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力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ

力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ
(コリントの信徒への手紙12章9節)

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『舟を編む』(読書メモ)

三浦しおん『舟を編む』光文社文庫

映画にしようか、小説にしようか迷ったが、小説を選んで良かった(たぶん)。

本書を読み、さまざまな人々の協働によって辞書ができあがるプロセスを理解することができた。

特に印象深かったのは、辞書を監修している松本先生。人生を辞書づくりに捧げている姿勢がすごい。

辞書が完成する直前、主人公の馬締光也が、病気で入院している松本先生を訪れる場面がある。

「松本先生は点滴につながれ、呼吸を助けるためか鼻にも管が入っていたが、ベッドに身を起こし、枕にもたれるようにして用例採取カードになにやら書き込んでいるところだった」(p. 314)

ちなみに、用例採取カードとは、新しい言葉を記録するものである。命ある限り、自分の使命を全うしようとする研究者魂に感銘を受けた。



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究めたいという思い

27年ぶりの無冠となった、将棋の羽生義治さん。

しかし、記録にはあまり執着がないという。

「棋士にとって、勝敗は日常の出来事だ。一喜一憂してはいられない。それよりも「将棋をもっと理解したい」という欲求がはるかに強い。大一番で負けて、その後の「感想戦」では笑みがこぼれる。対戦相手に意外な指し手を示されると「えっ、えっ」と、素直に驚きの声をあげる」

あれだけ天才と騒がれているにもかかわらず、世間の評判に惑わされることもなく、将棋の世界を究めたいという思いを持ち続ける羽生さん。

さすがである。

出所:日本経済新聞2019年3月24日, p. 23.
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『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(映画メモ)

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年、ジム・ジャーミッシュ監督)

大学生の頃、小樽にあった「サード・ベース」という映画館で観た映画。

その当時は、なにがなんだかわからなかったが、30年ぶりに観ると洗練されたおしゃれな作品である。

ハンガリーからアメリカ・ニューヨークへ来たギャンブラー・ウィリー(ジョン・ルーリー)の家に、従妹のエヴァ(エスター・バリント)がハンガリーからやってくる。

はじめはエヴァを邪魔者扱いしていたウィリーだが、徐々に彼女に惹かれていくという物語。そこに相棒のエディ(リチャード・エドソン)が絡みながらストーリーが進展するのだが、とくに劇的なことが起こるわけではない

白黒の映像、キレのいい展開、主演3名の不思議な演技、独特のシナリオが組み合わさって、まぎれもない「名画」となっている。

特に、ジョン・ルーリーの渋い演技が光る。

少し前に見た『ダウン・バイ・ロー』よりも良かった。




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主を求めよ、そして生きよ

主を求めよ、そして生きよ
(アモス書5章6節)

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『心は天につながっている』(読書メモ)

金澤翔子(書)金澤康子(文)『心は天につながっている』PHP研究所

先日、金澤翔子さんの展覧会を観にいったときに買った本。

翔子さんの書は魂に響いてくる迫力を持っているのだが、本書を読み、その秘密がわかったような気がした。

母親の康子さんは次のように語っている。

「ダウン症の翔子は、私たちと違う感性の地平で生きている。科学的な検証はしないので、現実と空想の世界を自在に往き来できる。目的をもたないので未来を予測して恐れたり悩んだりしない。記憶力も重要ではないらしく、過去を悔やんだり嘆いたりもしないいつもその刻(とき)が100パーセントの豊穣な時間に生きている。心を比べたりしないので、人を羨んだり妬んだりもしない。その無心の魂には愛がなだれ込んでいて、ただ調和のとれた平和が大好き。争いはない。そして、その愛に充ちた心には大きな力が舞い降りて、翔子の願いは小さなことから莫大なことまで、ことごとく叶ってしまう」(p.106)

他者と比べずに、今を生きる。そのとき、神が降りてくる。

豊かな人生の秘訣がここにある。



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『オーケストラの少女』(映画メモ)

『オーケストラの少女』(1937年、ヘンリー・コスター監督)

失業したトロンボーン奏者ジョン(アドルフ・マンジュー)の娘パッツィー(ディアナ・ダービン)は美声の持ち主、かつ行動力の塊のような少女である(少女という感じではないが…)。

