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今泣いている人々は幸いである

今泣いている人々は幸いである、あなたがたは笑うようになる
(ルカによる福音書6章21節)




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右脳と左脳

一原さんの版画には、登山と俳句が強く影響しているらしい、ということを昨日紹介した。

登山で体験したことを版画で表現するというのはわかるが、「俳句と版画の関係」はいったいどうなっているのだろうか?

そのこたえは「空間性」にある。

俳句も抽象的な言葉で表現される空間的表現であることから、俳句と版画が結びつくというのだ。ただし、空間性という共通項はあるものの、俳句と版画では使う脳がが違うと一原さんは考えている。

「一原の言い方に従えば、知覚をつかさどる左脳を使っての創作活動である俳句に煩わしさ感じ、感覚をつかさどる右脳を使って製作する版画に心を寄せていったという。一原は思考することの苦悩からの解放感を感じていたのであろう」(p.102)

右脳と左脳の両方を使うときに、何か新しいものが生まれるのかもしれない。

出所:光岡幸治『一原有徳:版の冒険』北海道新聞社

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『一原有徳:版の冒険』(読書メモ)

光岡幸治『一原有徳:版の冒険』北海道新聞社

100歳まで生きた世界的な版画家・一原有徳さんの評伝である。

小樽にある貯金事務センターで公務員として働いていた一原さんが版画を始めたのは47歳。それは偶然であった。

「一原は油絵を描くため、割れた小さな石版石をパレットがわりに使っていた。(中略)石版石に盛った絵具をパレットナイフで練っていたところ、偶然に現れた映像が一原の琴線に触れ、何とか残せないかという思いから紙をあてバレンで刷り取った。これが版画家・一原有徳の原点となった」(p.85-86)

一原さんの作品は、機械の部品や鉄くずが集積した未来都市や、未知の生命体を表したような抽象的なものが多い。金属板を腐食させたものや、オブジェやモニュメント的なものまで、80歳を過ぎても、数々の実験を繰り返してきた。

そうした実験精神を支えてきたものは何か?

それは、俳句と登山である。

一原さんは、十代の頃から俳句を、二十代の頃から登山をしており、それらの経験が版画と一体化しているのだ。「俳句は創作の心をつくり、山は未知の魅力を教えてくれました」(p.148)というコメントにあるように、版画、俳句、登山が三位一体となっている。

「ある深い岩の谷底のことでした。狭い青空から大きな水滴が、ゆっくりと落ちてきて飛散し、その周辺だけに日が当たり、なんともいえぬ美しさでした。こんなイメージが版に・・・・いや、それには及びませんし、作るときには忘れていたことです」(p.112)

やはりイノベーションというものは、異なる世界が結びついて統合されるときに生じるのだな、と思った。


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もし主を求めるなら、主はあなたに御自分を現してくださる

もし主を求めるなら、主はあなたに御自分を現してくださる
(歴代誌上28章9節)


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『心星ひとつ みをつくし料理帖』(読書メモ)

高田郁『心星ひとつ みをつくし料理帖』ハルキ文庫

先日紹介した「みをつくし料理帖」シリーズの第6弾である。

これまでのあらすじを手短に説明しよう。

主人公・澪(みお)は、小さな料理屋で、さまざまな工夫を重ねて料理を作り、お客さんが喜ぶ顔を見ることに生きがいを感じる娘である。いつかは、つぶれてしまった奉公先の料理屋を再興して、女郎となっている幼友達を身請けしたいという希望も持っている。

一方、彼女は、店に来る浪人風の侍に恋をしてしまう。実は、この侍は、将軍に料理を出す御膳奉行という旗本。けっこう相思相愛なのだが、身分が違うためになかなか恋は進展せず。

しかし、この巻では状況が一変し、澪がこの旗本と結婚できる道が開かれる。ただし、料理の道を諦めなければならない。料理をとるか、恋をとるか悩む澪は、信頼できるお医者さんに相談する。このお医者さんのアドバイスが本巻のキモである。

「悩み、迷い、思考が堂々巡りしている時でも、きっと自身の中には揺るぎないものが潜んでいるはずです。これだけは譲れない、というものが。それこそが、そのひとの生きる標(しるべ)となる心星でしょう」(p.281-282)

ちなみに、心星(しんぼし)とは、天の中心にある星で、すべての星がそれを軸に廻っているとのこと。

「これだけはゆずれない」という生きる標は、キャリア論でいう「キャリア・アンカー」なのだろうが、「心星」の方がグッとくる表現である。

この本を読み「自分の心星とは何だろうか」と考えてしまった。


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『みをつくし料理帖』(読書メモ)

高田郁『みをつくし料理帖』シリーズ(ハルキ文庫)

知り合いの編集者の方から薦められた本である。

はじめは、「料理帖?」「なにそれ?つまらなそう」と思い、まったく読む気がしなかった。しばらくして、その編集者の方が「じゃあ、まず高田郁のデビュー作『出世花』を読んでください」と言うので、しかたなく読んだところ、それが面白かった。

