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生きるために書く

黒澤映画の脚本を担当していた橋本忍さんは、平成6年前後から体調を崩し、13年間仕事を中断せざるを得なかったという。その後、3年をかけて『複眼の映像』を書き上げたときの状況を次のように述べている。

「しかし、完成などは覚つかず、途中で死による挫折と半分は諦めていたのに、意外に現実はそうではなく…長年字を書き続けてきた職人仕事の習性なのか、字を書くことで気持ちに張りが出てきて、体調までいくらか整う、思いがけない現実があったからである。とすると、これからも生きるためには字を書かないといけない」(p.4)

「生きるために書く」という言葉が刺さった。

人は、生きることを支える何かを持っているのだろうな、と思った。

出所:橋本忍(脚本)『私は貝になりたい』朝日文庫



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主よ、あなたは我々の中におられます

主よ、あなたは我々の中におられます
(エレミヤ書14章9節)


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『私は貝になりたい』(読書メモ)

橋本忍(脚本)『私は貝になりたい』朝日文庫
(加藤哲太郎(遺書・原作)『狂える戦犯死刑囚』)

昔、フランキー堺主演のドラマ(たぶん再放送)を見て、子供ながら衝撃を受けたことを覚えている。

本書を手に取って少し驚いた。それは、脚本家の橋本さんが「序に代えて」で述べていることだ。

「昭和三十三年(1958)に東京放送(現在のTBS)で、芸術祭参加のテレビドラマ『私は貝になりたい』が放送されると、視聴者の賛辞が予想外な広がりで高まり、文部大臣賞も受賞したので、東宝で映画化が決まり、監督は私がと申し出るとO・Kになったので、黒澤明氏邸へ初監督の挨拶に行った。「僕はテレビは見なかったが、見た者の評判はなかなかいいよ」と黒澤さんは上機嫌に「結構だ、思い切ってやれ。都合じゃ僕が編集室へ入る」だが私の差し出す脚本を受け取ると、首を捻り、掌に乗せ、目方を計るように少し上下に動かした。「橋本よ……これじゃ貝にはなれねえんじゃないかな」脚本の軽さ…それは根幹に脱落しているものがあり、書き込み不足ではとする懸念である」(p.2)

こうしたコメントを受けて橋本さんが書き直したのが本書である。

徴兵され、上官の命令で捕虜を殺した二等兵が、B・C級戦犯として死刑になってしまうというストーリーであるが、かなりの迫力で引き込まれた

ただし、橋本さんには悪いのだが、読後感が「軽い」のである。黒澤監督が言うように「これじゃ貝にはなれないんじゃないか」と思ってしまったのだ。

ラストの名台詞につながるまでのストーリー展開や必然性が、後半になるほど弱い。ドラマや映画では、俳優の演技がそれらを補っていたのだろう。

何事においても、メッセージと、それを伝える語り手の迫力が大切である、と感じた。



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魂からのほとばしり

『押絵の奇蹟』(夢野久作、角川文庫)の解説には、次のような記述がある。

「夢野久作と訊かれて、福岡在住のふう変わりな作風の探偵作家と答えられれば、まず相当な推理小説の読者といえよう。彼の執筆期間はわずか十年ちょっとで、しかも郷里の福岡から生涯離れなかった。(中略)彼こそは自分の書きたいものを、書きたいままに書いた稀有な作家であった。だから筆一本で生計をたてるようになっても、中央文壇へうって出たい気持ちを決して起こさなかった。彼の書きたいものを載せてくれるところがあれば「九州日報」でも「新青年」でもよかった。探偵作家と見られようが、そんなレッテルはお構いなしに探偵小説に拘泥しなかった。彼の土着性と戦慄と狂気の文学は、魂からほとばしったものがたまたま文字に遺されたにすぎない。そして没後三十余年、ようやく彼の作品の再評価の機運が齎(もたら)されたのである」(p.332-333)

これを読み、世間の評価は気にせずに、魂からほとばしるような仕事がしてみたい、と思った。

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いつも感謝していなさい

いつも感謝していなさい
(コロサイの信徒への手紙3章15節)

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『押絵の奇蹟』(読書メモ)

