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人を育てるのがマネジメント

コンサルタントとしてユニクロや無印良品の改革を手掛け、社長として成城石井を成長させた大久保恒夫さん。

その大久保さんが、「デニーズ」でおなじみのセブン&アイ・フードシステムズの社長に就任した。

赤字が続くデーニーズの業績を回復する決め手は何か?

この質問に対して大久保さんは次のように答えている。

挨拶です。それから店の清潔さを保ち、料理をおいしくする。中でも一番効くのが挨拶。客と会話し、名前や日々の生活が分かるぐらいになれるといい。成城石井もそれで利益を何倍にも伸ばしました。」

たしかに、挨拶ができている店は気持ちがいい。逆に挨拶がない店には二度と行きたくないと思う。挨拶は良い店の必要条件だといえる。

もうひとつのカギは店長。

出店について聞かれた大久保さんのコメントは次の通り。

「ただ、店長クラスの人材が育っていなければ出店はしません。リーマン・ショック後は『これから厳しくなるからこそ、教育だ』と号令をかけて教育の費用を4倍に増やしました。それをできるのが経営者。人を育てるのがマネジメントです。」

業績が悪くなると削られるのが教育費だが、大久保さんは逆である。「人を育てるのがマネジメント」という言葉が印象的だ。

たしかに、マネジメントは「他者に仕事をしてもらうこと」だから、人が育たないと話にならない。

挨拶と教育は、組織を活性化させる鍵になる、といえる。

出所:日経流通新聞2011年5月23日
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善が住んでいないことを知っています

わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意思はありますが、それを実行できないからです。
(ローマ人への手紙7章18節)


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『黒い雨』(読書メモ)

井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫

井伏さんといえば、教科書に載っていた『山椒魚』のイメージがあるが、なんだか作品が暗そうなので敬遠していた。

しかし、『あの人に会いたい』(「NHKあの人に会いたい」刊行委員会 )に登場していた井伏鱒二さんの明るい人柄が印象に残ったので、思い切って『黒い雨』を読むことにした。

工場に勤務していた主人公は広島で被爆し、戦後も後遺症に悩まされ続ける。比較的元気だった姪も、黒い雨(放射能を含んだ雨)に打たれたために、徐々に衰えていく。

本書の大部分は、主人公が記した「原爆日記」から成り、「原爆で即死した人、苦しみながら亡くなる人、当初は元気だが徐々に後遺症が出てくる人々」の様子が生々しく描かれている。

やるせないのは、被ばく患者を診察する医師や看護する方々が、患者に付着した放射能のため亡くなっていくこと。

「戦争を終結させるためという理由で、何の罪もない民間人を、ここまで残虐な方法で殺してもよいのか」「なぜ、広島と長崎の人々が酷い目に会わなくてはいけないのか。」

なかなか答えの出ない疑問が湧いてくるなかで、「とにかくこの事実を知ることの大切さ」「伝えていくことの重要さ」を感じた。
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妥協せず過程にこだわる

シンクロナイズド・スミングの井村雅代コーチは、言わずと知れた鬼コーチ。

その井村コーチの指導のもと、立花美哉さんは、1996年のアトランタ五輪ではキャプテンを務め、チームで銅メダルを獲得している。実はこの前年のW杯でロシアに敗れ4位に終わっていただけあって、銅メダルはうれしい結果。

立花さんは、試合後の様子を次のように振り返っている。

「先生の指導を受けていればメダルは必ず取れると思っていました。『先生、ありがとうございました』と言いたくて、みんなルンルンでミーティングが始まるのを待っていたんです。そうしたら、物凄く血相を変えた先生が部屋に入ってきて『あんたらメダルなんか持って帰らんでいい!』と叱られて、シーンとなってしまいました。」

井村コーチが怒ったのは、選手の気持ちが弱かったため、思い描いていたレベルにまで達していなかったかららしい。結果だけでなく、過程を大切にしていなかったための怒りである。

その後1日13時間にも及ぶ猛練習を重ねた日本代表は、オリンピックで2大会連続の銀メダルを獲得する。

「みんな一生懸命なんです。でも自分たちが世界一になるにはそれだけじゃ足りません」という立花さん。

過程にこだわり、どこまでも妥協しない姿勢が成果を生む、といえる。

出所:WEDGE May 2011, p46-47.