そして、昨年末から「みおつくし料理帖」シリーズを読み始めたのだが、すっかりはまってしまった。今6巻目を読んでいるところである。

舞台は江戸中期。大阪の淀川洪水で両親をなくした(みお)は、大きな料理屋のおかみさんに拾われ、そこで奉公するうちに料理人となる。

あるとき、その料理屋が火事で焼けてしまい、江戸支店を任せていた息子も行方不明になったため、主人夫婦とともに江戸に出てきた澪。その後、主人は病死し、奥さんは病気になってしまう。そして、おかみさんと長屋住まいをしていた澪は、ある小さな料理屋の料理人となる。その店を舞台に、料理人としての澪が成長する姿を描いたのがこの小説だ。

と、出だしは、やや無理のある展開なのだが、これがまた、なんというか、不思議な味のある小説なのだ。

講談調のわざとらしいストーリー展開だったりするのに、妙な清潔感や透明感があり、人間としての成長や生き方について考えさせられる。「女性版・山本周五郎」ともいえるけど、ちょっと違う気もする。とにかく「心にしみる」小説なのである。

一つ気付いたのは、登場人物のキャラクターがとても魅力的であるという点だ。著者の高田さんは、漫画の原作者をされていたらしく、そうした経歴が関係しているのかもしれない。

言葉で説明することが難しいので、とにかく読んでもらうしかない小説である。


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舌は火です

舌は火です
(ヤコブの手紙3章6節)


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老人ホームを拠点に活躍する

自宅における親の介護で、肉体的にも精神的にも厳しい状況に置かれている方々が多いと聞く。

こうした人に対し、介護コンサルタントの中村寿美子さんは次のようにアドバイスしている。

「「子供に介護の苦労をかけたくない」とホーム入居を考える高齢者が増える一方で、その子供世代の若者には「親の面倒は自分がみなければ」という責任感から、親を介護施設に預けることに抵抗感や罪悪感を抱く人も多いようです。けれども、老親を介護施設に入れることは、決して親不孝な行為ではありません。プロの介護を受けながらホームで生活することで、心身の状態が改善したり、より快適な環境で元気に暮らすこともできるのです」(p.192)

われわれは「老人ホーム=姥捨て山」のように考えてしまいがちだが、どうも違うようだ(もちろん施設によるだろうが)。

先日紹介した『こんな介護で幸せですか?』を読んで励まされたのは、老人ホームを拠点にして活躍した女性の方々の存在だ。

女性問題の評論家である石垣綾子さんは、晩年老人ホームで言論活動を続けたというし、旅行雑誌の編集長として活躍し石塚文子さんも、自宅を処分してホームに移り、精力的に国内外へ取材旅行に出かけていたらしい。また、社会学者の鶴見和子さんも77歳のときに脳出血で左半身付随になってから介護付き老人ホームへ入居し、その後88歳で亡くなるまで、歌集や対談集を発表していたとのこと。

その気になれば、老人ホームは社会でいきいきと活動する場として機能するということだろう。

「介護施設に入れるのはかわいそう」と考えるよりも、「いかに介護施設を活用して豊かな生活を送ってもらうか」を考えることが大事だと感じた。

出所:中村寿美子『こんな介護で幸せですか?』小学館101新書
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『こんな介護で幸せですか?』(読書メモ)

中村寿美子『こんな介護で幸せですか?知らなければ絶対に後悔する終の棲家の選び方』小学館101新書

「「老い」は誰にでもやってきます。介護はある日突然、必要になります

本書の「はじめに」で書かれている言葉である。夫の両親と夫を介護し看取った経験を持ち、これまで、介護や高齢者の住まいに関する1万件以上の相談に応えてきた中村さんのアドバイスには説得力がある。

副題にある「終の棲家」とは「自分の死に場所」である。本書のメインメッセージは次の言葉に要約されるだろう。

「今後、さらに高齢化率(65歳以上の人口比率)が上がり、右を向いても左を向いても高齢者ばかりになります。それゆえ、誰にも迷惑をかけないようにするには、あらかじめ「自分の死に場所」を決めておく必要があるのです。誰かが何とかしてくれるだろう、などと安易に考えていたら、大間違いです」(p.210)

しかし、介護施設は、特別養護老人ホーム、老人保健施設、ケアハウス、グループホーム、民間の有料老人ホーム、高齢者住宅とさまざまである。いったいどうやって選べばいいのか?その悩みに答えてくれるのが本書である。

この本にはいろいろなアドバイスが書かれているが、印象に残ったのは「経営者、もしくは施設長に会え」ということ。

「入居者がふだん接するのはホームの職員ですが、職員の質をいかに高め、やる気にさせるかは、経営者次第です。そのホームで高齢者に接して働くことを職員が誇りに思えるような職場環境を与えることができるか。経営効率ばかり考えて、むやみに賃金を安く抑えたり、長時間労働を慢性的に許容していないか。高齢者に対して職員とは違った角度から目配り・気配りができ、職員に何らかのヒントや励ましを絶えず発せられるか。入居者も大切だが、職員も大切。そんな姿勢も問われるでしょう。有料老人ホームの経営は、まさに経営者の哲学なのです」(p.172-173)

自分の死に場所を見つけるということは人を見極めるということである、といえそうだ。


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主があなたを祝福し、あなたを守られるように

主があなたを祝福し、あなたを守られるように
(民数記6章24節)

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