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金銭の欲は、すべての悪の根です

金銭の欲は、すべての悪の根です
(テモテへの手紙6章10節)


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伴侶へのいつくしみ

映画『妻への家路』の中で印象に残っているのは、やはり、自分のことを忘れてしまった伴侶への愛である。

家族が認知症になった方々も、たぶん同じような思いで支えているのではないか、と感じた。

夫役のチェン・ダオミンが、またいい。妻をいつくしむ気持ちが伝わってくる演技だった。

しかし、自分が同じ立場だったら、果たして同じように妻をサポートできるのであろうか。そうした点についても内省させられる作品である。

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『妻への家路』(映画メモ)

『妻への家路』(チャン・イーモウ監督、コン・リー主演)

前から気になっていた映画『妻への家路』のDVDを買った。

舞台は中国の文化大革命。20年間囚われの身であった夫が開放されて、帰って来たものの、記憶障害の妻は夫の顔を認識できない。そんな妻に寄り添い支える夫。

夫婦とは何かを深く考えさせられる物語である。

とにかく、主演女優であるコン・リーの演技が圧巻である。最初から最後まで、表情だけでいろいろなことを語りかけてくるのだ。

巻末に収録されている監督へのインタビューによれば、コン・リーのアイデアで脚本を修正したらしい。

すでに世界的な名監督であるチャン・イーモウと、ハリウッド女優となったコン・リーであるが、熱い思いで、謙虚に作品づくりをしていることが伝わってくる名作である。


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人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる

人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる
(エフェソの信徒への手紙5章30節)

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悪の中の善、善中の悪

『菜根譚』(湯浅邦弘著、角川ソフィア文庫)から、印象に残った箇所を紹介したい。

悪の中の善、善中の悪
「悪事を行いながら、それでも人に知られることを恐れる者は、まだ悪の中にもわずかに善に向かう道があるといえる。立派な行いをして、そのことを他人に知ってほしいと焦る者は、善意の行いも、そのまま悪の根源となってしまう」(p.79)

この考えは深い。人間の行いは、良い悪いと二分できるものではなく、良い行いの仲にも悪の種があり、悪いことをしていても良い方に向く気持ちもある。「悪の種」に気をつけたい、と思った。

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それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ 一歩一歩を踏み誤りそうになっていた

それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ 一歩一歩を踏み誤りそうになっていた
(詩編73章2節)

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『菜根譚』(読書メモ)

湯浅邦弘『菜根譚』角川ソフィア文庫

16~17世紀に生きた洪応明(自誠)によって書かれた処世訓である。

著者の湯浅氏によれば、「菜根」とは「野菜の根」のことであり、「清貧」の意味があるという(ちなみに「譚」とは「談」のこと)。

洪応明は、儒家であったらしいが、仏教や道教の影響も受けているらしい。たしかに、単なる道徳だけではなく、無や空の思想も混じっているように感じた。

本書の中で特徴的だと思ったのは、「中庸」の思想。「やりすぎてはいけない、一歩引きなさい」といった考えである。例えば、次の句。

「世間を渡っていくときに、その関わりが適度に浅ければ、悪習に染まることも浅く、逆に、世事に深く立ち入れば、機械(権謀術中)の心もまた深くなっていく。だから君子は、世事に熟達しているよりは、むしろ素朴でぼんやりしているくらいがよく、あまりに慎み深くあるよりは、むしろ常識外れで世事にうといというくらいがよいのである」(p.20-21)

ぼんやりしているくらいがちょうどいい、という言葉に少しホッとした。

もう一つ「一分をへらす」という句も紹介したい。

人生は、何事につけ一分を減らすと、その分だけ世俗から超脱することができる。もし交友関係を少なくすれば、もめごとから逃れることができ、言葉を慎めば、過失も少なくなる。思慮を減らせば、精神の疲れもなく、聡明さを減らせば、本来の性をまっとうすることができる。日々減らすことに努めず、日々増やすことに努めている者は、まことに自分の生命を自ら束縛しているのである」(p.223-224)

たしかに、我々は「増やす」「伸ばす」ことばかり考えているが、「減らす」ことに目が向いていないことが多い。このへんに、心地よく生きるためのポイントがあるように感じた。





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前向きのスキーマ、後ろ向きのスキーマ

『はじめての認知療法』(大野裕著、講談社現代新書)によれば、認知療法では、自分の「スキーマ」を理解することが大事になるという。

「スキーマ」とは、その人なりの価値基準や「こころの法則」なのだが、前向きスキーマと後ろ向きスキーマがあるらしい。

前向きスキーマとは
・がんばればなんとかなる
・人はお互いに助けあうものだ
・あきらめなければ展望は開ける
といった考え方であり、

後ろ向きスキーマとは
・自分はダメな人間だ
・人は頼りにならない
・少しでも失敗したらおしまいだ
というもの。

大野先生は次のように説明している。

「前向きのスキーマは、何かをしようとするときに自分の力になりますが、注意しないと自信過剰になってしまうリスクもあります。後ろ向きのスキーマは、ほどほどのときには警報機の役割を果たしますが、あまり強くなりすぎると、つらい気持ちになって、問題にも上手に対処できなくなります」(p.187-188)

「もっとも、誰でも前向きのスキーマだけ、後ろ向きのスキーマだけしか持っていないということはありません。その両方のスキーマがこころの中にあります。ところが、ストレスを強く感じると後ろ向きのスキーマの勢いが強くなってくるのです。ですから、自分のスキーマを理解して、ストレスを感じたときに自分がどのように考えるクセがあるかがわかっていれば、ストレス場面でうまく切り抜けて自分の力を発揮できるようになります」(p.188)

自分の考え方のクセを理解するということは、自己を客観視する力である「メタ認知力」をつけるということだろう。

しかし、本格的なうつ状態になったときには少し難しいのではないか。認知療法は、深刻な状況になる前に活用すべきではないかと感じた。



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わたしにつながっていなさい

わたしにつながっていなさい
(ヨハネによる福音書15章4節)

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『はじめての認知療法』(読書メモ)

大野裕『はじめての認知療法』講談社現代新書

著者によれば「認知」とは、「ものの受け取り方や考え方」。

うつをはじめとする精神的な病の治療法である認知療法は、「自動思考」と呼ばれる「こころのクセ」を知り、修正することに重点が置かれている。

代表的な自動思考には次のようなものがある。

①思い込み・決めつけ
②白黒思考
③べき思考
④自己批判
⑤深読み
⑥先読み


こうしたクセに陥らないようにする基本は「根拠があるか」考えてみること。

また、次の3つの方法も有効であるという。

①冷静になって現実を見る
②親しい人が同じ状況にあるなら、どうアドバイスするか考える
③これまでに同じ経験をしたことがないか考える

経験学習では、「振り返り(リフレクション)」が大事であるといわれるが、いろいろな落とし穴があるといえる。

リフレクションの際には、自動思考に注意しなければならないだろう。



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