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主は打ち砕かれた心に

主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる
(詩編34章19節)

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『門』(読書メモ)

夏目漱石『門』新潮文庫

『三四郎』で大学生だった主人公が、『それから』では大人になり、友人の妻を奪う。その後の生活が書かれているのが本書である(ただし、物語がつながっているわけではない)。

わくわくしながら手に取ったが、期待に反し、めちゃくちゃ地味な内容だった。しかし、衝撃を受けた『それから』よりも、しっとりとした雰囲気の『門』のほうが好きかもしれない。

略奪愛で結ばれた夫婦は、逃げるように広島、福岡へと流れていたが、ひょんなことから東京に舞い戻る。本書には、宗助と妻の御米(およね)がひっそりと暮らす日々が描かれている。

ちなみに、解説を読むと『門』という題は漱石の弟子がつけたようで、本書の最後には、つじつま合わせのように主人公が禅寺に入る場面がある。結局悟ることができなかった宗助は、もとの生活に戻るのだが。

以前の活力が失われ抜け殻のようになって役所勤めをする宗助と、まるで罰を受けたように流産・死産を重ねて子供をあきらめた御米。罪の意識に苛まれながらも、いたわりあいながら寄り添う夫婦の中に、等身大の愛を感じた。

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『ナンネル・モーツァルト』(映画メモ)

『ナンネル・モーツァルト:哀しみの旅路』

モーツァルトの姉、ナンネル(マリア・アンナ・モーツァルト)が主人公の物語である。

国から国へと演奏旅行するモーツァルト一家は、いつも馬車に揺られ、落ち着いて寝ることもできない生活。まさに「旅芸人の一座」である。一座のスターは当然、天才・ウォルフガング・モーツァルト(11歳)。姉のナンネル(15歳)も才能はあるのだが、弟と比べるとかすんでしまい、いつも脇役。

そんなナンネルが、ひょんなことからフランスの王子と恋に落ち、王子様のために作曲にうちこむ。「おまえは女だから作曲などしなくてよい」とお父さんに怒られながらも頑張るナンネル。しかし、結局二人の仲は引き裂かれ、フランスを後にする。

こうして筋だけ書いていると何のことはないが、映画の質感が良かった。少し暗い雰囲気の中で淡々と進むストーリー。奏でられる音楽が心に沁みる。少し素人っぽいけど自然なナンネル役を、実力のある役者がサポート。特に、ウォルフガング役の男の子は「たぶんモーツァルトは、こんなガキだったんだろうな」と思わせる演技である。

ナンネルの恋物語も渋かったが、支えあうモーツァルト一家のイメージを与えてくれる映画だった。

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信じて祈るならば

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。
(マタイによる福音書21章22節)

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『それから』(読書メモ)

夏目漱石『それから』新潮文庫

『こころ』も凄い本だったが、『それから』はあらゆる意味で「揺さぶられる本」である。

すこし前に『三四郎』を読んだけれども「ふーん」という感じで終わった。消化不良になったので、漱石の三部作(三四郎→それから→門)の第二弾を読もうと思い、あまり期待せずに手に取った。

『こころ』と同様、前半は少し退屈である。しかし、後半三分の一になるとスパートがかかる。「不倫」というテーマは嫌いなはずなのだが、そんなことは吹っ飛ばすくらいにグイグイと心に迫ってきた。

はじめは、「論理」の世界に生き、頭でっかちで行動を起こさない主人公・代助だが、徐々に「自然」や「感情」の力に飲み込まれていく。

人は論理と感情の二つのバランスを保ちながら生きているが、それが崩れたとき道をふみはずしたり、一皮むけて成長したりする。

本書を読み進めるうち「人は何のために働くのか?」「結婚とは何か?」「人生とは何なのか?」を真剣に考えている自分に気づいた。

自分の中の常識や価値観が揺り動かされたのは久しぶりの体験である。

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埋没できる街

現在、学会に出席するために台湾第二の都市、高雄に来ている。実は、アジアの国を訪れたのは今回が初めて。ちなみに、こちらは気温が30度くらいあってほとんど夏(暑い…)。

台北から高雄まで新幹線(日本の新幹線システムと同じ)に乗って2時間弱。地下鉄も整備されていて、治安もよい。日本並みにコンビニ(セブンイレブンとファミリーマート)があるのでとても便利だ。

来てびっくりしたのは、原付バイクがやたらと走っていること。しかも、多くの人が二人乗り。中には、子供を前に乗せていて三人乗りの人もいる。ヘルメットをつけていない人もいるのに、警察につかまる様子もない。

高雄は大都会なのだが、あちらこちらに小さな食堂があり、多くのメニューは150円くらいで、しかもうまい。

一番嬉しいのは、街の中に埋没できることだろう。同じアジア人なので、ジロジロ見られることがないのがよい。今日など、地下鉄のホームで電車を待っていたら現地の人から「○○さんじゃない?」と声をかけられてしまった。

また来たい国である。

OLの方々がアジアにはまるのがわかるような気がした。
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