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『黒沼ユリ子 ヴァイオリンで世界から学ぶ』(読書メモ)

黒沼ユリ子『黒沼ユリ子 ヴァイオリンで世界から学ぶ』平凡社

ヴァイオリニストの黒沼さんは、チェコに留学した際に出会ったメキシコ人の研究者と結婚し、リサイタルをしながらメキシコで子供たちにヴァイオリンを教え、現在は、日本の御宿(千葉県)で活動している。

印象に残ったのは音楽に対する姿勢の違い。

「日本ではとにかく楽譜の読み方だけがほとんどなのです。正確に音符を読んで音程とリズムを正しく弾く」(p. 43)

これに対し、チェコで教わった先生は違ったという。

「とにかく「うたえ」「うたえ」という教え方です。「印刷された音符からいかに生きた音楽を引っ張り出すか」、私はダニエル先生のピアノ伴奏で音楽の本質を教わったようなものです」(p. 42-43)

黒沼さんの指導方法もこれに倣ったものである。

「音学」ではなく「音楽」、楽しいのがまず先というのが私の教え方でしたもの」(p. 81)

日本人は「正確さ」を重視するが、「楽しむこと」が下手だな、と改めて感じた。







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タレントマネジメント

パーソル総研のHITO REPORT(2019年10月号)を見ていたら、タレントマネジメントを特集していた。

興味深かったのは、タレントマネジメントの定義が研究毎に異なること。

企業人材を「採用・登用・評価・開発」するという点では共通しているが、
・能力が後天的に開発可能かどうか
・対象を一部の優秀な社員に限定するか、それとも全社員を対象にするか
で異なるという。

パターンとしては以下の3つに分かれるだろう(記事では6分類されていたが)。

①能力は先天的に決まり、有能な社員を対象とする
②能力は後天的にも開発可能であるが、有能な社員のみを対象とする
③能力は後天的に開発可能であり、全ての社員を対象とする

基本的には③に賛成であるが、人材の持つ「才能の質」によってタレントマネジメントのあり方が変わるように思った。

出所:HITO REPORT 2019年10月号, p.2-3.


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『萌の朱雀』(映画メモ)

『萌の朱雀』(1997年、河瀬直美監督)

『あん』『光』が良かったので、河瀬監督の初期作品を観た。

感動的な展開があるわけではないのに、観終わった後の「余韻」が大きかったのが不思議である。

過疎の村で暮らす、祖母幸子(和泉幸子)、父(國村隼)、母(神村泰代)、娘のみちる(尾野真千子)、甥っ子の栄介(柴田浩太郎)。失業した父が自殺してしまった後、高校生のみちるが、栄介に恋心を抱きつつも、母親の郷里に戻るというストーリー。

全編を通して、何が起こったのかがはっきりとせず、推測させる映像が、どこか日本的である。

「論理」ではなく「情緒」に訴える映像が心に響く。

地味に、祖母役の和泉幸子さんが上手いと思った。

ちなみに、あとでWikipediaを見たら、現地の中学生だった尾野真千子を河瀬監督がスカウトしたことがわかり、驚いた。河瀬さんには、人の才能を見抜く力もあるらしい。



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手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう

手引きしてくれる人がいなければ、どうして分かりましょう
(使徒言行録8章31節)

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『とりかえばや物語』(読書メモ)

鈴木裕子編『とりかえばや物語』角川ソフィア文庫

以前、河合隼雄さんがこの本について言及していたので読んでみた。

時は平安時代の京都。権大納言には、外見が瓜二つの息子と娘がいたのだが、息子は女性のよう、娘は男性のようだったため「若君と姫君を取り替えたい(とりかえばや)」(p.14)と思っていた。

怖ろしいのは、そう思うだけでなく、実際に若君は姫君として、姫君は若君として成人式を挙げてしまったところ。二人が成長するにつれて、いろいろなトラブルが勃発し、なんとか解決していくというストーリー。

ちなみに、二人は今でいうトランスジェンダーではなく、大人になると生まれついた性を意識するようになり(だから悩むのだが)、最後にはまた元の性に入れ替わる

印象的だったのは、男として育った女君が女性に戻ったときに、「男を待つ女の苦労」を知るところ。性の役割を入れ替えてみないと、本当の苦労はわからないのだ。

世の中のお父さんたちは、お母さんの役をしてみないと、本当の気持ちはわからないのだろう、と思った。



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『心と体と』(映画メモ)

『心と体と』(2017年、エニェディ・イルディコー監督)