夢野久作『押絵の奇蹟』角川文庫

『ドグラ・マグラ』で有名な夢野久作の作品。従兄にすすめられて読んでみた。

一見軽そうで重厚さもある、不思議な文章。

「氷の涯」「押絵の奇蹟」「あやかしの鼓」が収録されているが、デビュー作「あやかしの鼓」が一番良かった。

呪われた鼓
を巡って繰り広げられる不思議な物語は、横溝正史の推理小説を彷彿させるが、横溝作品よりも深みがある

他の作品も読んでみたくなった。
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歴史の積み重ね

『徳川がつくった先進国日本』を読んで、少し驚いたことがある。

それは、われわれの江戸イメージは江戸後期に形成された姿であるという点。

「現代人が抱く江戸のイメージの多くが、この文化から次の文政年間(1818~30年)前後に生まれたものです。このころ広く親しまれた浮世絵や滑稽本には、相撲や落語、歌舞伎などの芝居に興じる庶民たちの姿が生き生きと描かれ、黄表紙などの出版メディアや屋台などの外食産業も現れはじめます。醤油やみりん、酢などの調味料が普及して握り寿司が生まれたのも、また隅田川の花火やお花見が庶民を熱狂させたのも、この時代です」(p.19-20)

こうした文化が花開くまでには、江戸初期と中期において、民を大事にする意識や農村文化の形成が必要であった。いろいろな歴史の積み重ねを理解することの大切さがわかった。

出所:磯田道史『徳川がつくった先進国日本』文春文庫

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わたしが担い、背負い、救い出す

わたしが担い、背負い、救い出す
(イザヤ書46章4節)

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『徳川がつくった先進国日本』(読書メモ)

磯田道史『徳川がつくった先進国日本』文春文庫

日本礼賛本かと思ったが、とても良い本だった。

本書は、現在の日本の基礎を作った江戸時代260年を、いくつかのフェーズに分けて解説している。

1)殺戮の世界から、愛民思想が芽生えた江戸初期
2)豊かな農村社会が形成された18世紀前半
3)大飢饉を経て、民を守るという意識が芽生えた18世紀後半
4)文化が爛熟し、対外危機を経験した江戸後期である

それぞれの時代に、独自の課題があり、それらを乗り越えながら学んでいく様子が描かれている。

特に印象に残ったのが、農村社会が形成された時期

山が多く農地面積が小さい日本では、頭を使って農業の生産性を上げないと食っていけない。そのため、農民が字を覚えて本を読み、創意工夫をしていかざるをえなかった。これが、江戸後期の文化形成のベースになったという。

「この時代、領主の所領と同じく、耕地もまた横へ横へと面積を広げることがこれ以上望めなくなってきたたま、その代わりに、小面積の農地でより多くのものを生み出すための努力へと、人々は発想を転換していくのです。科学的な農法を学び、農具を改良し、二毛作を行い、あらゆる努力をして生産性を高め、自分の取り分を増やそうとした。限られた土地資源とマンパワーのなかで、まさに創意工夫によって豊かになる道を追求していったのです(中略)この精密な農業は農民に「知的」であることを要求します。小さな田畑からたくさんの作物をとるのは、農民が勤勉で頭が良くなければ無理です。賢くなければできない農業なのです。それで、農民たちは積極的に生活向上のための「学び」に取り組み、読み書き、そろばんの能力を身につけるようになります」(p.106-107)

日本人の勤勉さと創意工夫の精神は、この頃に醸成されたことがわかった。この伝統をいかに守り進化させるかが、われわれの課題なのだろう。


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降旗監督のリーダーシップ

『あなたに褒められたくて』の中で健さんは、『駅』『居酒屋兆治』『夜叉』『あ・うん』で一緒だった降旗康男監督のことについて触れている。

「降旗監督が走った姿や、威圧感を感じさせたり、怒鳴ったりする姿を見たことないですよね。大声出したことも人から聞いたこともないんですよね。だからといって、人を突き放しているのではなくて、俳優のことも、小道具のことも、大道具や照明のことも、衣装のことも、きちっと見てくれているんです。認めてくれるから、それぞれの人が、それぞれの場で、よりよいものを求めて、必死で駆け回る」「といって、「うーん、よくやった」とか、「おまえは偉いぞ」と褒めることもしないんですよね」(p.169)

言葉がなくても、自分を見てくれている、自分に期待してくれている。それがモチベーションの源泉になるのだろう。健さんは続ける。

「だけど、映画ができあがると、一人一人の努力が、きちんと画面の中に込められているんです。あの人の映画に参加できた人は、どのパートの人間でも、自分の今後の行く先に灯りをともしてもらったような気持ちになるんないでしょうか」(p.169-170)

ただ認めるだけではなく、それぞれの努力を統合して一つの作品にしてしまう降旗監督の中に、真のリーダーシップを見た。

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