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口先ではあなたに近く 腹ではあなたから遠いのです

口先ではあなたに近く 腹ではあなたから遠いのです
(エレミヤ書12章2節)

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理を尽くして教える

先日紹介した『天の梯』の中に、料理人である主人公・澪が、見習いの少女・ふきに教える場面がある。

包丁加減で大切なのは、食べ易いように切る、ということなの。食べ易さのひとつの目安は、ひと口で食べられるかどうか、ということ。固い物を食べるひと口と、柔らかいものを食べるひと口とは、同じではないのよ」(p.57)

これを聞いた板前の政吉が感心して次のように言う。

「澪さんの教え方は丁寧だ。そうやって理を尽くして教わりゃあ、ふき坊だって決して忘れねぇだろう」(p.58)

日本人は「背中を見て覚えろ」という指導が好きな人が多いように思う。たしかに、他人をよく観察して自分で盗み取ること自体は学習効果が高い。しかし、「理を尽くして教える」ことも合わせると、より効果的であるような気がした。

このときに気をつけなければならないのは、上の人が教えることで、本人が考えなくなったり、受け身になってしまう危険性だ。理を尽くして教えると同時に、さらに深く考えさせる指導が必要になると思った。

出所:高田郁『天の梯』ハルキ文庫

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『天の梯』(読書メモ)

高田郁『天の梯』ハルキ文庫

みをつくし料理帖シリーズ第10巻、完結編である。

以前、出版社の編集の方から薦められて読み出したのだが、なかなか味のある作品であった。

時は江戸。大阪で洪水に遭い、両親を失った澪が江戸に出て、料理人として成長する物語である。郭に売られた幼なじみを4千両で請け負うというとてつもない野望をいだくと同時に、料理屋に通ってくれる庶民に喜ばれる料理を工夫するという、二つの目標を両立しようとしているところが興味深かった。

「二百文の料理も、二十文の料理も、どちらも気を抜かず、手を抜かない。そうすることで拓ける道がきっとある ー そう信じよう。思うこと、悩むことは尽きないけれど、今、この刻は一心に料理に向かおう」(p.184)

働いていると、大きな仕事も小さな仕事もある。私たちは大きな仕事を大事にして、小さな仕事を軽んじる傾向にあるが、本当のプロフェッショナルは両方を大事にするのだろう。

本書を読み、小さな仕事を大切にしなければならない、と思った。

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勇気を出せ

勇気を出せ
(使徒言行録23章11節)

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親との関係を考える

以前、カフカの『アメリカ』を読んだとき、ふつうに面白い小説だったのが意外だった。『変身』のような一風変わった作品ばかりを書いている作家だと思ったからだ。たぶんカフカは、いろいろな側面を持つ人なのだろう。

では、変わった作品の源泉は何だったのか

訳者の中井氏による解説に、以下のように書いてあった。

「若いカフカは生活力のたくましい、自信に満ちあふれて独裁的な家長を尊敬し、ひそかに愛着さえもいだきながら、同時に反発と、恐怖を感じて、その精神的束縛から脱出しようともがきつづけながらも、ついに父親の支配圏からのつながりを断ち切れなかった経過には、そのままフロイトの精神分析学の、かっこうな例証になりそうな、微妙な重点がある。このような愛憎の、根づよいコンプレックス心理(つよい感情をおびて、もつれ合い、精神的なしこりの原因となる、観念の複合体)こそ、カフカ文学の秘密に照明をあてる、ひとつの重要な手がかりになるだろう」(p.212-213)

よく言われることだが、やはり、人間の行動は、両親との関係が強く影響しているのだろう。

たまに、自分が「なぜあることにこだわるのか」分からなくなることがある。そんなとき、親との関係を考えてみると、謎がとけるかもしれない

出所:フランツ・カフカ(中井正文訳)『変身』角川文庫
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『変身』(読書メモ)

フランツ・カフカ(中井正文)『変身』角川文庫

大学時代に読んだ『変身』を読み返した。

ある日起きると毒虫になっていた、というストーリーたが、なぜか身近な話でもあるような気がした。

虫になってしまった主人公・グレゴールに対し、当初は愛情を寄せていた家族だが、時間が経つにつれ「邪魔者扱い」するようになる。

特に、優しさを示してくれていた最愛の妹からののしられる場面は悲しい。

「「あれがこの家から出て行くべきだわ」と、妹が叫んだ。「それが、ただひとつの手段ですわ、お父さま。あれがグレゴールだという考え方を、まずおすてにならなくちゃいけないのよ」(p.98)

どこかでまた人間に戻ってくれないか、という希望もむなしく最悪の展開へ。

われわれ人間は、虫になってしまうことはない。しかし、ある日突然、怪我をしたり、病気になったり、鬱になったり、リストラされたり、引きこもりになってしまうことはあるのではないか。

それまでのような自由な活動ができなくなり、収入もなくなってしまうとき、家族がどのように変化していくのか。そうしたことを想像させる作品である。

不自由な状況をどのように受け入れていくのか。そこに、大きな学びがある、と思った。

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わたしは主のはしためです

わたしは主のはしためです
(ルカによる福音書1章37節)

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『警官の条件』(読書メモ)

佐々木譲『警官の条件』新潮文庫

某出版社の方に「佐々木譲は面白いですよ」と勧められたので買ってみた。

警察モノとしては久々のヒット作である。

ちょっとベタであるが、ストーリーがワクワクする。ヤクザに丸め込まれたマル暴警官として警察を追われた主人公・加賀谷仁が、9年の時を経て警察にカムバックし大活躍する物語である。

単なるハラハラドキドキの展開ではなく、プロフェッショナリズムが全編に感じられるところが良い。

一番印象に残った場面は、加賀屋警部が復帰した直後、あるヤクザを事情聴取するところ。警察の出方ひとつで、そのヤクザが組織によって抹殺されかねない状況の中で、加賀屋警部は彼の身を心配する。

「丁場家なら、ひとりふたりいつでも引っ張れますよ」
「いまやれば、沢島情報だとばれる。やつは出たところで殺される」
「マル暴ですよ。かまわんじゃないですか」
加賀屋は足を止め、長嶺を見つめて訊いた。
「本気か?」
「何がです?」
極道なら、殺されてもいいと
(p.497)

何げない会話なのだが、担当するヤクザをも人間として尊重する姿勢にグッときた。がゆえに、加賀屋警部は、ヤクザからも一目置かれる存在なのだ。通常の人間社会においても、相手をどのように見ているかは、態度から滲みでるものである。

プロフェッショナリズムとは、商売上の相手を大切に思う気持ちがベースになる、と感じた。


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円熟の研究

先日、生涯発達の本を読んでいたところ、「エイジングにはいくつかの意味がある」ことがわかった。

まず「加齢」、つぎに「老化」や「高齢化」、そして「熟成、円熟」である。

加齢、老化、高齢化などは「衰えていく」というネガティブな意味合いが強いが、熟成、円熟は「成長」につながるポジティブなニュアンスを持つ言葉である。

「歳を重ねるにしたがい、人はいかに成長するか」に着目する「円熟の研究」は、今後大切なテーマになるのではないか、と感じた。

出所:堀薫夫『生涯発達と生涯学習』ミネルヴァ書房
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深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます
(詩編130章1節)

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