これは上質な映画である(ベルリン映画祭・金熊賞)。

舞台はハンガリーの食肉加工工場片手が不自由だがダンディな中年上司(独身)エンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)と、コミュニケーションが苦手で自分の世界に閉じこもる女性職員マーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)の絡み合いを描いた作品。

はじめは距離のある二人だが、なぜか同じ夢(雄と雌の鹿となって森をさまよう夢)を見ていることがわかり、恋心が芽生え始める。

生々しい牛のシーンと、鹿になった夢を交えながらの映像が、なんともいえない不思議な雰囲気を醸し出す。

タイプは違うけれども、深いところでつながっている人と出会うことの大切さを感じさせる映画だった。



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仕事を通した成長実感

パーソル総研の「就業実態・成長意識調査2019」によれば、仕事内容への満足のスコアは、アジア太平洋地域14か国の中、日本が58.2%で最低であったという(平均81.0%)。

さらに、「仕事を通じて成長を実感できているか」という質問に対するスコアも、日本は60.2%と最低となっている(大半の国が80%以上)。

インターネット調査であることを差し引いたとしても、衝撃的な数字である。

仕事を通して成長を実感できる仕組み」の導入が必要だと思った。

出所:HITO REPORT vol.6 (2019年10月号)


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災いの日に、あなたこそわが避け所です

災いの日に、あなたこそわが避け所です
(エレミヤ書17章17節)
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『文字を作る仕事』(読書メモ)

鳥海修『文字を作る仕事』晶文社

字游工房の代表で、書体設計士である鳥海修さんの本。いつも使っている「游明朝体」はこの人が作ったものであることを知った。

書体に関して、鳥海は次のように述べている。

「本が人間の体だとしたら、文字は細胞に当たるのかもしれない。読者に物語を楽しく気持ちよくよんでもらうためにはその細胞が重要であると私は考える。だけど多くの人はそれに気がつかないし、気がつくことがいいことだとは言えないし、むしろ気がつかないで気持ちよく内容に没頭できる文字がいい文字なのだと思う」(p. 123)

これはさまざまな仕事に言えることだと思った。気づかないけれども、我々の仕事や生活は、いろいろな仕事人によって支えられているのだ。

本書を読んで感じたのは、鳥海さんの周りにはとてもユニークな人々がいること。一番インパクトがあったのは、書家の石川九楊氏。難解な石川氏の作品について、鳥海さんが「先生の書はくだらないと思うんです」と言った時のこと(よく言ったな…)。

「そうなんだよ、鳥海くん」「如何にくだらないことを一生懸命にやるか。そういうことが大事なんだよ。自分で作品を書いていていいか悪いかなんて分からない。というか、分かるものはすでに自分の中では終わっているものなんだよ。問題はわからない作品だ。書き上がった作品を見て、分からない。それを捨てるか採るかが問題で作家の技量だよ」(p.130)

このコメントはすごい。特に「分かるものはすでに自分の中では終わっている」という一言が響いた。良いか悪いかわからない中で取り組んでいる仕事こそ、大事な仕事だと思った。




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『やさしい本泥棒』(映画メモ)

『やさしい本泥棒』(2013年、ブライアン・パーシヴァル監督)

時は、ヒトラーが支配する第二次世界大戦前後のドイツ。

共産党員だった母親は娘リーゼル(ソフィー・ネリッセ)を貧しいペンキ塗りのハンス(ジェフリー・ラッシュ)と口やかましいローザ(エミリー・ワトソン)の家に里子に出すのだが、そこにかくまわれるユダヤ人青年マックス(ベン・シュネッツァー)が絡みながら展開するストーリー。

この映画にはさまざまなテーマが含まれているが、一番響いたのは、養子となったリーゼル、父親ハンス、母親ローザが家族になっていくプロセス。『英国王のスピーチ』に言語療法士として出演していたジェフリー・ラッシュと、母親役のエミリー・ワトソンの演技が素晴らしい。

特に、一見鬼のような母親だが実は優しい心をもった母親と、娘リーゼルが心を通わせるシーンは感動的である。

ちなみに、題名の本泥棒とは、ユダヤ人青年マックスのために、リーゼルが本をたくさんもっている町長の家からこっそり本を借りて(一時的泥棒)読み聞かせるところからつけられたもの。

なお、イギリス軍からの爆撃は始まる後半では、戦争の恐ろしさがリアルに伝わってくる。

あっけなく引き裂かれる家族の様子に、「えっ!」という感じになるのだが、これが戦争というものだろう。

タイトルとエンディングはもう少し工夫してもらいたがったが、総体的に良い映画だった。


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