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『ノッティングヒルの洋菓子店』(映画メモ)

『ノッティングヒルの洋菓子店』(2020年、エリザ・シュローダー監督)

ロンドンのノッティングヒルに洋菓子店を開く直前、洋菓子職人であるサラが交通事故で急死してしまう。(という場面から始まる)

一時は諦めかけた開店だが、サラの母親ミミ(セリア・イムリー)、サラの娘のクラリッサ(シャノン・ターベット)、共同経営者のイザベラ(シェリー・コン)、サラの元恋人で菓子職人のマシュー(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が力を合わせて店を運営する物語。

ちなみに店の名前は「ラブ・サラ」。

同じ地域に4店のベーカリーがある中、これといった特徴がないため客が来ない。そこで考えたのが、他国から来たロンドン市民のために故郷のお菓子を作るという作戦。

やはり技術だけではダメで、顧客のニーズと自社の技術をマッチさせるマーケティングが必要なのだ。

ひょんなことから集結したメンバーが、ゼロから特色のある店を作り上げていくプロセスが面白かった(ちょっと上手くいきすぎだけど)。






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自分自身の内に塩を持ちなさい

自分自身の内に塩を持ちなさい
(マルコによる福音書9章50節)

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『スマホ脳』(読書メモ)

アンデシュ・ハンセン(久山葉子訳)『スマホ脳』新潮新書

ベストセラーを読むのは気が進まなかったが、人に薦められてしかたなく読んだところ、面白かった。

本書のメッセージは「脳は原始時代に人間が生き残るために作られている」ということ。

一番印象的だったのは「ネガティブな感情の働き」。

ネガティブな感情はポジティブな感情に勝る。人類の歴史の中で、負の感情は脅威に結びつくことが多かった。そして脅威には即座に対処しなければいけない。」(p. 39)

そして、うつ病もストレスから身を守るための戦略であるという。

「精神科医として働く中で気づいたのだが、患者が、自分の感情が果たす役割を理解するのはとても重要だ。不安が私たちを危険から救ってくれたことや、うつが感染症や争いから身を守るための術だったと知れば、患者たちもこう考えることができる。『うつになったのは自分のせいじゃない。ただ脳が、進化したとおりに働いているだけ。』」(p. 64)

ネガティブな感情や反応が、脳の防衛機能によるものであることがわかり、納得した。
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あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる

あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる
(エレミヤ書31章16節)

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『ターナー、光に愛を求めて』(映画メモ)

『ターナー、光に愛を求めて』(2014年、マイク・リー監督)

18世紀~19世紀(1775‐1851年)にかけて活躍した英国を代表する画家であるターナーの晩年を描いた作品。

曇った海に淡い光がさしている風景画が印象的である。

理髪師の息子であるターナー(ティモシー・スポール)は、若いうちから認められ、アカデミーの重鎮となる。成人した娘はいるが、結婚はしておらず、メイドと父親と暮らしている。

父が死に、旅に出て、宿屋の未亡人と良い仲になるというストーリーが淡々とすすむ地味な映画なのに、グッとくるものがあった。

それは、ターナーの中に「やさしさ」と「冷酷さ」「自信」と「不安」が同居していて、とても人間らしいからかもしれない。まるで、彼の描く海の絵のようだ。

なお、ターナーに思いを寄せるメイド役のドロシー・アトキンソンの演技が素晴らしかった。
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『四十歳、未婚出産』(読書メモ)

垣谷美雨『四十歳、未婚出産』幻冬舎文庫

旅行代理店に勤務する独身の優子は40歳。部下と一時的な関係を持ち、妊娠したことがわかる。

父親である部下には告げずに、1人で産む決意をしたものの、社内でどう説明するかで悩む優子。

姉や兄、田舎のお母さん、幼なじみの男子たちも絡みながらストーリーが展開するのだが、「社会的な体裁をどう保つか?」と「どう生きたいのか?」がぶつかり合うところが面白かった。

我々はいろいろな問題に直面するけれども、親族や友人など「相談できる人」のありがたさ、大切さを感じた。


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折が良くても悪くても励みなさい

折が良くても悪くても励みなさい
(テモテへの手紙Ⅱ 4章2節)

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『パーフェクト・ワールド』(映画メモ)

『パーフェクト・ワールド』(1993年、クリント・イーストウッド監督)

レンタルビデオ店の棚に「この映画は泣けます」というポップがあったので借りてみたが、やっぱり泣けた。

時は60年代のアメリカ。刑務所を脱獄したブッチ(ケビン・コスナー)は、小さな男の子フィリップ(T・J・ローサー)を人質にして車で逃亡する。警察に追われるうちに、二人に友情が芽生えるというストーリー。

ブッチは善良な気質をもっているのだが、悲惨な家庭で育ったために、犯罪者になるべくしてなってしまったことがわかる。

鍵となるのはブッチの父親像。暴力的で勝手な父親であるにもかかわらず、父の愛を信じるブッチが切ない。

「境遇」から逃れることができるのか、を問う作品である。

ラスト・シーンは、後のイーストウッド作品である『グラン・トレノ』に引き継がれているようだ。





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『晩年のカント』(読書メモ)

中島義道『晩年のカント』講談社現代新書

哲学界の大物であるカントの晩年(69歳から80歳まで)を解説した書。

難しい内容をわかりやすく説明してくれている中島先生の力量に感銘を受けた。

職人の家庭に生まれたカントは哲学の道に進む。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』を著した哲学界のスーパースターであるにもかかわらず、大学の正教授になったのは意外と遅く46歳の頃。

いろいろと面白かったのだがカントは「左脳の人」であるという点。

「カント自身、『判断力批判』ほどの優れた美学書を書きながら、音楽や海外や彫刻などの芸術作品に対してはほとんど興味を示さない」(p. 190)

つまり、芸術等を感じる「右脳」ではなく、論理的思考をつかさどる「左脳」的な人なのだ。これはカントに限らず、哲学者全般に言えることだと中島先生はおっしゃっている。

「哲学とは、『言語』という特定の手段によって成り立っているからであり、哲学者とは言語(あるいは言語と世界との関係)に対する独特の信念をもっているからである」(p. 191)

この箇所を読み、ウィトゲンシュタインの名言「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」を思い出した。

キリスト教についても、カントは「理性の限界内」で認めているだけで、イエスの奇跡等は認めておらず、そのため国からお𠮟りを受けてしまっている。

ただ、もしカントが「左脳と右脳をバランスよく使う人」だったら、ここまでの業績は残していなかったはずである。偏っていたからこそ、大きな仕事を成し遂げることができた、といえるかもしれない。

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あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場

あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場
(詩編70章6節)

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