持ち前の行動力と運で、金持ちのスポンサーを見つけ、腕はあるが失業中の音楽家を集めてオーケストラを作ってしまう、という物語。

たとえ壁にぶつかっても、それをよじ登り、いろいろなことを実現してしまう姿は凄いのだが、あまりにも上手く行き過ぎたストーリーだなとも感じた。しかし、よく考えると、彼女のポジティブさが運を引き寄せている面もある。

また、「巨匠の指揮者ストコフスキー(本人が出演)がOKしてくれたらオーケストラを作ってやる」という条件が出された時、はじめは渋っていたストコフスキーが、オーケストラの演奏を聞いているうちに体が反応して指揮を始める場面が良かった。才能がある人は、才能を感じるものなのだろう。

なお、失業中の音楽家が演奏しているときの顔が喜びにあふれていて感動した(これはすごい演技である)。

この映画を観て、才能のある人々を集め、活躍の場を作ることが、リーダーの役目だと感じた。



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神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません

神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません
(使徒の働き17章27節)
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『東京の戦争』(読書メモ)

吉村昭『東京の戦争』ちくま文庫

「東京での戦争は、開戦から五か月後の昭和十七年四月十八日の東京初空襲からはじまった、と言っていい。中学三年生に進級したばかりであった」(p. 9)

多感な中学時代に、東京の戦争を経験した小説家・吉村昭さんの手記である。自分の眼で見て、体感した戦争が語られている。

心に残ったのは次のエピソード。

肺結核のために那須温泉で静養していた吉村さんのもとに、子宮癌に罹っていた母の死が知らされる

「駅の切符売り場の前には長い人の列が出来ていて、坐っている人も多かった。翌朝売り出される乗車券を入手しようとしている人たちであった」(p. 42)

これでは切符を買えそうもない。一刻も早く家に帰りたい吉村少年は、列をはなれ、駅の事務室に入る。

「私はひるむ気持ちをふるい立たせて近づき、駅員と打合せを終えた駅長の前に立ち、「母が死にました。家に帰りたいのです」とふるえをおびた声で言って、電報を差し出した。それを手にした駅長は、電報を見つめ、私に視線をむけた。全くの無表情で、私はにべもなく断られると思ったが、駅長は駅員を呼び「上野駅まで一枚、この中学生に渡してやってくれ」と、言った」(p. 42-43)

この時のことを、吉村さんは次のように振り返っている。

「今でも乗車券を渡してくれた駅長の顔を、はっきりおぼえている。細面の黒いふちの眼鏡をかけた、四十年輩の人であった。乗車券の枚数はきびしく制限されていて、即座にその場で渡してくれるようなことは、軍関係の重要な所用のある人以外になかったのではあるまいか。駅長は、思いつめた表情で自分の前に立つ少年であった私に心が動き、乗車券をあたえてくれたのだろう。その時からすでに五十六年、戦争下の遠い日の記憶だ」(p. 44)

人から受けた恩を、心の中に大切にしまっている吉村さん。

自分もそうありたい、と思った。



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ジョブ型正社員

慶應義塾大学の鶴光太郎先生は、「無限定正社員システム」をやめて「ジョブ型正社員」を雇用のデフォルトにすることを提唱している。

無限定正社員とは、職務、勤務地、労働時間に一切の限定がいない正社員であり、従来の日本企業を支えてきた雇用形態である。

しかし、残業が無限定で転勤も断れないため、ワークライフバランスは崩れ、女性の活躍が遅れ、専門性が確立されたないため転職しにくくなるという悪循環の源になっているという。

これに対し、ジョブ型正社員は、職務、勤務地、労働時間のいずれか(あるいは複数)が限定された正社員であり、こ雇用形態を標準とすることで、子育てや介護と仕事の両立を可能にし、専門性が高まるため転職マーケットが活性化される。

この提案の中で注目したいのが、ジョブ型正社員を推進することによる「スキル・ジョブの標準化」である。

日本企業の総合職は、グルグルとローテーションで部署を回されるため、専門性があるようでないケースが多い。専門性を磨くためには、地理的な異動は必要ないし、自分のキャリアに責任をもち、家族を大事にしながら専門性を高めていくということは正しい方向である、と感じた。

雇用制度の是正は、個人の成長だけでなく、組織の成長にとっても、真剣に取り組むべき課題である。

出所:鶴光太郎「日本型雇用システムの未来と処方箋」HITO (2019.2) Vol.13, p.5-8.

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