婦愛が良かった。ポッツが成功しなくても、この夫婦は幸せだったのだろうなと感じた。

人が成功する上でパートナーの支援が欠かせないことを実感できる映画である。





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大きな目標を分解する

日米で活躍した井口資仁選手だが、2000年の時点では成績がパッとしなかったらしい。

その時期にコーチからの助言で盗塁王を狙うことになったが、井口選手としては自信がない。そこで発想を変えてみた。

「大きな目標も逆算して小さく分解すれば達成する可能性が見えてくる。1シーズンは6か月あると考えると1か月5盗塁で30盗塁。最低でも週に一つ成功させていけば、そこそこの数字になると考えると、気持ちが楽になった」

結果的に盗塁王を獲得し、成長路線に乗ることができた井口選手。

ストレッチ(挑戦的)課題をどう乗り越えるかという問いに対して、ある企業のマネジャーが「因数分解すればいい」と言っていたのを思い出した。

大きな目標を細かく分解して「背伸びすればできる目標」に変換することの大切さを改めて感じた。

出所:ロッテ・井口資仁 人生が大きく変わったキッカケはコーチの助言
http://news.livedoor.com/article/detail/13646938/
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