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あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける

あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける
(詩編23章4節)

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『水曜の朝、午前三時』(読書メモ)

蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』新潮文庫

がんで余命いくばくもない女性が、自分の恋と罪を告白するテープを娘に贈る。その内容がこの小説である。

冒頭でとても印象に残る場面があった。主人公の四条直美が入院する病院で、ある子供が白血病で亡くなるのだが、その母親との会話である。

「「私、本当は悪い女なの。この子が生まれるまで、主人にも言えないようなことをしてきたのよ。きっと罰があたったんだわ。でも、それにしたってひどすぎるわよね」そう言うと、彼女はうなだれて涙をこぼしました。私は黙ったまま、そんな彼女を見つめていました。慰めの言葉を探していたのではありません。私はただ驚いていたのです。それというのも、自分が悪性の腫瘍に冒されていると知った時から、私も彼女とそっくり同じことを考えていたからです」(p.24)

僕はサイモン&ガーファンクルのファンなのだが、彼らの名曲「水曜の朝、午前三時」(銀行強盗をしてしまった若者が、寝ている彼女のそばで後悔している、という内容の歌)と同じタイトルがつけられた理由がよくわからなかった。しかし、読み進めるうちに、その真意がわかってくる。

本書は、『こころ』(夏目漱石)の現代版と言ってよいかもしれない。


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星と星がつながって星座になる

篠原ともえさんは、短大の服装学科を卒業したときのことを次のように振り返っている。

「タレントの仕事は楽しいけれど、デザインの仕事もやってみたい ― いい年をして一つの職業に決められないことに悩んでいたんです。でも「無理やり絞ることはない。いろいろな経験を積み重ねていく人生もあるのではないか」

デザイナーとタレントを並行していた篠原さんだが、ユーミンの衣装を作ったことをきっかけに、デザイナーとして開花する。

「好きを一つに絞れないと悩んだ時期もありました。でもこうして振り返ってみると、星と星がつながって星座になるように、人生のさまざまな出来事や縁がつながった結果、現在の自分があるのだと感じています」

「星と星がつながって星座になる」という言葉が響いた。

いろいろな活動が融合して何かが起こる。そこに人生の醍醐味があるのだろう。

出所:ビッグイシュー日本版Vol.305,p. 3.
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悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら

悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる
(エゼキエル書18章27節)


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闇を美しく描く

川端康成著『みずうみ』(新潮文庫)の解説の中で、中村真一郎氏は次のように書いている。

「実際、それまでの川端文学の追随者たち、理解者たちの何人もが、この新作に接して困惑し、嫌悪を表明したのを、私は今でも覚えている」(p.181-182)

これを読んで少し驚いた。

たしかに本書は、ストーカー男を描いているという意味で衝撃的かもしれないが、親の財産で生活している既婚オヤジに惹かれる芸者を描いた『雪国』と似ていると感じたからである。

人間の持つ「闇」を美しく描くことができる点が川端康成の魅力だと思う。


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『みずうみ』(読書メモ)

川端康成『みずうみ』新潮文庫

女性の後をつける癖のある男、桃井銀平が主人公である。

タイトルにある「みずうみ」とは、屈折した少年時代の象徴であり、いわゆるトラウマ系小説といえる。

本書の内容紹介には「現代でいうストーカーを扱った異色の変態小説でありながら、ノーベル賞作家ならではの圧倒的筆力により共感する呼び起こす不朽の名作である」とあったので買ってみた。

主人公の銀平は、国語教師だったが、教え子と関係をもってしまったことから職を追われる。その教え子も、やはり変なのである。

「先生、また私の後をつけて来て下さい。私の気がつかないようにつけて来て下さい。やはり学校の帰りがいいわ」(p.124)

自分でも説明できない性癖を、多くの人がもっているのだろう。

やや小説の終わり方が気になるものの、「さすが川端康成」と思わせる作品だった。



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わたしたちは、神にはありのままに知られています

わたしたちは、神にはありのままに知られています
(コリントの信徒への手紙Ⅱ・5章11節)


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集中力

ルターが新約聖書のドイツ語訳を出したことは有名だが、『キリスト者の自由 聖書への序言』の解説(訳者の石原謙による)を読んでいて驚いたのは、その作業をわずか2か月半で行っていたこと。

「僅かに二か月半の短い時日に、しかも辞書も註解書も参考書もなしにまた疑義を質し意見をきく友人もない所で、全くの独力をもって新約聖書の全部を訳し終えた精力は、実に驚嘆に価いするというほかない」(p.118)

すでに内容を熟知していたこともあるだろうが、相当な集中力をもってのぞんだに違いない。

質の高い仕事を行うためには、時間をかけることよりも、集中することのほうが大切であると感じた。

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『キリスト者の自由 聖書への序言』(読書メモ)

マルティン・ルター(石原謙訳)『キリスト者の自由 聖書への序言』岩波文庫

マルティン・ルターが「信仰によってのみ義とされる」という宗教改革の原理を説いたのが本書。

本書で繰り返し述べられているのは「良い行いをすることで神様から認めてもらうのではなく、神様を信じることで神様から許してもらえる」ということ。

ルターは言う。

「人が信仰において立つかまたは不信仰にあるかに従って、その行いも善くあったり悪くあったりするので、反対にその行いのどうであるかに従って、その人が義しくまたは不信仰であるのではない」(p.37-38)

このことをルターは果実(行い)と木(信仰)の関係に例えている。

「それは善い果実を得たいと思う者はまず木から始めて、木をよくしないければならないとの意味なのである」(p.38-39)

では、良い行いはしなくてもよいのか?

「見よ、かようにして信仰から神への愛と喜びとが溢れいで、また愛から、価なしに隣人に奉仕する自由な、自発的な、喜びにみちた生活が発出するのである」(p.44)

特別なことを言っているわけではないのだが、本書を読んでいるとルターの声が聞こえてくるようで、胸にズンと来た。




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わたしの訴えをあなたに打ち明け お任せします

わたしの訴えをあなたに打ち明け お任せします
(エレミヤ書20章12節)

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